第42話 オオカミ

「てるー! おつかれー!」


 待ち合わせ場所の正面玄関前で大きく手を振る僕の彼女。 

 その動きに連動するように胸が揺れる光景は何度見ても慣れない。

 ちゃんと目を見て言葉を交わしたいのについ胸元に視線が行ってしまう。


里奈りなもおつかれ。僕はもうボロボロだよ」


「どうする? おっぱい揉む?」


「いや揉まないよ?」


てるは大きいおっぱい嫌い?」


「好きだけどここで揉むのは不適切だから!」


「さすがてる。あたしの誘惑に理性で打ち勝つとは」


「先生とかに見つかったら大変なことになるからね」


「ざーんねん。今日はオオカミになっても受け入れてあげようかなって思ってたのに」


 どこまで本気かわからない笑みを浮かべて僕を挑発する。仁奈になさんの誘惑には簡単に流されたのに、付き合っている里奈りなの誘惑にはブレーキを掛けてしまう。

 

 もちろん場所がその理由の一つにはなっている。でもそれ以上に、強引なことをして嫌われたくないという気持ちが強い。


 それだけ僕は里奈りなに真剣なんだ。自分に言い聞かせるように雑念を振り払う。


「そうだ。実はこのあと仁奈になさんと爽井さわいくんが来るんだけど」


「おっ! ちょうどこっちに向かってるよ。おーい!」


 手を胸の前で小さく振って妹を迎える。さすがにこれくらいの動きで胸は揺れなくて、僕以外の男にはちょっとガードが固めなのかと思うと嬉しくなった。


「ごめんねお姉ちゃん。本当は二人で帰りたかったでしょ?」


「大丈夫。明日も明後日もチャンスはあるんだし。ダブルデートの続きってことで」


「そのことなんだけど」


「ん?」


 部活の疲れを感じさせない陽の空気を生み出し続ける里奈りなに臆することなく爽井さわいくんが声を上げた。

 

「えーっと、実は仁奈になと付き合うことになりまして。背中を押してくれた里奈りなさんにはご報告を……」


「おめでとう! いやー、よかったよかった。変な男を選んで泣く妹は見たくないからね。爽井さわいくんなら安心だ」


 バシバシと親戚のおじさんのようなテンションで爽井さわいくんの背中を叩く里奈りな

 その笑顔にウソ偽りはないように見える。

 妹に彼氏ができたことを本当に喜んでいるようだ。


「がふっ! げほっ!」


「お姉ちゃん、星太せいたが苦しんでる」


「ほほう。もう名前呼びですか。あたし達より早いペースで進んでますまなあ。ね?」


「ぼ、僕らは僕らのペースでいいだろ」


 これはキスとかしてもいいというお誘いの合図なのか、それとも妹の前で彼氏をからかっているだけなのか、どちらの可能性も否定できないから困る。


「こんなお姉ちゃんだけどこれからもよろしくお願いします」


「お願いされました」


「ちょっとちょっと。なんかあたしの扱いがペットみたいじゃない?」


「はは。純浦が飼い主になってる姿は想像できないな。やっぱり里奈りなさんが飼い主だよ」


「さすが仁奈になの彼氏。わかってるー!」


「いや、わかってないから」


 双子の姉妹とその彼氏が二人。お盆や正月に両家が集まったようなテンションで僕がイジられる。

 リアル親戚のおじさんに彼女がどうとかってイジられるのは不快だけど、このメンバーなら不思議と楽しい。


てる、はいお手」


「わん! ってバカ」


 差し出された手に触れたくてついお手をしてしまった。

 何度も手を繋いでその感触とぬくもりを知っているはずなのに求めてしまう。

 

星太せいた、お手」


「…………わん」


 姉と同じように手を差し出すと、爽井さわいくんは照れくさそうにその上に自分の手をぽんと置いた。

 拒否されると思っていたのだろうか、自分でお手を命じた仁奈になさんも顔が赤くなっている。


「初々しいね~。ニヤニヤしちゃうね~」


「おっさんみたいな反応やめろ」


「えー? だって妹が男子を手玉に取るなんて今までじゃ考えられなかったから。成長が嬉しくて」


「て、手玉に取るとかじゃないから!」


「うんうん。あたしは仁奈にな爽井さわいくんに首輪を付けても受け入れるから安心して」


「しないよそんなこと!」


 むくれながらポカポカと姉を殴る姿がとても微笑ましい。

 僕以上に犬ポジションに認定された爽井さわいくんは苦笑いを浮かべていた。


「それじゃあお姉ちゃん、わたし達はちょっと遅れて帰るから先に行ってて」


「え? まさか夜の学校で……お姉ちゃんさすがにビックリだ」


「違うから! 二人に気を遣ってるの」


「なるほど。二人きりで帰りたいと。オッケーオッケー」


「もう! 純浦くん、早くお姉ちゃんを連れていって」


「は、はい」


 忠犬のように指示に従い里奈りなの手を取り足早に校門へと駆けた。

 別に4人で一緒に帰っても構わない。


 それでも二人きりになれるチャンスが訪れて、僕は迷わずそれを選んだ。


 昨日キスした女の子が平然と他の男と付き合っている。

 この状況に妙な興奮を覚えてしまって、できることなら発散させたい。


 そんな欲望がむくむくと膨れ上がった僕は、自分でも信じられないような行動力を発揮した。


「それじゃあまた明日」


「え? ちょっ、てる?」


 挨拶もほどほどに済ませて彼女を連れ出して、無言のままスタスタと早足で帰路を行く。

 すでにほとんどの生徒が下校して閑散とした通学路はカップルにとっては好都合な場所だった。


「……里奈りな、言ったよね。今日は受け入れてくれるって。そういう気持ちになってるってことだよね?」


「…………」


 ひと気のない路地裏に入り、コンクリート塀に彼女を押さえつける。

 見る人が見たら犯罪者だ。


 だけど大丈夫。僕らは恋人で、相手もその気になっている。

 ちょっと恥ずかしいだけで罪に問われるものではない。


 昨日の練習の成果を早速見せるんだ。

 仁奈になさんと爽井さわいくんに先を越される前に、里奈りながお姉ちゃんとしての威厳を恋愛でも保てるように。


「ごめん。今のてるだと、そういう気持ちになれない、かも」


「あ……」


「先に帰るね。ほら、勉強会であたしは先生だから予習もしないと。うん。また明日」


 バスケで鍛えた身のこなしでするっと僕のガードから抜け出すと長い髪をなびかせて颯爽と夜道を去っていった。

 全力で走ってもどうせ追いつけない。だから仕方がない。

 

 自分に言い訳をして、みるみる小さくなっていく彼女の背中をただ見届けるしかできなかった。

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