第二章 はしりだすもの

第20話 おあずけ

 心地よい微睡みから覚めると、ノエルはまず己の腕の中にある温もりを確かめた。暖かく、柔らかく、安らぎを与えてくれる掛け替えのない存在。今までのノエルの人生において、決して手に入らなかったもの。


 恋人であり、相棒であり、おそらく家族になる女性。その姿を見るだけで、その体温を感じるだけで愛おしさが溢れてくる。だがただ一つ問題があるとするならば……、


 さっきからノエルを蔑むようなジト目で睨んでくることであろう。




「信じられへん」


「申し訳ございません」


 寝台の上とはいえ全裸のまま必死に頭を下げる男と、同じく全裸で毛布にくるまって男を詰る少女の姿はあまりにも滑稽であった。


 ちなみに少女といってもヴェラは20歳になっており、とっくに成人を迎えている。見た目が12歳程度に見えるのはその種族がハーフリングだからだ。


「まさかあんだけ盛り上がっといて、いざとなったら速攻で寝落ちとかあり得んやろ」


「本っ当に申し訳ございません」


「これでも一応乙女として色々覚悟決めとったのに、一晩抱き枕にされただけとかどんだけコケにされてんねんウチ」


「そのようなつもりは決してございません。全て私の不徳といたすところでございます」


 ノエルの言う通り、この件においてヴェラの落ち度は一切存在しない。全てはヴェラと同衾した途端、睡魔に押し流されて寝落ちしたノエルの責任である。


 それというのも、先日ヴェラに手を握られた状態での午睡と同じく、ヴェラと肌を触れ合わせた状態にノエルが興奮よりも安心を強く覚えたためである。あれ以来ノエルの睡眠不足は改善していたはずだが、あるいは根深いところで疲労が溜まっていたのかも知れない。


 ノエルに抱きすくめられ、今か今かと事の始まりを待ち構えていたヴェラは、耳元で聞こえ始めたノエルの寝息によって事態を把握させられた。しかもノエルの腕はヴェラを離す気配もなく、抜け出すこともできない。かといってノエルの安らかな寝顔を見ると、起こすのもまた忍びないと思ってしまう。結局、そのままヴェラはノエルの寝顔を眺めながら朝まで待つ羽目になったのだ。


「今後しばらく、まともな宿には泊まらへん予定やねんで? ウチの借りてる部屋は壁が極薄で、周りの部屋に丸聞こえやねんで? その話はしたやんな?」


 二人は昨夜の内に直近の行動予定を立てていたのだが、今泊まっている宿は憲兵隊に知られているので今日で引き払うことを決めていた。そして退室の時間である五の鐘(10時)は刻々と迫っている。


 一方ヴェラの借りている部屋はレアード海運の関係者から身を隠す目的で借りていたため、隠れ家としては申し分ない環境だ。当面はそこで生活を送るということに決めていたのだが、隠れ家として最適でも愛の巣としては最低の環境なのである。ヴェラの嘆きも当然と言えた。


「言うとくけどな、あの辺は花売りのお姉さんらも住んどうから、ウチらが聞かれるだけやのうて聞かされることもあんねんからな。生殺しになっても知らんからな。なんぼノエルが盛っても、ウチあそこですんのだけは真っ平やからな」


「えー、その場合はその、最初に泊まったあの連れ込み宿とか……」


「……そういやウチらって最低の酒場で出会うて、その後連れ込みで一晩過ごしたんが始まりなんよな。話だけ聞くとめっちゃ爛れてるわ」


 実際は2人とも清い交際のままである。不本意ながら。主にノエルのせいで。


「まあええわ。先は長いんやし、その辺はご飯でも食べながら考えよか」


「その、ごめんなさい」


「……よう寝れた、やんな?」


 それまでの雰囲気とはうって変わって気遣わしげな態度のヴェラに対し、ノエルにしては珍しくその意図を正確に拾うことができた。


「おかげさまでぐっすり眠れました。……愛してる、ヴェラ」


「ん、合格」


 満面の笑みで応えると、ヴェラはノエルの首に手を伸ばして朝の挨拶を重ねた。




 ロンディニウムの街は地区によって様相が大きく変わるが、食事に上品さより手軽さを求めるなら南の商業地区か東の港湾地区ということになる。二人がここしばらく逗留していた宿は調停局へ通う利便性を考えて中央の行政地区にあったので、結果として二人は連れ立っての散歩という流れになった。


「気分的には手ぇでも繋ぎたいとこやけど、ウチらの組み合わせやと無駄に目立つんよな」


「それは……そうでしょうね。今後のことを考えると、目立つのはなるべく避けたいです」


 異種族の男女が恋人として結ばれる例というのは、無くはないがわりと珍しい。寿命の差による悲劇の問題もあるし、単純に子を授かる確率が同種族間よりかなり低いという問題もあるからだ。


 ハーフリングを始めとした妖精族は15歳の成人から寿命近くまで容姿が変わらないし、その身体能力や生殖能力も衰えない。ちなみにハーフリングは200年、ドワーフは300年、エルフに至っては500年の寿命を持つと言われている。実際には病や事故で亡くなることが多いため、老衰で亡くなるエルフというのはほぼいなかったりするのだが。


 一方で人間はおよそ60年が寿命だと言われている上、20歳頃から徐々に身体が衰えていく。生命としての来し方行く末が全く違うのである。この違いから主に妖精族のほうが人間と恋愛関係になるのを避ける傾向があった。


 また帝国の貴族階級は、やはり妖精族と恋愛関係になるのを避ける風潮がある。これは寿命の長い妖精族が政治的に重要な位置を占めると、その席が何時まで経っても空かないという問題が発生するからだ。その風潮が平民にもある程度影響しており、人間と異種族の交流は盛んとは言えない。


 ちなみに妖精族同士の異種族間婚姻については、価値観や性質の違いが非常に激しいため、こちらもかなり珍しい。人間と妖精族の組み合わせより珍しいくらいだ。


 そのような状況であるため、ノエルとヴェラが恋人らしく振る舞うというのは、どうしても目立ってしまう。


 それにヴェラはハーフリングの中でも優れた容姿をしており、どうしても目を引く。一方のノエルは目立った特徴というものがあまりないが、これで2人が仲睦まじくしていればその落差もまた目を引く要因になるだろう。


「まあそない言うたかて、ウチはノエルにおんぶやら抱っこやらされとるから、今さら言うたら今さらやけど」


「そういう意味では、兄妹のように振る舞うほうが目立たないのかも知れませんね、僕たちの場合は」


 確かに人間基準で見れば青年と少女である。実際にはヴェラのほうが2つ年上だが、見た目は兄と妹というのが一番しっくりくるだろう。ならそのように振る舞うのが最も目立ちにくいのは当然と言えた。


「実際はむしろウチが姉か母親みたいになっとるけど。なあノエル? 一晩中ウチに甘えてたもんな?」


「ちょ! それはその! ちが……いませんけど、そこは触れないでいただきたい……」


 否定しようにもしきれない事実を持ち出され、弱りきるノエル。だがヴェラにしてみても、その点は泣き所なのである。


「改めて考えたら童女嗜好ロリコンの上に母性依存マザコンとか、ウチどんだけメンドクサイ男に惚れてもうたんや。自分で自分に呆れるわ」


「……面目ない……」


 ノエルのか細い声は、港湾地区の繁華街の喧騒に紛れて消えていったのであった。

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