第59話 ナンパ

「もう歩いて平気なの?」


「うん。熱中症じゃなくて本当に寝てただけだから。むしろスッキリしてるくらい」


「スッキリねえ」


 疑いの眼差しを向けられてドキッとしてしまう。

 シコ太郎との下トークだとスッキリはもはやそういう意味になるのは仕方がない。でも、あの仁奈になさんがスッキリをそっち方面に捉えるのはギャップがあってとても興奮する。


「でも本当に心配したんだから。突然眠ったように……本当に寝てたみたいだけど目を開けなくて」


「あはは。水泳の授業のあとって眠くなるじゃん? そんな感じかな」


 場を和ませる冗談のつもりで放った発言に怪訝な目を向けられてしまい恐縮する。

 仁奈になさんは本当に僕の身を案じてくれていたみたいだ。


「心配掛けてごめん」


「わかればよろしい。せっかくお姉ちゃんに彼氏ができたのに、砂に埋められて最期なんて笑えないもん」


「だよね。生きててよかった」


「なんでもできちゃうお姉ちゃんがさ、珍しく焦ってたんだ。必死になって砂をかき分けて、純浦すみうらくんを引っ張り出して」


「そうなんだ。そんなこと一言も言ってなかった」


「うん。わたしから言ってもいいのかわからないけど言っちゃった」


「僕は何も知らなかったことにしておくよ」


「さすがお姉ちゃんの彼氏。わかってる」


 きっと里奈りなは僕に心配を掛けまいと平静を装っていた。ちょっとエッチな雰囲気にしたのも不安と照れを隠すため。

 優雅に泳ぐ白鳥が水面下では必死に足をばたつかせるように、大変なところは他人に見せない。


「僕にくらいは、見せてくれてもいいのに」


「ほんとにね」


 隣を歩く仁奈になさんと手が触れて、瞬間、どちらともなく少し距離を保つ。

 人が多いせいで自然と近付いてしまっていた。


 妹の仁奈になさんと彼氏の僕。立場の違う二人の意見が一致する。

 たったそれだけのことなのに不思議と胸がざわついた。


「あ、ここはわたしが支払うから。おごりとかじゃなくて、あとでちゃんと計算するから気にしないで」


「うん。お願い」


 さらっと言ってのけたけど内心では胸を撫で下ろした。

 よく考えたら僕、財布を置いたまま買い出しに来てしまっている。


 これじゃあまるで仁奈になさんと二人きりになりたかったみたいじゃないか。

 里奈りなあたりは勘が鋭いから置きっぱなしの財布に気付くかもしれない。


 小バカにされるならまだいい方で、寝取られの予兆みたいに捉えられてしまったら面倒だ。


「あ~。やっぱりまだ混んでるね。さっきよりも人が増えたかも。あ、はい。ありがとうございます。これがわたし達の番号だよ。受け取りの時に必要だから」


 すでに2度目の仁奈になさんはこの海の家のシステムを理解していて、店員さんから渡された番号札を軽やかに受け取った。


「海で食べるカレーとか焼きそばって3倍くらいおいしいからね。この香りに誘われるんだよ。きっと」


 ぐ~~~っとお腹が鳴ったけど、周りがざわついていてたぶん仁奈になさんには気付かれていない。

 もしかしたら僕と同じようにお腹を鳴らしているのかも。

 基本人混みを避ける僕も、こういう喧騒は不都合なものを隠してくれるからたまに恋しくなる。


「注文してお会計を済ませてカウンターで受け取る形式だから、純浦すみうらくんは先に待っててもらえる? たまに品物の方が先に出るみたいなの。」


「え……じゃあ一人で来ると」


「番号札はあるんだけど、たまに間違えて持ってかれちゃうみたい」


「まあ、こんなところにぼっちで来る人はいないか」


「そういうこと。だから分担が必要なの。はい、これ」


「了解。一人で持てそうなら僕が持つから」


「お姉ちゃんにカッコいいところを見せたい?」


「そ、そういうのじゃないから」


 ここでハッキリと否定せず言いよどんでしまったのが回答みたいなものだ。

 両手で器用に人数分のフードを持って帰ったらちょっと男らしい。


 自分の中に生まれた勝手な頼れる男像を実現したいだけのワガママだ。


 支払いは男性で受け取りは女性という人が多いみたいで、受け取り口の周りは水着のお姉さんでいっぱいだった。

 比較するものではないと頭では理解しつつ、脳内で彼女と比べるとやっぱり里奈りなのボリュームは圧倒的だ。


 それはつまり双子の妹である仁奈になさんも同じなわけで、会計をするために並ぶ仁奈になさんにしつこく声を掛ける二人組の男が目に入った。


 支払いを済ませるまでは逃げるわけにもいかず、数多の告白を断ってきた仁奈になさんも見知らぬ年上の男性にはその冷たさを発揮できないようだ。


「58番のお客様お待たせしましたー」


「はやっ!」


 さっき注文したばかりなのにもう出てきた。たしかに役割分担していないと混乱しそうだ。

 仁奈になさんが注文したのは焼きそば2つにカレーライスが2つ。トレイは1つに収まっているので一人でも持ち帰れる分量だ。


 だけど……。


 僕は他の誰かにこのトレイが持っていかれないことを祈りながら番号札を握りしてめて会計列へと向かった。

 ナンパ男もさすがに会計を済ませるまでは強引に連れ出すことはできないはず。


 仁奈になさんが会計を済ませた瞬間が勝負だ。


「僕の彼女なんで」


「え?」


 店員さんからレシートを受け取った右手を掴み、周りから見たら僕の方が強引に連れ出していると思われても仕方がない勢いで走り出す。


「あ、おい!」


 待てと言われて待つのはしつけられた犬くらいだ。

 追いかけてこられたら下手すればケンカになるかもしれない。

 

 イヤな想像ばかり膨らんでうまく走れない。今にももつれそうな足を必死に前へ前へと動かして海の家をあとにした。


「ごめん。彼氏なんて」


「ううん。ありがと」


 チラリと後ろを振り返ると、今のところ僕らを追いかける人影は見えない。

 さすがにこれだけ他人の目がある中でトラブルを起こす気はないんだろう。


 本当はすぐさま里奈りなと爽井くんの待つパラソルまで帰りたいとろこだ。でも、万が一こっそり後を付けられていたら面倒なことになる。


「ちょっとだけ遠回りしていい? 念のため」


 仁奈になさんは無言で頷いた。

 握った手は小刻みに震えていて、このまま離してしまうのは胸が痛む。

 だけど、彼女以外の女の子といつまでも手を繋いでいるのは浮気みたいで心苦しい。


パラソルの近くに行くまで、このままでいい?

 

仁奈になさんに答えを委ねるのはズルい気がして、僕はこの問を飲み込んだ。


手にじんわりと汗をかいているのはこの暑さのせい。僕は恐い思いをした彼女の妹を守っているだけ。


自分にそう言い聞かせながら二人きりの時間を過ごした。

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