第21話 ぶらぶら

「おお! 広い!」


「あれ? てるく……てるはここ初めて?」


「うん。こんな大きな本屋があるって知らなかった」


 数年前にできたショッピングモールの一角にある巨大な書店はその蔵書量で僕を圧倒する。

 たまに漫画を買うくらいならこんなに大きな本屋に来る必要はないので、見たこともないような分厚い専門書や普段読まないジャンルの漫画が並ぶ本棚がいくつも立っているのは新鮮だった。


「高校生の問題集ならここまで大きな本屋さんじゃなくてもいいんだけど、なんかこういうところで買っただけで頭が良くなった気にならない?」


「わかるかも。めちゃくちゃ難しそうな本と一緒に並んでるし」


「そそ。テストで満点を取るためにはしっかりと勉強することと最後は気持ちだと思うんだよね」


「まさか里奈りなさ……里奈りなが精神論で学年1位になってるなんて思いもしなかった」


「だ・か・ら。てるもここで問題集を買ったら1位になれるかもよ?」


「ライバルに塩を送ってもいいの?」


てるになら負けてもいいかな。彼氏だし。でも仁奈になには負けないから。お姉ちゃんだし」


 里奈りながちゃんと妹の仁奈になさんを意識してくれていてホッとした。

 僕との戦いに意識が集中して妹の存在がないがしろにされたら悲しいし、仁奈になさんの努力が空振りになってしまう。


「高校生向けの問題集コーナーはあっちだよ。あたしは英語を買うんだけどてるは?」


「んー。僕も英語にしようかな。あと数学」


てるは理系?」


「かな。選択科目も理系を選んだし」


「そっか。だから選択でてるに会わないんだ。あたしは文系なんだ」


里奈りななら文系でも理系でも体育会系でもいけそうだけどね」


「じゃああたしも今日から理系になろうかな。そして保健体育は二人きりで……」


「そ、そういうのは男子側のセリフだから!」


 隙あらば下ネタをぶっこんでくる僕の彼女はニヤニヤと笑みを浮かべている。

 シコ太郎と下会話をしている時は恥ずかしくないのに、彼女とだとこの程度でも照れてしまう。


 リアクションとしては逆になってる方が可愛らしいと思うんだけど里奈りなにそれは通じない。


「うーん。でも真面目に今から理系になろうかな。別に文系で何かを目指してるわけでもないし、それならてると一緒の方がモチベ上がりそう」


「前にドラマで見たんだけどさ、女子は彼氏がいると一緒に頑張れて、男子は彼女がいると悶々として勉強に集中できないんだって」


「じゃあその悶々とした気持ちを保健体育で……」


「まだしないから! 保健体育は一旦置いておいて、里奈りなとずっと一緒だと僕が甘えちゃって逆に成績が下がる可能性あるかもって」


「ドMのてるはあたしにスパルタ家庭教師になってほしいと?」


 タイトスカートとブラウスをまといメガネを掛けた里奈りなが勝手に頭に浮かぶ。

 胸元からはブラのフリルとチラリと見えて、隠す気が全くない谷間へと視線が奪われていく。


 最初は向かい側に座っていた里奈りな先生は僕のできなさに痺れを切らして隣へと移動する。

 おっぱいを押し付けられてさらに集中力を欠いた僕はミスを連発。


 勉強に集中できないのはこのせいかな? なんてイタズラな笑みを浮かべて先生の手が股間に……。


てる、顔赤いよ?」


「はっ!」


 妄想が捗り過ぎて別世界に意識が飛んでいた。

 お互いにちゃんと両想いになるまでそういうことはしないと心に決めたのに、油断するとつい想像してしまう。


 っていうか妄想の中で里奈りなが先生で僕が生徒だった。僕も心のどこかで年下シチュエーションを望んでいるのだろうか。


「エッチな妄想でもしてたのかな?」


「ち、違うし」


「えー、違うの? てるの頭の中があたしでいっぱいになってたら嬉しかったのに」


里奈りなでいっぱいなのは否定しない」


 なんだか恥ずかしいセリフな気がしてつい視線を逸らしてしまう。

 里奈りな里奈りなで僕の返答が意外だったらしく、チラリと顔を見るとほんのり赤に染まっていた。


「さ、さーて。仁奈になに負けないためにも問題集を選ばなくちゃ」


「うん。オススメがあったら教えて」


「任せたまえ。あたしが彼女先生になってあげよう」


「ところで里奈りな仁奈になさんの先生になったりしないの?」


「んー。しないかな。あたしからだと押しつけがましいし、仁奈にな仁奈になで頑張ってるみたいだから水を差したくないなって」


「そっか」


 仁奈になさんからすれば里奈りなは倒すべき強敵なわけだから教えを乞うのはイヤだもんな。その辺の気持ちをちゃんと汲んでいるのは良いお姉さんだ。


「でもでも、あたしが伝授したテストテクニックを仁奈になに教えるのはアリだよ。てるが勉強できるってわかれば仁奈になも惚れるかも」


「それはないでしょ。仁奈になさんはもう爽井さわいくんと……里奈りな、ちょっとこっちのコーナー見ていい?」


「え、いいけど……?」


「剣道の本なんてあるんだね。これを読んで稽古したら強くなれそう」


仁奈になにカッコいいところを見せられるね」


「僕は里奈りなに見てもらいたいかな」


 我ながら機転の利いた誤魔化しだと思う。

 たぶん里奈りなは気付いていない。


 ずっと片想いしていたからこそ人混みの中でも瞬時に見つけられた。


 まさか仁奈になさんと爽井さわいくんもこの本屋に来ていたなんて……。

 それも僕らと同じ高校生向け問題集のコーナーに向かっているみたいだった。


 偶然鉢合わせるにしても目的地が同じならしばらく一緒の空間で時間を共有することになる。

 さすがにそれは気まずい。それにいつの間にかお互いに呼び捨てになっているのを仁奈になさんに聞かれたくなかった。


 彼氏彼女なら別に普通なのに、なぜか親密になったことを知られたくない。

 きっと相手が彼女の妹だからだと自分の中で強引に答えを導き出した。


「ごめんてる。ちょっとお手洗い行ってきていい? この辺でも問題集でも好きなところをぶらぶらしてて」


「あ、うん。剣道の本もたくさんあるからたぶんここにいるよ」


てるってばやっぱり男の子だね」


「へ?」


 意味深な言葉を残して里奈りなはお手洗いの方へ駆けて行った。

 天井から案内板がぶら下がっているけど、あの指示に従うとどれくらいで到着するのだろうか。

 パッと見渡した限りだとだいぶ離れた場所に位置していそうだ。


「…………」


 念のため股間を見下ろすと特に張り切っている様子はなかった。

 里奈りなのことだからここを見て男の子と言いそうと考えたけど、思い過ごしだったようだ。


「部活のやる気を出したからかな」


 部活に精を出すのに性別は関係ない。仁奈になさんだって剣道を頑張っている。

 そして里奈りなはバスケ部で大活躍だ。


「男の子、か」


 最終的には子の部分が引っ掛かってモヤモヤする。

 里奈りなはどこかで僕を子供扱いしている。実際まだ子供ではあるんだけど、同い年の彼女からの子供扱いはちょっと傷付く。


「あれ? 純浦すみうらくん?」


 そんな傷付いた心にじんわりと染みわたる彼女と同じ声。

 同じなのに甘い優しさと負けず嫌いな辛味が足されたようなスッキリとした耳ざわりが心地良い。


「今日お姉ちゃんとデートなんじゃないの?」


「うん。……ちょっとお手洗いに」


 『里奈りなは』と言い掛けたところでグッと言葉を飲み込んだ。他の知り合いの前で彼女を呼び捨てにするのはやっぱりまだ早い。恥ずかしい。それに……。


 言葉で言い表せない複雑な感情が自分の中で芽生えた。

 でも、これはきっと気付いてはいけない感情で、僕らが幸せな未来に辿り着くためには蓋をしなければならない。


 ちょっと遠い場所だとしてもすぐに彼女は戻ってくる。

 

 たまたま偶然、彼女の妹と出くわしてしまっただけ。

 軽く挨拶をしてやり過ごせばいい。


 それなのに、彼女の妹は笑顔で言った。


「わたしは問題集を買ったんだ。今度こそお姉ちゃんに勝つよ」


 英語の問題集を手に、僕が好きになった負けず嫌いなところを全面に押し出した。

 揺れてはいけないはず、揺れらしてはいけないと決めたはずのが心がぶらぶらと揺れる。

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