花嫁衣装

 うつむきながらひと針ひと針、布を掬っていく女性の黒い後ろ姿。背筋は緊張にはりつめ、室内の家具も息を潜めて気配を殺す。時折、かたわらの針山にまち針を戻し、うつむき加減のまま手を進めている。

 月明かりの差し込む部屋、椅子に腰掛けた女の影は映らない。


 次の満月の日に結婚式を控えた女性は、親から継いだ花嫁衣装を丁寧に点検してはつくろっていた。それは慈しみに満ちた手で、幸せな微笑に口元を緩ませながら。

 ところがある朝、女はいなくなった。窓が開いていて、カーテンが吹き込む風に揺れるばかり。家人はもちろん、総出で探したが、女は見つからずそれきり。当然、結婚式は取りやめになり、男はふさぎ込んで女の家と縁が絶えた。

 女がいなくなった朝、仕上がったドレスはきれいに吊るされていた。作業をしていた机には、ドレスを縫っていた嫁入り道具の裁縫箱が残っていたという。

 糸切り鋏だけが裁縫箱の外、机の上に置かれていた。

 それから女性の家では代わりにトルソがドレスを纏い、部屋の片隅に立っている。

 月夜に女の影が現れると囁かれるようになったのはしばらくしてからだ。物音がするからと、家人が訝しんで部屋を覗くと、窓辺の作業机で静かに針を進める女の後ろ姿の影を見る。女が縫い物をしているときは、ドレスを着せられたはずのトルソはむき出しになっているとも。

 気味が悪いと、部屋は閉ざされるようになり、やがて施錠されたままになった。

 それでも月夜、どうかするとハミングのようなメロディが扉越しに聞こえることがあるという。心あらずの、浮かれた調子の。


 やがて、すぐ下の妹が新しいドレスを纏って婿を迎え、その下の妹が両親の残したドレスを着たいと長らく鍵のかかった姉の部屋からドレスを持ちだした数日後、姿を消した。ふたたび鍵をかけたはずの女の部屋の扉が開いていて、少し隙間のあいた窓から吹き込む風にカーテンが揺れていた。そして、机の上にはなかったはずの糸切り鋏。姉が消えた日と同じだ、とだれもが思い、言葉に出せずに口をつぐんだ。

 違ったのは、妹が着せたのか、トルソがドレスを元のように着ていたことだった。

 時代が下り、家は残り続けたが家の人間は代替わりをした。何人かの(それは血縁とは関係なく)婚姻前の女性が消え、そのたびに鍵をかけたはずの部屋の扉と、その窓は開いていた。

 それでも、あの女の部屋だけは時折掃除をする以外は閉ざされているそうだ。というのも、まだ女は月夜に縫い物をしたり、ハミングを口ずさんでいるのが聞こえるからだという。ふわふわと足がつかない、夢見心地の歌声が。


 女に由来することを見聞きしたときは、糸を通して玉結びをした針を、枕元において寝るのだという。

 いつからか伝わったこの呪いについて、好奇心にかられた周囲の者が問いただすとその家の者はただひとこと、『もしも断ち切られても、こちらに留まれるから』と答えたという。

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