第30話 とびこむ
大会の初日、出航を控えたノエルたち3人は『知られざる英雄号』の船上にいた。間もなく鳴り響くはずの大会
ノエルはヴェラとの一夜以来、実家からの追跡をあまり意識しなくなっていた。もちろん追跡がないなどと甘い予測を立てているわけではない。色々と吹っ切れたことと使い慣れた銃が手に入ったことで、何が来ても返り討ちにする覚悟が決まっただけだ。
ではなぜ今さら目立つことを避けているのかというと、理由は全く別にあった。
なにしろこの大会は帝都一、いや帝国一の規模を誇っている。当然ながら参加者は多く、大陸中から腕利きの船乗りたちが集まっているのだ。そうなれば当然、ハーフリングの航海士も珍しくない。そしてハーフリングの男性というのは、多くの場合女性に対する姿勢が非常に軽薄なのだ。
そんな彼らをノエルが過剰に警戒し、ヴェラを船から出そうとしなかったのである。
「そんな心配せんでも、ナンパされたからってウチついて行かへんよ?」
「嫌です。あいつらに見られたらヴェラが減ります。それに敵はハーフリングだけじゃありません。ヴェラの魅力は全種族を魅了してしまいます」
「ったく、日に日に惚気がひどくなってやがる」
ローザの言う通り、一週間ほど前からノエルたちの様子はおかしくなっていた。以前はヴェラがノエルを引っ張っていて、こういった惚気もまずヴェラが口にしていたのだ。だがある休日を境に、ノエルが怒涛の勢いでヴェラに迫るようになっていた。しかも日々その勢いを増している。
問題の休日に何があったのかについて、ローザはあえて聞こうとはしない。聞かなくても答えがわかり切っているからだ。本当に勘弁して欲しい。とはいえ、ローザにとってこういうやり取りが本気で不快というわけではない。いつの間にか慣れてしまったし。
何より愚痴と難癖と説教ばかり聞かされる実家の工房に比べれば、居心地は天地の差だ。ノエルたちが
「さ、もうじき出航や。2人とも持ち場についてんか」
「あ、ヴェラはギリギリまで隠れておいてくださいね」
「いいから持ち場につけってんだよ! 骨の髄まで色ボケしやがって!」
「ほんまそれ。って! アホなこと言うとったら合図鳴ってもたやん! 行くで!」
こうして3人の大陸周回競技は、実に下らない軽口の中で始まったのである。
大陸周回
そして今の時期、大陸は全土で南東から北西へ向けての風が吹きやすい。そのため最後の停泊地であるノーディザムからロンディニウムまでは逆風となる場合が多く、高い操船技術が要求される。最後の難関と言っていいだろう。
他にもいくつか難所は存在するものの、海路の指定範囲は広いため迂回することが可能だ。特にこの大会の主催者である交易ギルドは操船技術より造船技術の振興を重視しているので、基本的に安定して高速を出せる船が有利な規則になっている。
「わりと面白味のない大会よな。冒険せんでも勝てるいうことやろ」
「技術屋としちゃ納得の理由だけどね。アタイも工房の宣伝で出場してるんだし、無茶するつもりはないさ」
また大陸周回競技において、船種や船の大きさ、乗組員の人数に制限はない。一般的には速度を重視した小型帆船か、交代要員を積めて速度もそれなりの中型帆船がよく選択されている。ノエルたちの乗る『知られざる英雄号』は小型船の中でも特に小さいため、速度という意味では有利だ。一方交代要員が少ないという意味では不利を被っている。
こういった小型船を選択するのは主に個人や小さな工房だ。材料の調達や製造の手間、人員の確保で大手の工房と張り合うのが難しいためである。逆に大手は中型船を使い、昼夜を問わず安定した航行で上位を目指す場合が多い。
それに小型船は途中棄権が多いため、上位はだいたい中型船で占められるのが常だ。小型船が上位に入ること自体は珍しくないが、数としては少ない。逆に言えば小型船で最後まで残ることができれば、上位でなくともある程度の注目を得ることはできるのだ。そのためローザの最優先目標はとにかく最後まで残ることだった。はずなのだが。
「なあヴェラ。アタイ言ったよな? この大会では無茶はしないって」
「そやったっけ?」
「おいノエル。今どこに向かってるか、わからねぇとは言わせねぇぞ」
「僕はヴェラの指示通りに操舵してるだけですよ?」
ローザの抗議も虚しく『知られざる英雄号』は3人にとって馴染みの海域へと向かっていた。何度も潜水作業で潜った、水深が浅く古代の建造物のせいで座礁の危険がある海域だ。
ここは競技海路としてかなりの短縮になるが、危険度が高く大会本部から迂回を推奨されていた。そのため周囲には他の船影もない。逆にここを抜けることができれば、いきなり上位に食い込むことができるだろう。
「大丈夫や。この船やったらまず座礁はないし、ほんまに危ないとこは覚えとるしな」
「そうですね。僕らの場合は他に勝負どころがありませんし、ここで少しくらい頑張っておきましょう」
「アンタら、最初っからそのつもりだったんだろ! チクショウ裏切りやがって!」
「ほらほら、そない言うてるうちに見えてったで! ビビッて速度落としなや!」
「ああもう! ノエル! 操舵しくじったら承知しねぇかんな!」
「任せといてください! 沈んでもヴェラだけじゃなくローザも助けますよ!」
「沈む前提で話してんじゃねぇバカヤロウ! きっちり切り抜けて見せやがれ!」
ローザの罵声が響く中『知られざる英雄号』は避けられたはずの危険に飛び込んでいくのだった。
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