@yuugi

あの日の思い出

「世界一きれいな海はどこだと思う?」


 前方を歩く彼女、夏美はそう言いながら後ろ向きに歩き始めた。


「後ろ向きで歩いてると転ぶぞ……」

「転ばないもん! 子ども扱いしないでよね! そんなことよりどこだと思うの?」


 僕が彼女に注意を促すと彼女はほっぺを膨らませ、拗ねながらも再度僕に問いかけた。


「一番きれいな海だなんて……、考えたこともなかったよ……。だけど強いて挙げるなら沖縄のはての浜って所かな。僕が見た中でそれが一番きれいだった。けど世界一と言われるとやっぱわかんない」

「ありきたりな解答だなぁ……、つまんない!!」


 無茶苦茶な……。でも本当はそんな海なんか好きじゃない。君と見る海が一番きれいで、大好きだ。

 なんていうかっこいい言葉は出なかった、いや出せなかった。そんなことはおくびにも出さずに彼女に文句を言う。


「つまんないなんて言われたってしょうがないだろ。知ってる海なんて少しだけだよ。文句言うならお前はどうなんだよ」

「私かぁ。私はまだ決まってないかな」

「じゃあなんで聞いたんだよ」

「うーん。わかんない。けど、私って海好きじゃん?」


 やっぱり無茶苦茶だ…。無茶苦茶だが僕は彼女とのこの時間が嫌じゃなかった。むしろ好きだった。


 「あ、この夕焼けきれい! カメラ貸すからこれを背景に私の事撮ってくれない?」

 「またそんな唐突に……。 わかったよ。うまく取れなくても文句言うなよ?」

 「下手だったら取り直してもらうもん!」


 彼女が首から下げていたカメラを僕に渡してくる。それを受け取り、場所を調整した。


 「ここらへんかな? じゃあ撮るよ? 笑って! はい、チーズ!」


 そういいつつ僕はカメラのシャッターを切った。


 「えへへ、照れちゃうね。 いい感じに撮れてんじゃん。ありがと!」


 満面の笑みを見せながら僕の所へ駆け寄ってきた彼女はそのままカメラをのぞき込んできて言った。

 近い。かわいいし、いいにおいがした。


 「近いから離れろよ。ほら帰るぞ。」


 僕は照れ隠しにそっけなく言って歩き始める。


 彼女は、はーい。なんて言いながらついてきた。

 そのまま僕たちは雑談をしながらゆっくりと歩いていく。幸せな時間だった。


 だがそんな時間は終わりを迎えた。


「着いた!家まで送ってくれてありがとね。じゃあまた明日!」

「うん、また明日」


 もう着いてしまったのか、彼女にぴったりな白い肌の海の見える家。それが彼女の家だ。

 じゃあね、そう二人で言って別れた。

 僕も家に帰ろう。カメラ返すの忘れちゃったな。なんてことを考えながら坂道を上り自分の家へと帰る。そんな平和な日。

 そう、それは唐突に終わりを迎えたのだ。あの日、唐突に地面が上下左右に動き出し、海は荒れ狂った。


「津波警報。住民の皆さんは直ちに高台へと逃げてください。繰り返します……」


 サイレンがうるさく鳴り響いた。周りは慌てふためきながらも行動をはじめた。大人は年寄りをおぶり子供の手を引いて走った。

 僕も最低限の荷物と彼女へ帰す予定のカメラを持ち、高台へと走った。

 高台へ着き周りを見渡した。

 彼女は……?まだいない。高台へ来る道を僕は眺め続けた。

 来ない。いつまでたっても来なかった。


 数日たった後彼女は遺体で発見された。逃げ遅れたのだ。あの帰り道、他愛もない会話。僕の好きだった時間は終わった。あの日、あの時間、ほかでもない彼女の好きだった海、それによって彼女の命は奪われた。

 それを知ったとき僕は崩れ落ちた。言えなかった言葉、伝えたかった言葉はたくさんあった。

 君のいない海なんて、いや、君のいない世界なんて僕には耐えられるはずがなかった。


 それでも、僕は今日も生きている。少し古びたカメラを片手に彼女をさらった海を眺める。彼女のいた海を、彼女のいるはずだった海を。そして向こうへ行ったときにきれいな海について話すんだ。


「明日はどこへ行こうか、夏美」


 考えていた言葉が口から零れ落ちた。


 ……君の生きたいところへ連れてって……


 そんな声が聞こえたような気がした。

 うん、僕はこれからもずっと、大嫌いな海を眺めに行くのだろう。

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