第50話 夜を駆け抜けろ、天使(2)

【コウガ地方 山岳地帯 ガルド教団本部裏手 コウガ忍軍本陣(臨時)】


 変身を解くと、エリアスから携帯食を口に突っ込んでもらいながら、アルビオンを庇う。

「勝負の最中だ。邪魔するな。俺が飯を食ったら、決着を付けるから」

 望月ライトが、周囲を待機させながら、ユーシアに近寄る。

「その堕天使は、知り合いですか? 出来ればコウガに討たせてください。賞金は、この土地の浄化に費やします」

 ユーシアの背中に抱き付いて離れない、赤と黒の片翼を背に生やした両性具有の存在に、望月ライトはいつでも殺せるように極細の糸を首に巻く。

 アルビオンは首に掛けられた斬首の妖糸を気にせずに、ユーシアを咎める。

「ボクを助ける必要が、有ったのか?」

 助けられておいて、怒っている。

(マジで? 純粋に殺し合いをしなかったから? 他の連中を助ける事を優先させたから? 面倒臭え、この戦闘思想〜〜!)

 怒らせたままだと、生身でも怖い事をしそうなので、ユーシアはプライドを傷つけないように釈明する。

「う〜ん、まずは猛毒属性に対処するのが最優先だったし。装備を全て解除して目的が果たせた以上、俺にとってアルビオンは、十分な戦力の無くなった全裸に過ぎないし」

 アルビオンは、片翼をガチャガチャと動かしてみせる。

「この翼の羽根を飛ばすと、戦車でも貫通するけど?」

 強がりではなく、生身の方が強いアピールだった。

「なら、猛毒武器を振るう必要、有った?!」

「やだよ、ボクの羽根に相手の体液が付くなんて。ボクは、強敵以外の返り血を浴びたくない」

「あれだけしでかしておいて、実は只のハードルかよ」

「ハードルというより、フィルターだね。精子が卵子に辿り着く前に、酸の海を泳ぐのと同じ事」

 アルビオンは、興味津々で話を聞きながら携帯食を食べ続けるユーシアの顔を見詰めて、ため息を吐く。

「まだ、子供だったね」

「何だよ、今更。今年はずっと十歳だよ」

「ユーシアが、もう少し大きくなったら、この羽根も使うよ」

「ん? 食べ終わったら、続きに付き合うよ?」

「もっと大きくなってから、ボクに辿り着け」

 アルビオンは、望月ライトの妖糸が首の皮一枚以上斬る前に、羽根で妖糸を切断する。

 望月ライトは勝てない相手だと見極め、周囲のコウガ忍者に待機を維持させる。

 ここで仕留めるつもりだったが、殺されないようにするのがベストだった。

『光蛇アルビオン』

 黒龍軍師ドマが、モニター越しからアルビオンに話しかける。

『天の采配も人の裁きも踏み越えて、何処に行くつもりだ?』

 アルビオンは、失われた翼の部分から、飛翔する為に皮膚を急変形させて翼を形成する。

 その翼は、脱皮した蛇の様に、体液で輝いている。

「大地に血の匂いが染み込む場所へ。呼ばれているような、気がして、ね」

『誰も呼んでいないと思うが?』

「勘違いで生きていく道を、ボクは恥じない」

 困った戦闘至上主義者が、夜空に舞い上がる。

 全裸で。

 美しいが、あんまりなビジュアルなので、ユーシアは呼び止める。

「アルビオン! 予備のシマパンが有るから、せめて履いてから行きなよ」

 アルビオンは、夜空の上から、眼下のユーシアが手に掲げて見せるシマパンを一瞥する。

「そのような下等な下着は、ボクには似合わない」

 全裸も恥じない堕天使が、夜空の奥へと飛び去っていく。

 ユーシアは、極めて遺憾な顔で、呟いた。

「あいつ、助けるんじゃなかった」

「シマパンを基準に物事を考える癖、やめてくれませんか?」

 恥ずかしいので、エリアスはユーシアに訴える。

 無駄だけど。




【コウガ地方 中華料理店『スキトキメトキス』】


 国家公認忍者レドラムは、気が付くと素手でチャーハンを食べていた。

 記憶を整理すると、悪徳宗教団体に身バレして催眠術を掛けられていたのを休職中のクソガキに救われてここに追い払われ、しかも奢られている。

 途轍もない羞恥心に襲われたが、目の前には旨いチャーハンが盛られている。

 食い尽くして気を晴らそうと、手を拭ってから匙を手に取る。

 食いながら、店内の間取りと人の配置に気を配る。

 店の反対側で、ユーシアが尋常ではない量の料理を食らっていた。

 声をかけて礼でも言っておこうかと思ったレドラムだが、他に接近して来た人物を見て、後回しを決意する。


 黙々と喰らい続け、三回目のコース料理を消費するユーシアとエリアス・アークの卓に、その男は当然のように歩み寄る。

 黒い礼装に身を包む、柔和そうな長身痩躯の中年男は、アルマーニの深紅のネクタイを弛めながら、声を掛ける。

「相席するぞ、ユーシア・アイオライト」

 ユーシアは声と態度で、その男が黒龍軍師ドマだと分かった。

 離れた席のレドラムは見知っているが、ユーシアは初めて黒龍軍師ドマの『外での姿』と対面した。

「人間形態の名は、ネロス・ギラで統一している」

 ネロス・ギラ(ドマ)との間に盾になるように、クロウが姿を現して着席する。

「過保護め」

「老練な化け物と十歳の少年を、援護なしで会話させぬよ」

「今宵の話を締め括りに来ただけだ」

 と言いつつ、注文を取りに来た店員に、オーダーを発する。

「汁なし坦々麺と麻婆豆腐辛さ二十倍、黒酢豚二皿に、回鍋肉五人前。酒は藍苺酒を瓶で二本。順番は適当で良い」

「ネロス・ギラ。我も頼んでいいか?」

「いいぞ。それだけの戦果は挙げたのだ。奢ろう」

「海鮮炒飯と五目炒飯とキムチ炒飯と牛肉炒飯。酒はライチ酒を瓶で」

「それが目的で出て来ましたね?」

 エリアスが生暖かい目でクロウを見る。

「出て来られるまでに回復した」

 疑り深い秘書に、クロウは一応の言い訳をする。

 食事が来る前に、ネロス・ギラ(ドマ)は話を進める。

「食い方が荒いな。アルビオンを殺せなかった自分を責めているのか?」

「はい、不思議です。殺した方が良かったのに、庇ってしまって…」

「考えずに庇ってしまい、その理由が分からぬか」

「分かりません」

「殺さない判断を下したのは、正しい。コウガの望月も、同じ判断をした。

 望月は知った上で判断したが、お主は直感での判断。故に後で悩む」

 ネロス・ギラ(ドマ)は、店員が差し出した藍苺酒二本を両手に握って、二本同時に一口飲んでから、話を続ける。

「あれは客人だ。

 この世界(リチタマ)に別の身体で訪問し、気侭に生きて去っていく。

 客人を殺傷しても、彼奴等は数秒で別の身体でリチタマに再訪するのみ。

 客人の視点では、この世界(リチタマ)はメタ世界も同然。

 別次元の不死身を相手に、物理攻撃は無意味だ。

 封印しても、自壊して再訪。

 精神攻撃で異世界の本体を破壊する術もあるが、成功例は稀だ。

 一方的に観光され、此方から手出しは効果薄。

 それがリチタマと客人の関係だ。

 治外法権の、天使たち。

 今宵のように悪性の堕天使が絡んで来たならば、相手が満足するまで五分に遊んで帰すのが、最適。

 なんだ、その顔は?」

 ユーシアの顔が、理不尽なイジメを目撃した真人間のように、怒りで沸き立つ。

「じゃあ、アルビオンみたいなのを、止める手段が、無いと??」

「倫理観も法整備も、リチタマと向こうの世界は多く被っている。重犯罪者への規制は、向こうも同じ。リチタマで犯罪者として始末された者は、向こうでも客人として訪問出来ないように調整されている。通常はな」

「アルビオンには、効果が無いようですが?」

「ダークウェブの恩恵か、個人で訪問スキルに特化しているのかは不明だが、彼奴はペナルティを受けていない」

「向こうの国家公認忍者に該当する者が動けば…いないのですか?」

「いるだろうな、強力な清掃人は。が、上手くすり抜けている。向こうの世界では、意外と常識人として目立たずにいるのかもしれん。憶測ではあるが」

「或いは、リチタマの悪行を、あまり深刻に受け取っていない?」

「ならば彼奴の本体を倒しに、異世界に行くか? 戻って来られる保証も無いのに」

 ネロス・ギラ(ドマ)の前に、麻婆豆腐辛さ二十倍が届く。

「もっと有効な反撃の方法が確立されるまで、我らは客人にとっての、消費物に過ぎないのであろうな。リチタマは、世界丸ごと観光地に等しい」

 ネロス・ギラ(ドマ)は話を一度打ち切り、麻婆豆腐辛さ二十倍を食する愉悦に埋没する。

 ユーシアは、重要な情報を咀嚼しつつ、気になる点を問う。

「今現在、リチタマに来ている客人の数は?」

「十億人」

 リチタマの総人口は、五十億人。

 視界に入った五人に一人が異世界からの端末と聞かされて、ユーシアは担がれているのではと考える。

「アホな陰謀説に聞こえるだろうし、そう受け取って流して構わない。真に受けるとストレスが溜まるだけだ。図太い者にしか、この秘密は明かしていない」

 ネロス・ギラ(ドマ)は、如何にもならない現状を、断言する。

 ユーシアは、信憑性の薄い陰謀説を食卓に載せてくる無責任な元上司に、苛々するのを顔に出さずにはいられなかった。

「忘れてくれていいぞ」

「どうやって?」

 ネロス・ギラ(ドマ)は酒を勧めようとして、クロウに横取りされる。

「今宵こそ、初飲みに相応しいと思わぬのか?」

「酒が不味くなる相手と初飲みするのは、可哀相だ」

 クロウとネロス・ギラ(ドマ)が、酒盃で勝負を始める。

 ユーシアは、ここを切り上げてリップ達へのお土産を頼もうと思案する。

(初めて酒を飲む時は、リップと一緒に決まっている)

 ダメ大人に絡まれるのを避ける為に、ユーシアは退店を決意する。

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