第40話 釣り合い

 仁奈になさんと爽井さわいくんが体育館を飛び出してから十分ほどが経過しただろうか。

 二人のことが気になりつつも更衣室で着替えを済ませて防具の準備をするも、どちらの部も活動が始まる気配はない。


 顧問の先生もテスト前で忙しいためほとんど顔を出さないのは周知の事実だ。それがこの状態を継続させる要因になっている。


「こういう時こそシコ太郎の出番なのにな」


 クラスは一緒になったことはないけど下手なクラスメイトよりかは過ごした時間は長い剣持けんもちが残念そうに言った。

 

「今日は吹奏楽部の取材とか言ってたな。あいつは人のプライベートに足を踏み込みすぎるからちょうど良い」


「ちぇっ! やっぱり彼女持ちは反シコ太郎になるんだな」


「そういうわけじゃなないから。シコ太郎には感謝してる」


「まさか、彼女のあられもない姿をシコ太郎に……っ!」


「頼まねーよ! 最悪の彼氏じゃねーか!」


「冗談だよ。ま、自分の彼女がシコ太郎のターゲットにされたらイヤって気持ちはわかるぞ。彼女いないけど」


剣持けんもちに良心が残ってる証拠だよ。大丈夫、お前はきっと彼女ができる」


 苗字が剣持けんもちだから剣道を始めたという掴みにピッタリのエピソードを持っているだけじゃなく、小学生の頃からやっているだけあって実力も確かだ。


 爽井さわいくんみたいにアイドル的な人気はなくても絶対一人くらいは剣持けんもちに想いを寄せている子はいると思う。


「だな。純浦すみうら双海ふたみ姉と付き合ってるんだもんな。オレだって彼女できるわ」


「なんか遠まわしにバカにしてない?」


「してないしてない。奇跡は起きるんだなって実感してるだけだ」


「うっせ」


 実際奇跡みたいな出会いだったけど人から言われるとモヤっとする。

 でも、こうして誰かと話している間はキスのことを忘れられた。


「おっ! 爽井さわいが戻ってきた」


 あくまでもキスの相手がこの場にいなければの話だ。

 本人が目の前にいれば嫌が応にも唇を意識してしまって、何も触れていないはずなのに感触が蘇ってくる。


「おいおい。手繋いでるぞ」


「マジだ……」


 一方的に腕を掴んで体育館から出ていって、戻ってきたらお互いの意志で手と手が繋がれている。

 僕らが見ていないところで何があったかは想像するしかないけど、その結果だけはすぐに予想できた。


 静寂が二人を見守る中、僕の方へと歩いてくる。

 経験はしたことないけど、娘が彼氏を連れてきた父親の気持ちはこんな感じだろうか。

 自分が何かをするわけではないのになぜか緊張する。


純浦すみうらだけにはちゃんと言っておこうと思って」


「お、おう。剣持けんもち……剣道部の友達がいるけどいいか?」


 爽井さわいくんが目配せすると仁奈になさんはこくんと頷いた。

 このやりとりを見るだけでもう十分言いたいことは伝わっている。


 でも、本人が僕に言うことを選択したのだからその気持ちはしっかり受け止めなければならない。


「いや、オレはお邪魔みたいだし……」


 緊張感に耐え切れなくなったのか剣持けんもちはそそくさと体育館への隅へと走り去っていった。

 僕も同じ立場ならそうしていると思う。


 どんどん小さくなる剣持けんもちの背中を見て、どこかに居るであろうこいつに想いを寄せる女の子がこの姿を見ていないことを願った。


「ごめんね。わたし達のことで迷惑かけて」


「ううん。先生も来ないからみんな野次馬根性丸出しなのが悪いんだよ」


「はは。そう言ってもらえると気が楽だ。ま、純浦すみうらの方が大変だったけどな」


「あの時は大変だった……。でも、それと同じ道を爽井さわいくんは進むんだよね?」


 爽井さわいくんは首を縦に振った。

 遠くから見るだけで満足された里奈りなと違って、仁奈になさんは何人もの男子に告白されている。実際に恋愛対象として見られているのは姉妹の中でも仁奈になさんの方。


 僕なんかより遥に人望のある爽井さわいくんでも、仁奈になさんと付き合い始めたら僕以上に嫉妬されるかもしれない。


 仁奈になさんは仁奈になさんで、体育館にまで応援にくる爽井さわいくんのファンに恨まれるかもしれない。


 そんな修羅の道を爽井さわいくんは進む決心をして。仁奈になさんもそれを受け入れた。


仁奈になが陰口みたいなことを言われてるのに我慢できなくてさ、つい勢いでまた告白しちゃったんだ」


「これは笑っていいとこ?」


「どうだろうな。あとから思い返したら笑い話にしていいかもな」


「じゃあ今は笑わないでおく」


「さすが、俺にとっての恋愛の先輩だ」


「全然先輩じゃないから」


仁奈になのお姉さんと付き合ってるなら先輩だよ」


里奈りな仁奈になさんは全然タイプが違うから何もアドバイスできないからね?」


 たぶんみんなの印象では里奈りなが積極的で、仁奈になさんが奥手だと思う。

 だけど現実はその反対。たしかに里奈りなの行動は刺激的だけど、男女のスキンシップでは仁奈になさんの方が扇情的だ。


 僕が言った『タイプが違う』と、爽井さわいくんが受け取った『タイプが違う』はきっと認識がズレていて、それでもお互いに納得してしまう。


 隠し事をするのはモヤモヤするけど、それがオトナになるということなら耐えてみせよう。

 仁奈になさんに彼氏ができて、僕は里奈りなと対等な素敵な彼氏になる。


 寝取ったり寝取られたりしない。健全な男女交際が始まるんだ。


「まあ、とにかく、俺と仁奈になは付き合うことになった。純浦すみうら里奈りなさんが気を遣ってくれたおけだ。ありがとう」


「ううん。僕は何もしてない。ちゃんと告白して想いを伝えた爽井さわいくんの力だよ」


「ごめん純浦すみうらくん。ちょっと恥ずかしいかも」


「え……」


 そんなにカッコをつけたつもりはないのに、仁奈になさんに指摘されてちょっとキザだったかなと反省した。

 里奈りなと付き合う前の僕なら絶対に言わないようなことを口走ってしまったのは、きっと彼女の影響だ。


「今、付き合うって言った?」


「はぁ……やっぱり胸か」


「でもさ、双海ふたみさんなら仕方ないかって思わない?」


「まあね。釣り合いは取れてるかな」


 竹刀がぶつかる音やバスケボールの跳ねる音がしない体育館の中に女子の小声がよく響く。

 わざと本人達に聞こえるようにしているかは定かではない。

 ただ、事実として僕らの耳に彼女達の声はしっかりと届いていた。


「だってさ、意外とどうにかなるもんだね」


「それは仁奈になの人徳だろ。俺はどうかな……」


爽井さわいくんなら大丈夫だよ。僕ですらもうほとぼりが冷めてるし」


「そうか? 剣道部の部長さん、修羅の顔してるけど」


「え?」


 振り返ると、そこには里奈りなと付き合い始めた時と同じ顔をした部長が立っていた。


「これから夏に向けて気合を入れる時期に彼女ができて浮かれやがって」


「浮かれてません! 直近で彼女ができたのはバスケ部の爽井さわいくんで」


「問答無用! ふぬけの純浦すみうらを鍛えるぞ!」


「「「おおおおお!!!!」」」


 剣持けんもちまでが部長の掛け声に賛同して雄たけびを上げていた。

 こいつら、適当な理由でモテない鬱憤を晴らしたいだけだ。


 ここで冷静になって僕を助けてくれれば女子からの評価が上がったかもしれないのに、残念ながら剣持けんもちはバカな男子の一部と化してしまった。


「ふふ。よかったね。強くなれるチャンスだよ」


爽井さわいくん、キミの彼女が恐ろしいことを言ってる」


「ストイックなんだよ。じゃ、剣道の練習頑張って」


「うん。星太せいたくんもね」


 星太せいたくん? ああ、爽井さわいくんの名前か。

 ずっと爽井さわいくんと呼んできたので下の名前を意識したことなかったな。

 っていうか、早速名前で呼び合ってるのか。


 こりゃキスもその先も仁奈になさん達の方が早いかもしれないな。


「それじゃあ純浦すみうらくん、稽古頑張ろうっか。純浦すみうらくん対剣道部員全員の掛かり稽古。何人抜きできるか楽しみにしてるね」


「止めてくれないの?」


「お姉ちゃんなら喜んで受けて立つよ思うよ?」


「……ガンバリマス」


 彼女を引き合いに出されては逃げるわけにはいかない。

 部活は違えど、里奈りなならきっとどんな困難にも立ち向かい、トップの実力を見せつける。


 僕に彼女ができたからこんな状況になっていると同時に、彼女ができたから挑戦する気になっている。


 早く周りから釣り合いが取れているカップルだと認めてもらいたい。

 その一心で僕は一人ずつ部員と戦った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る