第9話 勇気

 ぼくはひとりで歩き始める。

 さっきは気づかなかったけれど、かすかに本の匂いがする。

 もしかしたら陽平くんは、このにおいに酔ったのかな。

 これからどうしよう。見知らぬ人に話しかけるなんてできるかな。

 いや、やるんだ。なやんでいるわけにはいかない。

 陽平くんと約束したのだから。ヒーローにたのまれたのだから。

 キサラギジャックを知っていそうな人ってどんな人だろう。

 ヤクシのおじいさんが知っていたからお年寄りがいいのかな。

 白髪の人や顔のしわが多い人をさがす。

 すぐに同じくらいの年の人が見つかった。机がある席に座って本を読んでいる。

 話しかけようと思ってやめた。読書のじゃまをしたらいけないと思ったから。

 その後もひとり、ふたりと見つけられた。

 けれど、声をかけることはできなかった。

 本を読んでいたからではない。

 知らない人に声をかける勇気がなかったからだ。

 陽平くんとの約束を守りたいのに、どうしても緊張して声が出なくなってしまう。

 ぼくは、今度こそ話しかけるぞ、と気持ちをきりかえる。



 こちらに向かってゆっくりと歩いてくる人がいた。

 肩までかかる髪をゴムでしばって、しわのない若い女の人だ。

 ぼくは、その人から目をはなすことができなかった。

「あの、すみません」

 気づいたら声が出ていた。

 その声はとても小さかったけれど、相手の耳にはとどいたみたいだ。

「こんにちは」

 白いワイシャツに紺色こんいろのエプロンをしている女の人。首には名札がかかっている。

 それを見て不安になる。さっきの男の人みたいに話を聞いてくれないかもしれない。

「大丈夫? 顔が赤いよ?」

 その人は、しゃがみ込んでぼくと目線を合わせて話してくれる。

 その時、ふわりといいにおいがする。せっけんのにおいみたい。

 それが本のにおいと合わさって鼻をくすぐってくる。

「だ、だいじょうぶです。あの、ここではたらいている人ですか?」

 なんとか言葉が口から出てきてくれた。

「わたし、清里きよさとみらい。この図書館で司書ししょをやっているの」

「きよさとさん?」

「みらいでいいよ。それとも、おねえさんの方がよびやすいかな?」

 みらいさんはニコリと笑う。

 不思議だ。陽平くんの笑顔を見ると、ぼくはすごく落ち着く。

 けれども、この人の笑顔を見たら胸がドキドキして落ち着かない。

「わたしになにかご用かな?」

「あの」

「うん。なあに?」

「な、夏休みの宿題で、読書感想文があるんです。それで、本をさがしていて……」

 ああ、やってしまった。陽平くんごめんなさい。

 本当は、キサラギジャックを知ってますかって聞かなきゃいけないのに……。

「きみは、小学生?」

「はい。3年生です」

「じゃあ、あなたのためにオススメの作家さんを紹介(しょうかい)してあげる」

 あなたのために、という言葉を聞いて顔があつくなる。

「よ、よろしくおねがいします」

 まっ赤になった顔をかくすために、ぼくはペコリと頭を下げる。



 みらいさんは、口元に手を当てながら考え込む。

 その真剣な表情を見て、さらに胸がドキドキする。

 不思議と、いつまでも見ていたい気持ちになってくる。

「そうだ。きさらぎあさひさん」

「きさらぎ、あさひ?」

 聞こうと思っていたヒーローの名前とすこし似ている。

「もしかして、読んだことある? 児童書をたくさん書いている人なんだけど」

 みらいさんは、うれしそうにたずねてくる。

「読んだことないです」

 ぼくは首を横にふる。

「自然の多いところを舞台ぶたいにした作品が多くてね、子どもたちがのびのびと描かれているところが好きなんだぁ。そうそう、城江津市じょうえつしに似た町が出る作品もあるんだよ」

「じゃあ、きさらぎあさひさんは、この町の人ですか?」

「うーん、たしかちがうと思うよ。それに最近は新刊を出していないから、どこでなにをしているかわからないの。でも、また物語を書いてくれないかなぁ」

 やっぱりキサラギジャックとは関係がなさそうだ。

 それでも、聞かないわけにはいかない。



「あの、すみません。もうひとつ、聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「もちろん。わたしに答えられることならなんでも聞いて」

 今度こそぼくは、本当に聞きたかったことをたずねる。

 がまんせず、聞きたいことをハッキリと言葉にする。

 それは陽平くんとの約束であり、ぼくが本当に知りたいことだから。

「キサラギジャックを知っていますか?」

 言った。言いきった。ハッキリと言ってみせた。

 やった。やったよ、陽平くん。

 キサラギジャックのことをちゃんと聞けたよ。

 ぼくは心の中で何度もよろこぶ。

 けれど、みらいさんは、どう思うだろう。

「キサラギジャック?」

 みらいさんは、おどろいたのか、こまっているのか、目を丸くしている。 

 そんな名前、ふつうに生活していたら耳にしないから無理もない。

 アニメやマンガのキャラの名前とかんちがいされたかもしれない。

 けれどちがう。キサラギジャックは――。

「この町のヒーローです」

 ぼくは、キサラギジャックについて知っていることをすべて話す。

「だれも姿を見たことがないけれど、たしかにいると言われています。いつも城江津市のことを見守っているんです。ぼくの友だちがずっとあこがれている、ヒーローなんです」

 ぼくにとって生まれて初めてのことだ。

 会ったばかりの人とこんなに長く、大きな声で話すなんて。

 自分でもビックリしている。

 けれど、おどろくことはそれだけじゃなかった。

 みらいさんの口から思いもしない言葉が返ってきたから。



「わたしね、キサラギジャックに助けられたことがあるの」



 今度は、ぼくが目を丸くする番だった。

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