公園の神様

SAhyogo

第1話

 不意に思うことがある。


 こんなところで何をしているのだろう、と。


 日々、上司の怒号を聞き、不可能とも言えるノルマを設定され、帰路に着くのはいつも終電ギリギリ。そんなだから慢性的な睡眠不足に陥り、目を擦りながらパソコンと睨めっこする羽目になる。それをやる気がないだの、タルんでるだの文句をつけられる毎日。そんな日々に果たして、意味はあるのだろうか。

 

 取引先からの帰り道。ふと立ち寄った公園のベンチに腰を据えた瞬間、睡魔に襲われてまどろむ中での思考であった。お父さん、お母さん。まだ昼過ぎとは言え、こんなところでうたた寝をするはしたない娘をどうかお許ください。

 そう謝罪の意はあっても欲に抗うことはできず、徐々に五感が失われていった。そして、ついに意識がなくなり、次に目を覚ますと、そこはオフィスで目の前には件の上司が鎮座していた。その顔を見ると条件反射で萎縮してしまうのだが、今日に限ってはそんなこともなく対等に会話ができている。どうしてだろうと思ったら、常にしかめっ面の上司が、何故だかニコニコと上機嫌だった。

 となると、これはもう夢に違いない。思った途端で記憶は途切れ、公園で仮眠をとっていたことに気付く。

 

 眠気目のまま腕時計に視線を落とすと、針は十五時前を指していた。彼此一時間近く仮眠を取っていたことになる。仕事とってくるまで帰ってくるなということだから、何時に戻っても咎められる謂れはないが、そんな常識があの上司に通用するわけもなく。遅くなれば遅くなるほど、説教の時間が長くなるだけだった。

 運よく今回の外回りで従来の取引先から新規の発注が取れたし、もう少しゆっくりしたいところだが、上司の顔が怖い。早々に帰社した方が吉と見た。

 身支度を整え、さあ帰るかと意気込む。そして、それは立ち上がろうとした瞬間のことだった。いつの間にか隣に座っていたご老人に、呼び止められてしまった。


「忙しそうじゃな、娘さん。でも気をつけた方がええ。この時間帯は人通りも少ないし、死角も多い、日中とは言え危ないからの」

「はあ、そうなんですね」虚を衝かれ、間の抜けた格好で答えた。

「寝る間を惜しんで働くのは悪い事ではないが、何事もほどほどが肝心じゃ。体を壊してしまったら元も子もないからの」


 終始視線を合わせないご老人ではあったが、不思議と恐怖感は覚えなかった。


「そうですね。アドバイスありがとうございます。じゃあ、私会社に戻らないといけないので……」

「そうじゃったか。足を止めてすまんかったの。気を付けて帰るんじゃぞ」

「はい。それでは失礼します」


 軽く会釈をし、会社へと歩を向けた。

 本当に不思議なご老人だ。歳はおおよそ七〇前後だと思う。完全な白髪で、手には杖。折り目がしっかりついたシャツにベージュのベスト。そして、同じ色のパンツだった。真新しい様子ではあったが着られているという印象は受けず、それが益々ご老人を得体の知れないものにしている。

 再度気になり振り向くも、そこにご老人の姿はなかった。本の十数分の事で、驚きが隠せない。その神出鬼没さ。もはや、この公園の神ではないかと思ったが、そんな荒唐無稽な発想は実に現実的な出来事でかき消された。上司からの呼び出しである。

 閑散とした公園に響き渡る、ワルキューレの騎行。一呼吸置き、ゆっくりとしたモーションで応答をタップした。耳から少し離れた位置で構えるのを忘れずに。


「お……」疲れさまです、を言う前に遮られた。

「どこほっつき歩いてるんだ。早く帰ってこい」

「分かりました。す……」ぐに、戻ります、と言う前に切られた。


 プーッ、プーッ、という音がやけに耳に届く。こういう人間だと割り切ってしまえば、傷心も軽減されるというものだ。しかし、軽減されただけで、無いわけではない。ドス黒い感情が胸の奥に残り、持て余すのだった。

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