第31話 いのちしらず

 シェリンガム辺境伯領の領都サウサンバルは、現在開催中である大陸周回競技レースの最初の停泊地である。各参加者はこの港に到着すると、そこから丁度1日が経過するまで出航できない。その間に各船は補給物資を積み込み、同時に乗組員が休息を取るのである。なお早めに出航するのは当然違反だが、遅れる分には罰則ペナルティはない。


 そのサウサンバルでも港にほど近い宿屋の一室で、ノエルたちは今後について話し合っていた。


「ええやんか、今んとこ4位やで。賞金が出るのは6位までなんやろ? メッチャ順調やん」


「まあ、序盤はアタイらみたいな小型船が圧倒的に強いからな。肝心なのは後半さ。小型船が次々に脱落するようになる」


「なるほど。ということはここからも油断はできませんね」


 出航から丸3日経過した時点で『知られざる英雄号』は4位につけていた。初出場としては快挙のように見えるが、実はあまり珍しい話ではない。ローザの言うように、序盤は元々の船足が早い小型船のほうが有利なのだ。これが後半になると、乗組員の疲労が溜まってきて調子を崩すというのが定番の展開なのである。


「確かに油断はできないが、それ以上に無理ができない。改めて言っとくがこっからは安定重視だからな。わかってるよな?」


「えー、折角ええ感じでここまで来てんのに?」


「いい感じったって、ノエルに負担がかかりすぎてるだろ。このまま後半までもつわけねぇぞ」


 当初の計画ではヴェラが雑用をこなしつつ適宜方向指示を出し、ノエルとローザが交代で操船を担当することになっていた。だが操船は重労働のため、ノエルとローザのどちらも操船できない状態の時は投錨して休息するつもりだったのだ。


 それが実際はローザが操船していない時間帯は全てノエルが操船してしまい、結局『知られざる英雄号』は一度も止まらず最初の停泊地まで来れてしまった。確かに予想よりずっと速いが、後半に潰れてしまっては意味がないのだ。


「ウチとしては、ノエルの体力がどんだけ底なしか知っとるよってな。あんまり心配にならんのやけど」


「そうですね。少なくとも次の停泊地まではこのまま行けると思いますよ」


 大した気負いも見せずにノエルが請け負う。そのあたりはローザの知らないというか知ったこっちゃない部分だ。二人がそう言うのならそうなのだろう。本当に知ったこっちゃないが。


「わかった。ならせめて出航まではしっかり休んでくれ。くれぐれも使


「わかりました。最低限に留めます」


「すんなっつってんだよバカヤロウ! それにヴェラだって疲れが溜まってんだよ!」


 いけしゃあしゃあと答えるノエルに、多少赤くなりながら制止をかけるローザ。だが庇われたはずのヴェラはローザに同調しなかった。


「あー、その、めっちゃ言いにくいねんけどなローザ。ウチ大会の後で20日もおあずけ喰らったノエルの相手すんの恐ろし過ぎんねん。いうことでまあその、ちゃっちゃと済ますさかいに目ぇつぶってんか」


「やめろ生々しい! ああくそわかったよ! もうアタイは知らねぇよ!」


 先ほど以上に顔を赤くしながら、ローザが思いきり匙をぶん投げた。多少すれてはいても、18歳の乙女には刺激が強すぎたようだ。


 一見申し訳なさそうで、実際は少しばかり優越感の混ざった視線でローザを見ていたヴェラだったが、ふと表情を引き締めるとローザに一つの忠告をした。


「話は変わるけど、ロンディニウムに比べたらこのサウサンバルは治安が悪いよって『お守り』はちゃんと持ち歩いてなローザ」


「ああ、わかってるよ。あんまり練習もできてないし、なるべくなら使いたくないけどね」


 そう言いながらローザは服の下に隠した銃に触れる。物騒なものなので持ち慣れないが、戦いの心得のないローザにとっては確かに心強いモノではあった。そのためノエルの勧めに従い、比較的使いやすい銃を隠し持っているのだ。


 最初の潜水作業サルベージを含め、3人は何度か銃と弾丸を引き上げることに成功していた。それらは本来憲兵隊に届け出るべきものではある。だが引き取り価格が安い上に憲兵隊に記録が残るため、ノエルにとっては利益より不利益のほうが大きい。そのため全て秘匿し、自分たちで使用することにしたのである。


 ちなみに3人が携帯しているのは『拳銃』と呼ばれる、片手でも扱える大きさの銃だ。それらのうち最もよく見つかる標準型を二つノエルが、やや大型で両手でも扱いやすい物をローザが、暗殺用の小型を二つヴェラが携帯している。これらは弾丸が共通なのだが、残弾は合わせて100発もない。そのためヴェラとローザについては十分な練習ができていなかった。


「たまーに潜水屋兼業の海賊が銃を持っとるいう話やけど、そっちもやっぱり練習できるほどの弾は持ってへんやろな」


「それ以前に揺れる船上で的に当てるのはかなり難しいですからね。基本的には威嚇ハッタリ用だと思いますよ」


「まあアタイらも基本的には撃たずに脅すほうがいいだろうね。まともに当たる気がしねぇし。撃って憲兵に取り上げられんのはもったいない」


 実のところ銃を持ち歩くのは違法行為ではあるものの、船乗りについては暗黙の了解として憲兵に見逃されている風潮がある。


 それというのも、稀にしかいないとはいえ銃を所持した海賊がおり、船乗りにとって大変な脅威になっているからだ。そのため、違法と知りつつ対抗して銃を持ち歩く船乗りは珍しくない。これを無理に取り締まると大きな反発が予想されるので、堂々と携帯したり街中で使わない限り見逃してもらえているのが現状だ。


「とはいえ危ないと思ったら遠慮なく撃って下さい。相手が海賊や強盗なら、殺しても銃の没収と罰金程度で済みますから」


「そやな。特にヴェルファウストとノーディザムの間は元々海賊が多い海域やし、覚悟だけはしといたほうがええ」


「わかったよ。だがそれを言うならこっからヴェルファウストまでは海の魔物が多い。危険な海域は迂回するつもりだが、それでも出くわす覚悟はしときなよ。デカい奴は拳銃なんかじゃ死なねぇぞ」


 ローザはお返しとばかりに次の海域における危険を持ち出す。だがそれは完全に墓穴を掘っていた。


「なるほど。つまり安全策を取っても、ある程度の危険を覚悟しないといけないんですね?」


「どうせ危険なんやったら、ちょっとくらい危ないとこ通っても一緒やんな?」


「……ちょっと待て、お前ら何考えてる」


 青い顔で問いかけるローザに、揃って不敵な笑みで応えるノエルとヴェラ。その笑顔だけで言いたい事は余すところなく伝わってしまう。


「この死にたがりのバカヤロウどもが! アタイは絶対に嫌だかんな! 安全なルートで行くぞ! 聞いてんのかてめぇら!」


 ローザの悲痛な叫びがサウサンバルの夜に響き渡るが、その想いは誰にも届かなかった。

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