第36話 おもいで
「今日は調子がいいですね」
何気ない日常のような言葉を口にしながら、ノエルは海賊たちの生命を刈り取っていく。揺れる船上での狙撃はやはり難しいが、今日はいつになく集中できている。ノエルが手にしている狙撃銃は射程距離といい威力といい申し分ないが、残念ながら弾数が30発もない。無駄撃ちをしないよう、慎重に狙撃を続ける。
「怯むんじゃねぇ! 構わず突っ込め野郎ども!」
本来であればまず相手の指揮官を狙うべきだが、ヴェラの提案であえて後回しにしていた。オーエンの指揮能力では、むしろ排除しないほうが海賊たちの混乱が大きくなるからだ。そして反撃能力を削ぐために、弓を構えようとしている者を優先して狙っていく。
「ちくしょう! このままじゃやられブファッ!」
撃たれている海賊たちは慌てふためき、身を伏せる者や船ごと逃げようとする者など様々だ。ノエルは逃げる者に構わず、向かってくる中で戦闘力の高そうな者を優先して撃ち抜いていく。やがて狙撃銃の弾が切れたとき、向かってくる海賊船には無事な者が数名しか残っていなかった。
「てめぇ! 卑怯だぞ! 銃なんか使ってんじゃねぇ!」
「は?」
声の届く距離に近づいたオーエンの第一声に、思わず気の抜けた返答を返すノエル。襲撃をかけてきた海賊相手に何をしようと卑怯も何もない。問答すら面倒なので拳銃を抜いて撃ち殺そうとしたところ、オーエンは予想外の行動に出た。巨体を縮めるようにして部下の陰に隠れると、そのまま海に飛び込んで離脱する船を追いかけ始めたのだ。
「えーと?」
「ノエル、悩んだらアカンで。あの男はだいたいいつもあんな感じや。欠片でも理屈が通じるとか期待せんほうがええ。それより、残りを片付けよか」
ヴェラの忠告に従い、気分を切り替えて周囲の生き残りに対して順番に銃弾を撃ち込んでいくノエル。例え重傷でも生者は反撃が可能なので、警戒の必要がない状態に変えていく。連続で鳴り響く銃声が収まると『知られざる英雄号』の周囲には波の音しか聞こえなくなった。
「逃げた奴ら以外は片付いたね。このまま先に進めば追っ手は振り切れるだろうけど、決着をつけに行くってことでいいんだね?」
「他はともかく、フランシスは片付けておきたいです。この短期間で手勢を集められる手腕は侮れません。かなり執念深い性格みたいですし、放っておくと後々面倒なことになります」
ローザの問いかけに、迷わず答えるノエル。今回の件はダリルが簡単に情報を漏らしたからこそ有利に事を運べたが、これが事前情報なしであればどうなっていたかわからないのだ。
「逃げた連中はもうほとんど見えへんし、もうちょっとだけ進んでから方向転換しよか。そしたら夜中あたりに見つけられるやろ」
「そうですね、それ……?」
瞬間、ノエルの背中に悪寒が走る。理屈ではない。直感が何らかの危険を訴えている。だが、それはノエルに向けられた危険ではない。だからこそ、鍛え抜かれた感覚でも察知が遅れた。狙われているのは……。
「ヴェラッ!」
ヴェラの背後の船べりに厳つい手がかけられた直後、水中から一瞬で巨体が船上へと持ち上げられる。ヴェラの背後に現れその首を掴んだのは、先ほど逃げたはずのオーエンだった。
「やっとだ、やっと迎えにきたぜぇ! 待たせたなぁ! お前は誰にも渡さねぇ!」
伸ばした左手でぶら下げたヴェラの身体を盾にして、右手で
「動くなよ小僧。ヴェラが指先から減っていくことになるぜぇ」
部下たちには傷つけないよう指示しておきながら、自分の場合は棚上げらしい。死んだ部下たちが聞いたら激怒しそうな脅しをかけて、オーエンはノエルを牽制する。
身動きを封じられたノエルは、表面こそ落ち着いているものの内心はかなり動揺していた。なにしろ今までの戦闘経験で人質を取られたことなどないのだ。正確には、人質を取られても気にしたことがないと言うべきか。仮に同僚が人質に取られたとしても、諸共に撃ち抜くよう命令が出る部隊だったのだから。じりじりと距離を取ろうとするオーエンをただ見ているしかノエルにはできなかった。
一方この状況ではオーエンにも余裕はない。何しろノエルには一度何もできないまま一方的に無力化されたのだ。憲兵やフランシスに事情を聴かれた時は接戦の末に敗れ、そのあと痛めつけられたと説明したものの、本人を目前にするとそんな欺瞞は吹き飛んでしまう。ヴェラという盾が無ければ逃げ出したいのが本音だ。
ノエルとオーエンのいずれとも離れていたローザもまた身動きが取れない。腰の後ろに固定した拳銃を手に取りたいところだが、オーエンの視界に入っているため迂闊なことはできなかった。また仮に銃を手にしたとしても、ヴェラに危険を及ぼさずにオーエンを撃つ自信はない。
そんな膠着した状況を動かしたのは、無力な虜になったはずのヴェラだった。
「ようやっと来てくれたんやな水夫長。いや、オーエン」
首を掴まれて吊り下げられているのだ。苦しくないはずがない。だというのに、ヴェラの声には紛れもない嬉しさが滲んでいる。まるで、待ち望んでいた恋人と再会したかのように。
「ヴェラ?」
「待っとったんよ。あんたがウチのところに来てくれるんを」
どんなことも自分に都合の良いように解釈するオーエンであっても、さすがに訝し気な声が出た。だがヴェラは構わず己の心情を告げる。
「前から思っとったんや。ウチの初めては、オーエンがええなって」
ヴェラの声は穏やかで、とても演技とは思えない。元々直情径行のオーエンが受け入れるのに時間はかからなかった。
「あ、ああ、そうだろうとも! 俺以上の男なんかいやしねぇ! お前の初めては俺がもらってやる!」
掴んだままのヴェラの頭を己のほうに向け、抱きしめるように引き寄せる。目の当たりにした表情は間違いなく笑顔。ただし、獲物を射程に捕らえた肉食獣の笑み。そしてはだけられた
「おおきにな、オーエン。一生の思い出にするわ」
向かい合った瞬間、ヴェラの小さな手には既に小型拳銃が握られていた。銃口は瞬く間に右がオーエンの顎下に、左が心臓に押し付けられる。
「気持ちよう
左右それぞれの拳銃から2度、計4発の銃声がオーエンの
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