十話:東国の魔法士、西国の元貴族

 ひっそりと佇む小さな宿屋の食堂にて、机に叩きつける勢いで亜麻色の髪の青年が頭を下げる。



「本当にすまない」



 勘違いが発覚した後詫びにと言われたものだから、結局全員でリシェントの配達の仕事を手分けして終えた後の現在である。

 火属性の魔法付与された暖房器具が所々に設置されて、冷え切った身体が芯から暖まるようだ。魔法付与された道具は金銭が嵩むので簡単に置けるところではないのだが、流石北国の軍が拠点にしている町だというのが伺える。


 亜麻色の髪の青年は、ノエア・アーフェルファルタ。彼は東国、魔法士の里ルーベルグの魔法士だと必要な所だけ掻い摘んで自己紹介をしてくれた。剥き出しになっていた敵意は既に失われている様から、反省の色が見られるのがよく理解できる。


 薄緑のツインテールの少女は、ミエル。本名をミエリーゼ・ウィデアルインと言い、第四次中央大規模戦争の影響で大半が死亡し次第に平民にまで転がっていった伯爵位を持つ西国の貴族だと言う。ミエルは年相応に合わないくらいの無邪気さと元気さを振る舞って、目の前に置かれた食事達を口の中に頬張った。



 ——北国と西国の同盟。


 秘密裏に成立してから、着々と大規模な戦の為の準備が行われていると語り、ミエルは西国の女王陛下、桜花姫の遣いの者としてやってきている身である。一方で、ノエアは異なる理由を持っているとの説明で部屋の空気が湿気を吸ったように重たくなった。



「レフィシア・リゼルト・シェレイだろ。中央の元王子であり若き国王アリュヴェージュ・リゼルト・シェレイの弟で、元中央四将の瞬光のレフィシア。なら半年前の事を知ってるよな」


「その時には俺はもう北国に身を寄せているから、ロヴィエド伝いに聞いたよ」


「ああ。周りからはこう呼ばれている。〝ルーベルグ魔法士大量殺戮事件〟なんてな」



 平民は他国の情報は曖昧程度にしか耳に入れる事がない。リシェントはその名称に思わず首を傾げるしかなかったが、大量殺戮なんて物騒なものでしかないのは肯ける。

 ノエアが語るに、それは中央四将どころかアリュヴェージュ・リゼルト・シェレイ自ら出向いたとされている。ルーベルグの魔法士を捕獲しようとしたが圧倒的な力の前に捕獲以前に殺してしまい、結果としては殺戮と名付けられたらしい。

 ノエアは自らの里の結末を自らで語らなければならないのが悔しくて仕方ないのだと、震えた声と共にやり場のない後悔の念に押しつぶされた。



「……ごめん」


「ふざけんな。お前自身はルーベルグの魔法士に何もしてねーだろ。だからお前が謝る必要はない」


「でも、兄さんは……」


「家族だから、身内だからって何でもかんでも責任を負う必要はねーっての。アリュヴェージュだって成人してんだし国王陛下っつー身分だろ。単純に我儘で横暴な訳じゃない。実際会って分かった。アレは何かとんでもないものを隠してるヤツだ。それが何なのかは、知らねーけど」



 ノエアの脳裏に、今にも鮮明に流れた。


 凄まじい唸りを立てて里全体が燃え広がり、闇の底を焦がして盛る。木や建物が太い火束になって乱雑に倒れ、地面の草に引火した。辺りに火花が無数に弾き飛んでいて、当たると酷く厚く傷む。


 次第に熱病にかかったみたいに身体が熱くなり、意識を保つのが精一杯になってきた。実弾銃の銀の発砲音と、魔弾銃の独特な高い音をした発砲音が絶え間なく響いて耳鳴りを起こす。悲憤、慨然の声達が重なり、更に酷く頭を揺さぶらせた。


 走り続けて何か足に引っ掛かって転びそうになったそれは、上半身と下半身が綺麗に分割されたルーベルグの魔法士達。

 切り口が焼き焦げている様を見て、ここまで綺麗に胴を分割して切り分けるのは火と光の複合魔法しかない。

 そう冷静に分析でもしなければ、自分が自分で無くなってしまうだろうと、無意識に直感した。


 記憶が走るように目まぐるしく動き続けるのを途中で止めてから、ノエアは温かな紅茶を一口含む。



「……お前。どうするんだ?」


「勿論、討伐側につくよ。北国と西国の上層部にはロヴィエドが話を付けてる。問題は他の国だけど」


「まあ、お前のしてきた事も良いもんじゃねーから、否定的な声が上がるのも無理はないか」


「そう、だね。今でも北国には納得のいかない兵も居るって聞いてる。当然だから仕方ないけど、それでも俺は討伐側につくよ」



 平民であるリシェントも、レフィシアという名は嫌でも知っている。


 先程ノエアが説明した通り、中央の元王子であり若き国王アリュヴェージュ・リゼルト・シェレイの弟——王弟殿下に値される人物。

 更に中央四将と称される最高戦力のうちの一人で、近接戦闘だけなら中央四将最強と謳われている。性格は比較的に温厚で感受性が強いのだが、戦いに関しては驚くほどに静かで恐ろしい。

 なのでレフィシアと戦で対面したら命乞いはせず確実なる死であると悟れ、戦以外でならコネを作れというのが暗黙のルール化とされている。最も後者についてはセアンで警備に回っていた兵士達が呑気にホットミルクティーを片手におふざけ程度に大声で語っていただけだ。それでも、半分以上はきっと真実なのだろう。


 自らの隣で意を決したような芯が強い声でノエアと対面して話すレフィシアを横眼で様子を伺うリシェント。 それに気を取られていたのに気づかずに、自らに向けられている違う視線によくやく気がついて目の前——ミエルの方に眼を向き直す。



「……何?」


「リシェントはどうするの? 討伐軍は基本、軍の兵士で構成するんだけどさ、向こうには中央四将とかいう化け物戦力が三人もいるのもあって、軍以外でも戦える人、大! 募集してるんだよね!」


「まあ討伐軍側にもその化け物が一人加わるとしても、戦は数がものを言うからな。戦えて足を引っ張らず死ぬ覚悟がある奴なら是非入って貰いたい。ゼファー雪原を一人で行く位だ。戦う術くらいあるだろ」


「待って。その化け物って俺の事なんじゃ……」


「他に誰が居るんだよ」



 迷う事ない清々しさを兼ねてノエアが頷く。当たらずとも遠からずの事実だ。言い返したくても言い返せない歯痒い気持ちになって、レフィシアはぐぬぬと悔しがるように食いしばっていた。


 リシェントのぽっかりと穴が空いていた心に、処理しきれない情報量が埋まり尽くしてゆく。


 誰だって死ぬのは怖い。


 それでも。



「……戦います」



 何故この一言が出たのかは、リシェント自身よく分かっていない。あるのはただ、自分がそうするべきだと直感したからだ。

 自分が守られるだけの存在ではなく、〝誰か〟を守る存在になりたい。その〝誰か〟という人物が誰なのかは思い出せない。ただ、リシェントにとって〝誰か〟と共にありたいと願う。


 違う。願うだけではなく、それを叶える力が欲しい。


 その為に日常を捨て死のリスクを背負ってでも非日常に身を寄せる覚悟が必要だが、恐ろしいくらいにそれは出来ていた。


 隣にいたレフィシアは、何度も戦を経験している事から危惧の念が伴わざるを得ない。ノエアもルーベルグ魔法士大量殺戮事件で十二分に身を持って味わった。


 戦は、想像以上に過酷だ。


 心身共に疲弊してゆく。時間の経過と共に増していき、常に死という概念に気を張らなければならない。


 様々な感情を抱く声達、武器の金属音、発砲音、魔法の爆発音などがまるで鍋で混ぜて煮込んだように一斉に耳に響く。余程精神が強くなければ混乱し足が竦む。そしてただがむしゃらに本能のまま武器を奮って、死ぬだけだろう。


 ——リシェントはそれを知らない。



「……テストだ。お前が本当に覚悟があるのか」


「テスト?」


「ついでにミエル。お前もだ」


「ええ!? あたしも!?」


「ああ。流石にアレをするのにこいつ一人は心細いからな」



 一体何をしようとしているのだろうと、紅茶を飲み干してがたりと椅子から立ち上がる音を立てたノエアに全員が疑問の視線を送る。



「こんな時間だが、もう一度ゼファー雪原の頂上まで登る。あ。悪いがレフィシア。お前は戦闘出禁だ」


「理由を聞いて良いかな」


「こいつ……あー、リシェントのテストにならない。一瞬で終わる。それに確かめたい事もあるから、お前がすぐ終わらせたら確かめられないだろの三点。以上」


「……俺に対しての辛辣さ、どうにかならない?」


「ならねーな、残念ながら」



 鼻で軽く笑って返しながら食堂の扉まで足取りを軽くして歩むが、ミエルが「この時間に行ったら更に寒いじゃん!」と唇を尖らせて抗弁する。だがノエアはお構いなしに否定の意を込めて首を横に振った。

 今着用しているノエアの焦茶のフード付きコートとズボンには火と氷の二属性の魔法付与が組み込まれ、ノエアの魔力に反応して片方に切り替わるように仕込まれているらしい。

 暑い時は氷の魔法付与で涼しくできて、寒い時は火の魔法付与で温かい。調整も出来てオンオフも可能だと淡々に説明を施された。



「ズルだ!」


「効率が良いとか言えよ! 気温のせいでいちいち着替える必要が無くなるし、一枚一枚買う必要も無い! 付与すんのがクソ腹立つ位に面倒で大変だっただけだ!」



 確かに二属性の魔法付与など早々出来るものではない。ましてや使用者の魔力によって切り替えられて、調節からオンオフまで出来るのは、かなりの繊細な魔力コントロールが必要になる。

 リシェントは詳しい方法について疎いが、魔法付与された服は一属性の魔法付与しか見た事がない。それだけ二属性の魔法付与が如何に珍しいものだと言えよう。


 ちなみにレフィシアのブーツにも足の軽減負荷の治癒魔法付与が施されているとの事。それを知ったノエアはまるで全身から血の気が引くのを感じたように肌の色を若干白くしてから「お前……身に着けてるものもクソインチキなのか?」と身体を引かせた。

 治癒魔法の魔法付与は二属性魔法付与と同程度に難しいとされているので、当然の反応なのかも知れない。



「あの。そういえば、何て呼べば良い?」



 レフィシアと呼ぶか、シアと呼ぶべきかの素朴な疑問が浮かび上がったリシェントがフとそれをレフィシアに尋ねる。



「やっぱり本名は名前が知られすぎてるし……公の所であまり呼んで欲しくないな……最初みたいに、シア、って呼んで」


「わ、分かった」



 他国にまで名を轟かせているならそれもそうなるだろう。仮にも王族を愛称で呼ぶのは流石に身の引き締まる思いなのだが、本人がそう呼んでいいというのだから致し方ない。

 紅茶を最後まで啜り終わって一同に席を立ち上がるが、リシェントはブーツの底にこびり付いていた雪の塊が落ちきっていなかったのか、油断して足を滑らせた。そのまま背を下にして床に打ち付けられようとしたが、咄嗟にレフィシアがリシェントと床の間に割って入り込む。右腕を伸ばし、回して肩を抱いた。


 ——その時だ。


 リシェントの脳内に一瞬開きかけた〝扉〟。


 僅かな隙間から少しずつ漏れてくる情報にはもやがかかっていて読み取れない。ただ、これが悲しみも、幸せも混ざり込んだものだというのだけは感じられる。



「(やっぱり、そうだ)」



 薄々気づいていた事がある。


 何故ここまで年相応の女性らしくないのだろうか。お洒落も好んでせず、恋愛に現を抜かす事もない。他人が何をどう思っていて何をしようとも興味を持たない、というより持てなかった。

 父と母は気のせいだと軽く笑って流していたが、どうも要領を得ない。


 幸か不幸か——この場には中央の王弟殿下、ルーベルグの魔法士、西国の元貴族といった豪華な面々が連なる。もしかしたら、自分は何者なのかを解き明かしてくれるかも知れない。

 まずはこの不可解な事象は魔法による関係だろうと予測してから、この中で一番魔法が詳しい、扉の前で今にも待ちわびる人物に視線を向けた。



「ノエア。セアンに着いたら頼みたい事がある」


「……いいだろう。ただし、合格したらな」



 四人は再び、銀世界に足を踏み込む。

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