第40話 あてがはずれる

 帝都ロンディニウムの西側にある貴族街の一角、ガードナー伯爵家の邸宅において、その人物は悲劇役者かのように嘆き悲しんでいた。


「ああ、なんたること! なんたることでしょう! あの罪人が栄誉を授かるだなんて、そのようなことが許されてしまうだなんて!」


 悲劇役者の名はグラディス=ガードナー。彼女は愛する息子と忠実な使用人たちの前で、この世の不条理を大いに嘆いていた。


「マレット家に呪いあれ! メイナード家に災いあれ! ひと時の利益のために罪人を持て囃すなど、貴族としての名折れ! 恥を知りなさい!」


 グラディスの嘆きはつまるところ、ノエルという人物が評価されたことに対する苛立ちに収束する。ノエルを含む『知られざる英雄号』が、大陸周回競技で優勝したことが気に食わないのだ。別にノエルが評価されたからと言ってグラディスに何か損があるわけではないのだが、グラディスの中でそれは決して許されないことだった。


「母上、落ち着いてください」


 そんなグラディスを見かねたのか、息子のクインシーが気遣わしげに声をかける。


「なんですクインシー! まさか貴方まであの者を持ち上げようというの!?」


 先ほどまでよりさらに一段と深い嘆きを浮かべて息子に縋るグラディス。クインシーにはノエルを擁護する意図など無いというのに、それを確かめる前からこれである。今後も会話が成り立つのか甚だ疑問であった。


「そうではありません。兄上は単身で功績をあげたわけではないのですから、実際の功労は共にいた2人のものだというのは明白ではないですか」


 クインシーは別にグラディスに迎合して言っているわけではない。クインシーの中でもノエルの評価は非常に低いからだ。この家で家庭教師たちから聞いた様子や軍に入隊後の報告書を見ればそれは明らかではないか。


 実際のところ軍に入隊後の報告書は捏造されたものであり、何の参考にもなりはしない。また家においては家庭教師たちがグラディスの意向を忖度していたので、その報告もやはり参考にはならないだろう。


 もし参考になるとしたら軍学校での成績だが、こちらは当主であるコンラッドが隠蔽していた。クインシーと同等の成績だったため、グラディスに見せると煩いと判断されたためだ。結果としてクインシーもノエルの成績を知ることはできなかった。


「何を言うのです!? あの罪人と共にいること自体が罪なのですよ!? その者たちもまた罪人ではありませんか!」


 またしてもクインシーの発言意図からずれた返答を返すグラディス。とにかくノエルと関わったモノは全て貶めないと気が済まないらしい。それは勝手にすればいいのだが、全ての者がそれに同調しないと気が済まないのはどうにかして欲しい。最近はグラディスと顔を合わせないよう逃げ回っているコンラッドの気持ちが、よく理解できてしまうクインシーだった。


「ですから母上。その2人だけを評価してやって、待遇の良い仕事を用意してやればいいのです。そうすれば簡単に兄上から引き剥がせるでしょう?」


 もうグラディスの細かいこだわりには構わず、要点だけを告げるクインシー。たったこれだけを話すのに随分と気力を消費させられている。


「……でも、それではその2人にとっての罰がないではありませんか」


 ようやく少しは話を聞く姿勢になったグラディスに、内心で安堵の溜息をつきながら説得を続けるクインシー。


「その2人だけが幸せになり、兄上には何もない。その落差が兄上の心を痛めつけるのです。まとめて追い詰めると団結させてしまうかも知れませんし」


「それは許しません!」


 なかなか話を聞かない一方で、食いつく時は一瞬である。立派な貴婦人の形をしていても、中身は幼児と大差ない。半分ほどの年齢の息子にいいように誘導されている。


「私の友人の1人が今年から交易ギルドに勤め始めています。彼を通して手を回しますので、ご安心ください」


 クインシーとしてはわざわざそんな面倒なことはしたくないが、やらなければいつまで経っても母が煩い。今日のように折角の休暇を母に付き合わされて潰されるのは今回限りにしたいのだ。


「ええ、ええ、そうしてちょうだい。ああ、さすがはクインシーね。いいお友達を持っていて母は安心しました」


 ようやく落ち着きを取り戻した母の様子に安堵したクインシーは、手配のためという名目で母の部屋を退出する。ようやく解放されたクインシーの口からは、正直過ぎる感想が出た。


「そんなに気になるのであれば、ずっと手元に置いておけばよかったのだ。この家から出してしまえば、母上の思った通りになる保証など何もないではないか」


 これは至極当然のことで、ガードナー伯爵家から出した以上、グラディスにはノエルに対する直接的な影響力などない。当主であるコンラッドですらそれは変わらないのだ。


 無能なノエルを世間の荒波に放り込んだからといって、必ず悲惨な目に会うとは限らない。何らかの幸運に見舞われることだってあるだろう。その程度のこともグラディスには想像がつかないのだろうか。


「まあ、その点については私の見通しも甘かったと言えるがな」


 クインシーだとてノエルは野垂死ぬと思っていたのだから、あまり偉そうなことは言えない。だが大陸でも権威ある大会で優勝できるような人物に拾われるとは、随分な幸運を掴んだものである。


「だとしても、そう長くは続かないが」


 そもそもクインシーが動かずとも、ノエルの同行者たちは交易ギルドや同業者から引っ張りだこであろう。遠からずどこかに好待遇で迎えられるに違いない。後はノエルが間違ってどこかに拾われないよう気を配るだけでもいいくらいだ。


 ノエルの無能さは誰の目にも明らかなのだから、むしろそうならないほうがおかしい。そう結論づけたクインシーは、その前提に立って友人への依頼を出すことにした。具体的にはノエルの監視と、万が一誰かに雇われそうになった場合の阻止だ。それで充分なはずである。




 だが1週間後クインシーが友人から受け取ったのは、ノエルたち『知られざる英雄号』の一行が誰一人欠けることなくロンディニウムを出たという報せだった。


 その報せにより、クインシーの穏やかな休暇が消滅したのは言うまでもない。

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