理沙視点 特別な子
春ちゃんに一目惚れした、と言うのは嘘ではない。一目見たその瞬間から、彼女は私にとって特別だった。
私は昔から人が怖かった。自分以外の人間が何を考えているのかわからなかった。言っていることと、思っていることが同じなのかなんてわからないし、嘘をついているかもしれない。いい顔をして本当は嫌われているかもしれない。親ですらそうだった。親としてよくしてくれていても、それでも心の中で何を考えているかわからないと言うのは恐怖だった。
初めて春ちゃんを見たのは、まだ春ちゃんが4歳の時。中学生だった私はその時、春ちゃんを見た瞬間に何故かは自分でもわからないけど、すごくすごく可愛くて、この子だけは恐ろしいと感じられなかった。それはもしかすると、子供なら誰でもそう感じたのかもしれない。でも少なくともその時の私にとって、初めての感覚だった。
自分以外の生き物で、知性があってことばが通じる人間で、なのに恐ろしくなかった。それは、大げさに言えば救われたような気持ちだったのだ。
この世界に、恐れなくてもいい人がいる。信じてもいい人がいる。そう思えたのは春ちゃんのお蔭なのだ。
とは言っても、それまでずっと何もかもを恐れて友達すらいなかった私に、急にうまくおしゃべりができるはずもない。存在は怖くなくても、純粋に嫌われることは怖かったし、どう接すればいいのかわからなかった。ただ会える機会だけは逃さないようにしていた。
成長して、私が恐れるほど他の人は私に関心がないし、危害をくわえられるようなことは滅多にない。そんなに世界は腐っていないと思えるようになって、多少は人と話せるようになった。学校の先生とか、事務的なことなど事前に決めていたことなら話せるようになった。
そうなって、春ちゃんも成長して、それでも私にとって春ちゃんが特別な存在であることは変わらなかった。大学は特に何も考えずただ自分がいける一番いいところに行くことにしたけど、春ちゃんの家に近かったのは幸運だった。これで少しは会える機会が増えるかもしれない。
そう思っていた。
実際に春ちゃんは会いに来てくれるようになった。話が旨いわけでも、楽しい遊び相手になれるわけでもないのに、楽しそうに私のところにきてくれる。成長しても、やっぱり春ちゃんはとてもいい子で、心がほっとする大好きな存在だ。
だけど理解できないことに、春ちゃんのご両親は離婚し、春ちゃんと一緒に暮らさないと言う。思い切って手をあげた。嫌だと言われたらと思ったら、怖くて仕方なかった。
でも、ご両親にそろっていらないと言われて泣くのを我慢するように顔をしかめた春ちゃんに、一瞬でも早く、必要なんだと伝えたかった。春ちゃんは誰にも求められる、本当に素晴らしい特別な子なんだよって、わかってほしかった。いらない子なんかじゃないんだよって。
そうして春ちゃんは私の家に来てくれることになった。
それから毎日が幸せだった。春ちゃんがいてくれるだけで、何もかもが素晴らしくて、世界が優しくてふわふわしたみたいに感じられた。でも、ものすごく幸せだ、幸せすぎて、また怖くなった。
春ちゃんは可愛くて優しくて何でもできて、私だけじゃなくて誰にとっても特別な子であるのは明白で、きっとすぐにだって私以上に特別な相手をつくってしまうだろう。だから言った。
「あの、春ちゃん……私、春ちゃんのこと、好きだから、その……恋人になってくれない、かな?」
「はいぃ?」
春ちゃんは私の告白に目を白黒させて、だけど最終的には了承してくれた。
この状況的に、春ちゃんは断りにくいと思った。私は断られても、春ちゃんへの思いも関係も対応も、何も変えるつもりはなかった。でもきっと私の部屋に住んでいるってだけで、きっと春ちゃんは負い目におもってるだろうから。
ずるいのはわかってる。わかってるけど、どうしても恋人になりたかった。今だけでも、春ちゃんがこの家を出るまでは他に恋人をつくったりせず、私の傍にいてほしかった。
春ちゃんがいつか誰かを好きになって、誰かを思ってしまうのは仕方ないことだ。だとしても、せめて目の前にいて一緒に暮らしている間だけでも、他の誰かを見てほしくなかった。
高校卒業まで恋愛をしないつもりだなんて言うけど、そんなのはどうなるかなんてわからない。むしろ、恋をしたのになかったことにして我慢するなら、それこそしんどい。だから意識がいかないように、恋人にしてほしかった。
もちろんそれでも、誰かを好きになるのを完全にとめることはできないかもしれないけど、少しでも長く、少しでもいいから、他の人より私を側にいさせてほしかった。
手を出すとか、そんなのは全然、考えてなかった。それは本当なんだけど、あの、まあ、できれば今よりは親密なスキンシップとかとれたら、もっと嬉しいかも? あの、手を繋ぐとか、小さい頃に親としかしたことないし。変な意味では、全然、全然ないのだけど。
春ちゃんの手、改めて触るとちっちゃくて、でもすごい熱くて、こう、可愛いなぁってなんか、変に動悸が早くなってしまったりもしたけど、それもまあ、そもそも人肌ってのになれてないし。別に、変な意味はないはずだった。
私にとって春ちゃんは特別なただ一人だった。一目見た時から、特別。それにそれ以上の意味なんてないはずだった。傍にいて、私を見て、微笑んでくれて。それだけで心が満たされて安心できた。なのに
「でも……私といる時は、私を見てよ」
真剣な顔で、照れたような怒ったような赤らんだ頬で、じっと私を見てそんな風に言われたら。
「理沙ちゃん、よそ見しちゃ駄目だよ。だって、私たち、恋人なんだから」
この、恋人の関係がもっと特別なものみたいに感じてしまう。春ちゃんの熱のあるその姿は今まで見たことがない。じっと私を見つめてくる春ちゃん。
まるで、春ちゃんも私を特別に思ってるみたいに。まるで春ちゃんが私に恋愛感情を持っているみたいに。そんな風に感じてしまって、胸が苦しくなる。春ちゃんのその目からは強い感情が伝わってきて、思わず視線をそらしたくなるほどの圧を感じてしまう。でも、その圧は春ちゃんの物で、だから恐れることはない。
春ちゃんだけは、私にとって特別な人だから。
「……」
見つめ返す。春ちゃんは私の言葉を待っている。だけどこんな、答えるまでもないことなのに。
「うん。私、春ちゃんしか、見ないから」
私にはもう、とっくに、春ちゃんしか目に入っていないんだから。だけど他ならぬ春ちゃんが私に対して独占するようにそんなことを言ってくれてるのが嬉しくなってしまう。
春ちゃんは私にとって特別で、特別だからこそ、それは恋とかそんなのじゃなかったはずなのに。私にとって春ちゃんが特別すぎるだけで、恋愛感情なんてもの、人間関係すらうまくできないし、友情も愛情もよくわからない私に、そんな感情芽生えるはずもないのに。
この思いはなんだろう。心臓がうるさくて、春ちゃんが好きで、それ以上に何だか、苦しい。春ちゃんに触れたいような、でもちょっと怖いような。
私は今まで胸になかった新たな感情、または、前からあったのになかったことにしていた感情に、私は答えを出せないまま、ただ春ちゃんを見つめ返すことしかできなかった。
私と春ちゃんが恋人になって、一か月が経過する頃には、私たちは手を繋ぐようになった。
春ちゃんの手は私よりずっと小さいのに熱くて、力が強くて、跳ね返すような肌の存在感がすごくて、握っているだけで私の全身が心臓になってしまったようにドキドキしてしまう。
「ねえ、理沙ちゃん」
「な、なに?」
苦しいくらいだ。春ちゃんのことが好きだった。でもそれは、こんな風に、苦しくて自分の体がおかしくなってしまうような感情じゃなかった。なのに、嫌ではない。今のこの感情も、間違いなく春ちゃんが好きなんだと自分の本能が叫んでいる。
この思いがなんなのか。その答えはまだない。
「ふふっ。可愛いね」
「!? は、春ちゃんのほうが、可愛い、ってば」
この関係がどうなってしまうのかもわからない。いつか春ちゃんが誰かを好きになるまでの時間稼ぎでしかないと思っているのは今も変わらない。
ただ関係がどうなったとして、春ちゃんのことが大好きなのは、きっとずっと変わらないのだろう。私が変わっても、他の人と普通に話せるようになったとして、春ちゃんが特別なのだけはきっと変わらないのだろう。
だけどもし願いが叶うのなら、ほんの少しでもいいから長く、春ちゃんと恋人関係でいたい。そう願ってしまうくらい、春ちゃんのことが好き。
「そう? えへへ、ありがと」
「ふ、ふひひひ」
好きになればなるほど、いつか別れがつらくなるんだろう。だけどそれでもいい。思い切って恋人になってよかった。そう間違いなく言えるくらい、幸せだ。
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