幸せ

 私にキスをされて真っ赤になって俯いている理沙ちゃんを見ていると、もう一度キスしたいって欲求が沸いてくると同時に、なんだか可愛そうにも見えて申し訳なくなってきた。


「ごめん、勝手にして。嫌だった?」

「い、嫌なわけ……あの、でも、その。お、お母さんに、その、言われてたの、聞いてたでしょ? と言うか、あの、そもそも、あのー……」

「うん。聞いてたよ。小学生に手を出したら駄目なんだよ。だから、私から手を出す分にはいいでしょ?」


 こんなの屁理屈だ。考え付いた時は名案に思えたけど、理沙ちゃんにしてみたらむちゃくちゃなことを言ってるって思うだろう。子供の理屈だ。


「!? …………う、うぅーん。あの、あー……」


 だけど意外に理沙ちゃんは考え込み始めた。キスをしたばかりで絶対いい雰囲気だったのに、ここで大真面目に考え込んじゃうところ、馬鹿だなぁって思うし、真面目だなぁとも思うし、愛おしいなって思う。


 そして理沙ちゃんはたっぷり10秒は考えてから、ようやく顔をあげた。


「あの、確かに、言葉の上ではその通りだと思う。合ってる。でも、手を出しちゃいけないって言うのは一方的なものではなくて、手を出した行為そのものの禁止も含まれているわけで、えっと、例えばペットを飼わないって神様に誓った人が、同居家族がペットを飼いだしてその手伝いをしているだけって言ったとして、駄目だよね。もうそれは、自分が飼いだしたわけじゃなくても飼ってるよね? そう言うことだと思う。わかる?」


 すっごい真面目に言ってくれたとこ悪いけど、例えがへたくそだねぇ。ペットを飼わないって神様に誓うのがまずわけわかんないし。


「全然わかんない」

「う、うーんと」


 素直に答えただけだけど、理沙ちゃんを困らせてしまったみたいだ。理沙ちゃんは私に顔を挟まれたままなので動けないまま、へにゃりと眉を八の字にしている。仕方ないから、ちゃんと説明してあげる。


「ペットのくだりはわけわかんないけど、でも、キスしちゃ駄目ってことは、ほんとはわかってるよ。ごめんね、めちゃくちゃな言い訳して」

「あ、う……あの、じゃあ……」


 じゃあどうして? そう言いたいのはわかった。理沙ちゃんは言えていなくて、居心地悪そうにもじもじしているから、顔を寄せて鼻先にキスをしてから答えてあげる。


「したくなっちゃったの。もう、我慢できなくなって、それでしちゃった」

「あわわ。う、どうして、急に」


 また真っ赤になる理沙ちゃんの問いかけに、私はおかしくなってしまう。確かに理沙ちゃんにとっては急かもしれない。昨日まではしんどかったのもあるけど、キスをするなんて素振りは見せなかったし、おねだりだってしてこなかった。

 だけど、生理になったから、じゃあない。それはきっかけでしかない。生理にならなければきっとしばらくこんなことしなかっただろう。だけどそうじゃない。生理だからキスしたいんじゃない。そうじゃなくったって、最初からキスをしたいって思ってた。


 理沙ちゃんだって、考えたらわかるはずだ。キスをしたい理由なんて、一つしかないってことが。


「だって、理沙ちゃんのことが大好きだから。傍にいたいし、触れたいし、キスをしたくてたまらなくて、我慢できないくらい、大好きになっちゃったんだもん」

「は、るちゃん……嬉しい、よ。でも、でもね。その、私も同じ気持ちだけど。でもこの間、春ちゃんが自分で言ったじゃない。大人になるまで待ってって」

「言ったけど、でも……その時よりは、大人になったもん。もう子供ができるようになったんだよ。だからそれはもういいの」


 こんなのは言い訳に過ぎない。大人になったと言う表現が完全には嘘ではないけど、まだまだ子供なのもわかってる。でももう、大人になるまで待てないから。だからそれはなかったことにして。


 急な心変わりだって私も思う。この間まで、心の準備ができてなかった。だから本当に大人か子供かとかじゃなくて、心が子供のままでいたかったんだって今は思う。もう、子供のままでいたくない。

 心の準備とか、未知への怖さとか、そう言うのを全部無視して、理沙ちゃんにキスがしたかったし、キスをしたい。


「そ、それは確かに……」


 あれ、思ったより普通に納得してしまった。いや、生理がきたから大人は暴論でしょ。と思うけど、理沙ちゃん的に反論しにくいくらいには理屈が通っているようで、困ったようにしながら真顔で頷いてから何かを考え込むように口を横にキュッと閉じた。

 頭いいのに簡単に納得するとかちょっとポンコツ過ぎると思うけど、でも納得してキスしてもいいってなるならそれでもいいかな。と思っていたのだけど、ちょっと悩んでから理沙ちゃんはあのね、と真面目なままもう一度口を開いた。


「あのね、でもやっぱりキスは、駄目だよ。手を出さないって約束したんだから」

「おばさんと私、どっちが大事なの」


 キスの余韻で目元を震わせながらもそう言われて、気持ちを否定されたみたいな気になっていらっとして、ついそんな、馬鹿みたいなことを聞いてしまった。

 口に出してしまってから口をふさいだけどもちろん遅くて、ようやく私の手が離れて自由になった理沙ちゃんは、だけど離れずにおでこがくっつくくらい顔を寄せて優しい声で答えてくれた。


「春ちゃんだよ。だからダメなの。だって、約束は春ちゃんとしたんだから」

「え?」

「最初に告白した時も、約束したでしょ? 小学生に手をださないし、理沙ちゃんの言うことを聞いて、駄目って言ったら駄目って」

「……ああ」


 それは、最初の話だ。一番最初。まだ私が理沙ちゃんがどれだけ大切な存在か全然自覚してなかった頃。全然恋人らしさなんてなかった頃。でもその時から理沙ちゃんはちゃんと覚えてくれてるんだ。そしてそれを、守ろうとしてくれている。

 そう思うと、嬉しいって感じる。だけどそれはそれとして、私かよ。とも思う。


 私との約束の為に、私のキスを断るって。もうどう言うことなの。意味わからなくない?


「理沙ちゃんはさぁ……」


 じゃあ私がやっぱそのお願いやめた。これからいっぱいしよって言えば、してくれるわけ? とか、意地悪な気持ちがわいた。でも言うのはやめた。だってそれは理沙ちゃんが私の言葉を一つずつ大事にしてくれてるのを無下にすることだと思ったから。


 だから代わりに、こう言うことにした。


「じゃあ、私、約束を破っちゃったね」

「う、うん。でも、その……こ、これから守れば」

「でもね、私、これからもその約束、守る気ないんだ」

「え……」


 私の殊勝に聞こえる言葉に、理沙ちゃんは慰める様に言葉を選んでくれているけど、私はそれを遮った。きょとんとする理沙ちゃんに、私は軽く頭突きをして頭をぶつける。


「理沙ちゃんが守ってくれても、私はもう、守る気ないんだ。ごめんね、私、悪い子になっちゃったね。こんな私は、嫌いになっちゃう?」


 ちょっとだけ眉尻をさげて目を伏せて問いかけると、理沙ちゃんははっとしたように息をはいて、強く私の肩をつかんだ。


「……春ちゃん、そんなことはあり得ないよ。前にも言ったけど、春ちゃんはいい子でも、悪い子でも、どんな春ちゃんでも愛してるから」


 まっすぐに言ってくれる理沙ちゃん。理沙ちゃんが前に言ってくれたこと、私はちゃんと覚えているし、信じていた。こう聞いたら、そう言ってくれるってことも、信じてた。


「うん……ありがとう。信じてるよ。だから、約束破ってもいいってことだよね?」

「…………あー、うーん……」


 理沙ちゃんは肩をつかんだ力を緩めて両手をあげるような情けない格好でとても困ってしまった顔になってしまう。そうなるってわかってたし申し訳ない気持ちもあるっちゃあるんだけど、見慣れてきたからか、理沙ちゃんの困り顔も可愛いなぁ。


 私は理沙ちゃんに飛びつくようにして、理沙ちゃんの首の後ろに手を回して抱き着き、もう一度キスをした。合わせた唇はやっぱり熱くて気持ちよくて、今度は上唇をしゃぶってから唇を離す。


「はぁ……理沙ちゃん、可愛いよ」

「……春ちゃんの方が、可愛いよ。あー……ほんと、まずいよ」


 理沙ちゃんは赤い顔のまま困った顔のまま、口元をにやけさせてそう言ってソファにもたれた。私は足を理沙ちゃんのお尻の後ろに差し込んで全身で抱き着いて、脱力した理沙ちゃんに満足するまでキスをした。








「ううん……」


 気が付いたら朝だった。理沙ちゃんにぎゅうぎゅうに抱き着いてたら、いつのまにかつかれて眠くなっちゃったんだけど、理沙ちゃんがベッドに運んでくれたみたいだ。


「……」


 うっ! 恥ずかしい!!! めちゃくちゃ、恥ずかしい。いくら何でも暴走しすぎだ。いや、キスはもう、したかったしするの仕方ないけど、もう半分理沙ちゃんの唇食べてたし。痛かったかなぁ。

 と言うか、キスもだけど、こう、体くっつけてるのも気持ちよかったし。ちょっとはしたなかったかも。ううーん。


 取り合えず起きて、理沙ちゃんが起きるまでに気持ちを整えよう。トイレにいくと、昨日もだいぶ減ってたけど、夜の間にもあんまりでなかったみたいだ。よかった。体の感じも落ち着いてるし、もう終わりかな?


 朝ごはんを作り終わり、そろそろ起こそうと寝室のドアを開けるとゴツン! とぶつけた音がした。慌てて近寄りながら声をかける。


「すごい音したけど大丈夫!?」

「だ、だ、大丈夫……ただ、あの、ああ……おはようございます」

「……」


 ベッドから落ちて転がったままの理沙ちゃんは私の顔を見上げ、真っ赤な顔で目を潤ませていて、昨夜のことを意識しているのは明白だ。私も反射的に赤くなってしまう。

 理沙ちゃんの唇は赤くなってたりしていなくて、ちょっとほっとすると同時に、また、キスしたくなってしまった。


 理沙ちゃんを見ているだけで昨夜の強引でむちゃくちゃな自分な行いを思い出して恥ずかしすぎる。なんてことをしてしまったのかと思う。隠れてしまいたいくらいで、いますぐベッドに戻ってなかったことにしてしまいたい。

 そんな風にすら感じているのに、それ以上に、キスがしたい。


「理沙ちゃん、おはよう」


 だから膝をついて挨拶を返して、そっと理沙ちゃんの頬に触れて、落とすように唇にキスをした。今度は昨日と違う、触れるだけの寝起きに優しいキス。


「……は、春ちゃん……あの、その……」

「朝ごはんできてるよ。起きて」

「う、うん……」


 理沙ちゃんは起き上がって、照れているのを誤魔化すように首元をかいて顔をそらしながら、ちらちら私を見る。もうパジャマではなくて着替えはすんでいる。とっくに起きていたみたいだ。なのに照れくさくて起きてこれなかったなんて、可愛い。


「あと、昨日はごめんね。その、ちょっと、生理で情緒不安定なのもあったかも」


 私は理沙ちゃんの手を引いてご飯へ向かうため顔をそらしながら、そっと、ちょっとだけ昨日の言い訳をした。これからいつもあんな感じで豹変していくんだと思われたら困る。さすがに、あんなに大胆なのはそうそうできない。

 理沙ちゃんはちょっとつかんだ私の指先をキュッと優しく握り返してついてくる。


「あ、そ、そうなんだ。あの、全然、全然それはね、いいんだけど」

「だから、またしばらくはああいうキスはお預けね」


 ダイニングテーブルの前まで来たので振り向いてそう伝える。理沙ちゃんは一瞬驚いたみたいに目をぱちくりさせてから、またじわじわ目元を赤くさせた。


「…………うん、そうだね」


 そして静かにそう頷いた。もう一度手をぎゅっと握ってから離して、朝食を食べる。


「あっ」

「もう、仕方ないな」

「ご、ごめんね」


 理沙ちゃんが目玉焼きの黄身を服にこぼしてしまったので、席をたって拭いてあげる。よく見ると唇の端にも黄身がついてて、慌てて気が付いてない理沙ちゃんの可愛さに、私はちょっと笑ってそっとキスでぬぐってあげた。


「あっ」

「黄身、ついてた」

「あ……あり、がとう……」

「どういたしまして。大好きだよ」

「……私も、大好きだよ」


 私にキスをされて動揺して、なのに健気に返してくれる理沙ちゃん。振り回してるなって、自分でも思う。

 でも仕方ない。だってこんなにも、好きになっちゃったんだもん。理沙ちゃんを好きになってよかった。理沙ちゃんが私を好きになってくれてよかった。だってこんなに幸せなんだもん。


 ただ理沙ちゃんがちょっとこぼしただけで、こんなに幸せな気分になるなんて、考えたこともなかった。


 こんな幸せがずっと続いていくって、理沙ちゃんとずっと一緒だって、今は何一つ疑うことなく信じられる。何をしたって、何になったって、私は私のままでいいんだ。私の全部を、愛してもらえる。そして逆に、理沙ちゃんの全てが、愛おしい。

 ああ、幸せだなぁ。幸せって、果てがないなぁ。私きっとこれから毎日、ずっとこうして、幸せを感じるんだろう。私は明日を、理沙ちゃんを、信じてる。信じられるって、幸せだなぁ。


 私は朝食と一緒に幸せを噛み締めた。今日も、明日も、明後日もきっとずっと。

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