第37話 たしかめる

 全てを見届けられる位置にいたローザにとって、その光景はあまりにも目まぐるしく変転した。


 ヴェラに撃たれたオーエンが倒れるより早く、ノエルがヴェラの身体を素早くも優しく左手で抱きとめる。上半身は精密に緩やかに動いているのに、下半身は烈風を巻き起こしながらオーエンの身体を蹴り飛ばした。ちなみにその高さはローザの身長を超える。しかもオーエンの身体は海面に落下するまでに、ノエルが右手に持った拳銃で8回撃ち抜かれた。なぜ8回かというと残弾が8発だったからだ。


 そして今ノエルは右手に持っていた銃を放り出して、ヴェラの首を気遣わしげに撫でていた。実にせわしない男である。


「首は痛みますか?」


「え? あ、ああ、ちょい痛いけど、どうっちゅうことはあらへんよ」


 状況の激変についていけないのはヴェラも同様のようで、いつの間にかノエルの腕の中にいるという事実に戸惑っているようだ。


 一方のノエルはといえば、ヴェラの顔をじっと見つめている。あるいは表情を観察していると言ったほうが正確か。いつもならばむしろ抱き潰す勢いで抱きしめるところなのだが、今回は違うらしい。


「え、えと、どしたん? ノエル」


「気分はどうでしょう? 吐き気などはありませんか?」


「あ、うん、大丈夫、やで?」


「本当に? 我慢していませんか?」


 常になく疑い深いノエルに対し、さすがにヴェラも疑問が抑えられなくなる。


「どないしたんよノエル? 心配してくれとんはわかるけど、ちょいしつこいで?」


 わずかに怒気を含ませた質問に対しても、ノエルは退く様子がない。相変わらずヴェラの観察を続けながら、静かな口調で答える。


「新兵がよくかかる病気になってないか、確認していたんです。後からくる場合も多いので、まだ様子を見ないといけませんが」


 ヴェラを刺激しないよう、語調や単語に気を使いながらノエルは懸念を説明した。正確な知識のないヴェラやローザも、それである程度ノエルの言いたいことを察する。


 初めて人を殺した者は、精神的な拒絶反応から体調を崩すことがあるという。全員がそうではないし、今回のように外見が似てはいても異種族の場合は起こりにくいとも言われているが、起こっても不思議ではない状況なのも確かだ。


 ただノエルの懸念は残念ながら全くの空振りだった。何故ならば、


「あー、えーと、それやったらその、心配はない、と思うわ」


「なぜそう思うんです?」


「えーとその、恥ずかしいやら退かれそうやらで、できたら言いたくなかってんけどな。心配かけんのが嫌やよって正直に言うんやで? 何が言いたいかゆうと、つまり、ウチさっきぶっ放したとき、その、濡れてもうたんよ」


「「は?」」


 ノエルとローザの目が点になる。それはそうだろう。何をどうしたらそんなことになると言うのか。2人の様子に焦ったのか、ヴェラはさらに説明を重ねる。


「なんでかは自分でもわからへんねんで? アイツをぶっ殺したいゆうのは前々から思とったし、ノエルと同じとこに立ちたいのも確かやし。わかってるんはアイツを殺った時に、ジュンって来てもうたいうことだけ。そやからまあ、心配ない、と、思う……ねんけど」


 確かにそれならば、拒絶反応を心配する必要はないだろう。別の心配をしたほうが良いかもしれないが。


「そ、そうですか……」


「さすがにドン引くね……」


 ヴェラの予想どおり、青い顔を引きつらせるノエルとローザ。ノエルはまだしも、ローザは物理的に距離を空けている。さすがにその対応は傷ついたのか、甘えた涙声でヴェラがノエルに問いかけた。


「だから言いたくなかったんやぁ……。ノエルぅ、ウチのこと嫌んなった?」


「いえ! そんなヴェラも素敵だと思います!」


 唐突に真顔になり、ヴェラを抱きしめるノエル。抱きしめられたヴェラは蕩けるような笑顔でそれに応える。


「えへへー。ノエルやったらそう言うてくれるて信じとったよ? 愛してるー」


「なんなんだよこの茶番は……」


 たった独り置いてけぼりを食らったローザの呟きは、潮風に乗っていずこへともなく消えていくのであった。




 日がすっかり落ち、満天の星空を見渡せるようになった頃。『知られざる英雄号』はフランシスの乗る『恒久の団結号』らしき灯火を水平線上に発見した。


「たぶんあれで間違いないと思うけど、どないかなローザ?」


 天測による座標計算と風の加護を駆使して目標を発見したヴェラは、望遠鏡を持ったローザに問いかける。


「灯火の配置からして間違いねぇな。よく見つけられるもんだ」


 探していた『恒久の団結号』はローザが設計した一品物なので、その特徴はローザが一番よく知っていた。遠目であっても間違うことはない。


「今日は精霊の機嫌がええねん。帆の立てる音が独特やからすぐ見つけてくれたんよ」


 ハーフリングの持つ風の加護とは、風の精霊の力を借りる能力だ。今回は遠くの音を運んでもらったのだが、術者の発想と精霊の機嫌次第で多種多様なことができる。魔術と区別するため魔法とも呼称されていた。


 魔法は魔術に比べると自由度が高く、呪文の詠唱が必要なく、本人の魔力に依存しないという利点がある一方で、他の属性と組み合わせられない、精霊の機嫌次第では効果が保証されない、効果の規模が魔術より大きく劣るという欠点もある。


 ちなみに以前ヴェラが宿から姿を消したノエルを追った際にも、風の精霊に匂いを届けてもらって追跡していた。ヴェラとしては犬みたいだしノエルに対策されても困るということで、今後もそれをノエルに説明する気はなかったりする。


 なおローザを始めとするドワーフは土の加護を持っているのだが、残念ながら海上に土の精霊はいない。そのためここしばらく土の加護を発揮する機会は全くなかった。


「では打合せ通り、十分接近したら突入します。後は合図があるまで離れていてください」


 目標を確認したノエルが、ヴェラとローザに声をかける。武装を整えた姿には先ほどまでの緩んだ雰囲気はなく、それどころか今までヴェラが見た事の無いほどの緊張感に包まれていた。


「なあ、ほんまに1人で行くん? そらウチはまだまだ足手まといやろけど……」


 それでもあえてヴェラは同行を申し出るが、ノエルの返答は変わらない。


「駄目ですよ。海賊風情にやられるほどではありませんが、今の僕は鈍ってしまってヴェラを守りきれません。奴らの身体で研ぎなおしてきます」


 実際にはノエルの腕が鈍ったというより、誰かを守る戦い方を知らなかったというほうが正確だ。そのことはノエル自身、嫌というほど把握している。だがだからこそ、守る戦い方を考案し身につけるまではヴェラを、仲間を同行させることはできない。


 それに今まで意識していなかったが、守る戦い方とはまさしく近衛騎士の戦い方だ。つまり異母弟であるクインシーが得意とする戦い方とも言える。実際はどうあれ、ここにいたのがクインシーであれば先ほどヴェラを危険に晒さずに済んだのではないかという思いが、知らずノエルの劣等感を駆り立てていたのだ。


「フランシスには悪いですが、もう一度僕の八つ当たりに付き合ってもらいます」


 それは始める前から結果のわかり切った、過剰殺戮オーバーキルの宣言だった。

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