ミッション:インセンティブをゲットせよ!

雪うさこ

ミッション:家庭円満を心がけよ!



「あれ? またお隣に、持っていくの?」


 トイレットペーパーを抱えて、サンダルを履いている私に、夫が声をかけてきた。


「あ、うん。——そうなのよ。ほら、トイレットペーパーって、無くなっちゃうと困るでしょう? もうお隣の奥さん、すぐに切らしちゃうんだから」


「どんだけドジなんだよ。ってかさ。我が家にお隣のトイレットペーパー予備を備蓄してやったらいいじゃないか」


「また、そんな冗談。こんな田舎なんですよ。お隣とは仲良くしなさいって、お義母かあさんからの遺言じゃないの」


 夫はお義母かあさんの話題になると、すぐに閉口する。それだけ怖い母親だったのだろう。私はそれをいいことに、夫を黙らせる時には、必ず「お義母かあさん」という言葉を口にした。そうすると、話しがそこで突然に終了するからだ。


 なんとか夫の目を誤魔化しつつ、私はサンダルのまま、広い敷地内を横切って、隣の家に顔を出した。隣の奥さんは、今年六十になる。旦那さんも六十歳になって退職したようだが、今は第二の職場に勤務しているとのことだった。


「羽田さん。隣の髙橋です」


「あらまあ。例のアレね?」


「ええ。すみません。夫に見つかりそうになりましたけれども。なんとか。——どうぞ」


「確かに。それでは」


 私は羽田さんにトイレットペーパーを手渡すと、お互いに目配せをしてから別れた。

 私は、今通ってきた道をその通りに辿って自宅に帰る。それから、「ただいま」と夫に声をかけてから、小学五年生になる息子の部屋に足を運んだ。



 ***


 その日の夜——。夕飯の席で、私は夫に話を切り出した。


「ねえ、パパ。カツくんの学校の宿題で、カッコイイパパを作文に書くっていう宿題があるんですって」


 息子のカツヒコは、自分の大好物のハンバーグを頬張りながら「それな」と言った。


「え~。おれのカッコイイところって……。仕事しているところとか?」


「違う違う。家の中でのカッコイイところだよ」


 カツヒコの言葉に、夫は困惑したような表情をして、私に視線を向けてきた。


「家の中でのカッコイイことって言ったら、やっぱり家の管理をしている姿じゃない? 日曜大工とか……力仕事とか……」


「え! 嫌だよ。おれ、仕事でも疲れているのに。家でも何かさせられるの?」


「草刈りなんてどうかしら。ほら、我が家は先祖代々の家だから、こう、広いじゃない。敷地が——」


「嘘だろう? この敷地、どんだけ広いと思ってるんだよ~」


 ビールをあおって、夫は顔をしかめた。しかし、私は食い下がる。


「カツくんのためだと思って。そうだわ。草刈り機でも買いましょう。それなら楽じゃないの」


「草刈り機なんて、——え? いいの。そんな高価なもの、買ってもらえるの」


「もちろんよ。やってもらうんだもの。それくらいは」


 「なら、少し考えてもみないこともないけどな」と、夫はぶつぶつと口の中で何かを言っていた。私は息子に目配せをする。と、息子もニヤニヤと笑みを浮かべていた。



***


 ブウウンン——。ブウウウウンン——。

 夫が草を刈っている音が聞こえる。私は、ほくそ笑みながら、その様子を眺める。


『婦人部からの指令は必ず遵守すること。それが、あんたのためになるんだからね』


 嫁に来て十五年。亡くなる時まで彼女はそう言っていた。最初は、彼女がなにを言っているのか、よそ者の私にはわからなかった。しかし、ここで暮らしていく内に、その仕組みが理解できるようになってきた。


 私が住む町内会には、組織の中に婦人部会というものが存在する。その部会は、勿論、地域の女性たちが所属し、男性が口出しをできない領域なのだ。

 その婦人部会では、月に一度、部会員へ指令が下される。しかもその指令は回覧板もとい、『トイレットペーパー』に記されてくるのだ——。


 最初は困惑した。しかし、トイレットペーパーにミッションを印字するとは、それは都合のいい伝達方法だとすぐに気が付いた。なにせ、夫はトイレットペーパーについては、あまり関心がない。玄関の片隅にちょっと置いておいても、まったく気にも留める素振りがないからだ。

 部会員は、そのペーパーを一枚、我が家分をカットすると、すぐに隣の家に回す。読んだ後は、トイレに流してしまえば、証拠は残らない。


 月に一度のその指令を粛々しゅくしゅくとこなすことで、年度末には、その功績に応じた報奨インセンティブが付与されるという仕組みなのだ。その報奨インセンティブは、主婦には嬉しい現金——。夫や家族も知らないその現金の存在は、専業主婦たちにとったら、願ってもいない宝物だった。


 今月のお題は、『家庭内の男性(夫、父、息子、兄弟等。いない場合は、自分で)に敷地内の草むしりをさせること。景観を美しく。出た雑草の量に応じてポイントを付与する』というものだ。


 我が家は、隣の家よりも敷地が広い。ずっと雑草を育てておいて(放置しておいて)幸運だった。


 ——これなら、今回の指令は、うちが一番かも! いや。しかし、かどの橋本さんの家もなかなかよね。いやいや。あそこの旦那、草むしりなんてするタイプじゃないわ。裏の池田さんの家もなかなかだけれども、あそこは息子さんが仕事忙しいからね。期限までに草刈りができるかわからないわ。うん! やっぱりうちが一番じゃないかな。


 息子には、口車を合わせてくれる見返りに、新しいゲームのソフトを買ってあげる約束をした。必要経費のことも考えると、なんとしても上位三位には食い込みたいところだ。先月の神社掃除の際には、参加しなければならなかった息子が、突然体調を崩したため、うまくポイントをゲットすることができなかった。子どもは致し方がない。でも今回は違う。うまくおだてて夫を使っておけばいいのだ。

 

「父さん、すげえ~」


 少し離れたところで、棒読みの感想を述べている息子に「そっかな?」なんて照れている夫が、本当にお馬鹿さんに見えて、愛らしくも思える。


 婦人部のミッションは、なかなか難しい。だけれども、それをこなしていくと、こうして家庭円満。家族が仲良くなれるという成果も得られる。更には、年度末に数十万円単位の報奨インセンティブが——。


 死んだ義母とは、なにもなかったわけではなかったけれども、今となっては、彼女の言葉は身に染みる。私は義母に感謝しながら、今日もトイレットペーパーの密書を待つのだ。




—了—

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