第10話 いや、そうはならんやろ
【バッファロービル一階 メイド喫茶『百舌鳥亭』一般ご主人様フロア】
リップとのデートまで三十分。
店内は、メイド店員の絶対領域を愛でながら夕食を取る趣向を選んだ一般ご主人様で混み始めているが、店の一番奥の席が『予約席』として確保されている。
リップの予約した席の周囲は、他の席から充分に距離を空けてある。
ユーシアが心配するのは、そこではなかった。
「サラサと同じ趣味の客が、多いな」
店内では、別料金さえ払えばメイド店員の撮影や動画撮影、特別料金で生配信も許可される。
ユーシアの目測では、二百席中、十二席で生配信を行っている。
(俺とリップのデートが中継されたら、リップのチャンネル登録者数が、激減するかもしれない。何か対策を打っておくか)
ユーシアが余計な気を回していると、サラサがユーシアの発言にクレームを入れる。
「サラサのは、趣味ではない。高度な文明への義務感に促された、感銘と愛に満ちた時空リアルタイム・ドキュメンタリー。メイド服店員を邪な目でオカズにする連中と一緒にするとは、心外胃腸薬」
「今の言い訳を、もう一度」
「サラサは、仕事と趣味を統一させて生きる、ゴブリン(人並鬼)族のレジェンドですぞ」
「そうか。ならいい」
「サラサの言い訳で納得するとは、さすが若頭」
今ので納得したユーシアと納得させたつもりのサラサに、レリーはツッコミきれないので焦りを感じた。が、バカバカしいので、焦るのをやめた。
本来の仕事を再開する。
「この階は、和みたい寛ぎたい、メイド服店員に良く思われたくて通う客が大半です。和やかな空気感を、尊重してください。ここでカスハラに及ぶ不愉快で不躾な客には、情け容赦なく出禁を通告します。
初回の出禁は、一週間の接近禁止。
二回目は、一ヶ月の接近禁止。
三回目は、悪質な営業妨害と看做し、通報します。起訴します。実刑を喰らうまで控訴します」
「四度目は?」
「まだ出た事がないですけど…社会的に抹殺処置じゃないかな?」
レリーはユリアナ様の顔真似をしながら、親指を下に突き立てて死刑アピール。
「ちなみに二階の場合は、カスハラに対する基準がゲストによって違いますので、要確認」
「問答無用で通報していいと思っていた」
「ゲストによっては、寛大にも、キン肉バスターだけで済ませる方もおられますし」
「そこまで優しい方が、この世に存在するなんて」
「…あと、知りたい事は、有るかな?」
「ユリアナ様の護衛として、メイド喫茶での割引券とかサービスは…」
このメイド喫茶を見て以来、ユーシアが懸念する最重要事項は、それだった。
まだまだ現金に余裕がない身で、相場の二倍以上の値段で食事を出してくるメイド喫茶に通うのは、気が引ける。
「明日の歓迎会で、とりあえず満喫しなさい。無料のサービスとしては可能な限り、前向きに萌えさせてあげる気がする」
レリーは、非の打ち所だけは無い営業スマイルで、ユーシアの過大な期待に釘を刺す。
「適正な料金抜きで、ご主人様とメイドごっこをすると思わないで! サービスは、有料! 無料のサービスは、都市伝説! 死亡フラグ! 手の込んだ罠! つー訳で、絶対に、求めないで! 表現を守る会が許しても、わたしが許さない!」
明らかに抱え込んだストレスの深淵に触れたらしく、力説の仕方がおかしい。
「分かりました、力説しなくても大丈夫。多くは求めません。都合の良い夢想もしません。俺は常識人ですよ」
レリーを宥める為に、ユーシアはメイド喫茶への興味を引っ込める。
「そして他に質問は、ありません」
「よし。うむ。では…」
レリーは、本日の仕事を果たし終えて、脱力する。
「なんか、疲れるチュートリアルだったなあ〜〜」
「今日は、ありがとうございました」
ユーシアはレリー先輩に深く一礼する。
「おう、お疲れ様〜」
レリーはヨロヨロとエレベーターに向かう。
「わたしは七階で夕飯にするけど、もう労働時間外だから、何も頼みに来ないでね〜」
「うん、ありがとう」
ユーシアはそう言いつつ、同時にエレベーターに乗る。
「? あの席で待たないの?」
「もっと良い服に、八階で着替える」
「着替えなんて、どこに…」
訝るレリーの前で、ユーシアは己の影から隠した衣装をチラリと見せる。
「趣味?」
「仕事着」
「ふううんん」
柔らかい緑のシャツワンピースに着替えたリップは、約束の十分前に予約席に着席する。
上機嫌なので、全身が輝いて見える。
「イリヤも、席に着いて。ユーシアとは、これから頻繁に顔を合わせるから、慣れてもらわないと」
「お言葉に甘えて、同席するであります」
イリヤも上機嫌なので、着席をお勧めされて少しも躊躇わない。
「あのう、御武家様」
メイド服店員が、リップの脇に座るイリヤに、引き攣り気味の笑顔で『お願いする』
「他のご主人様の通行の邪魔になりますので、腰の刀は預かります」
メイド服店員が、イリヤが脇に置いた二本の刀を預けるように促す。
「大丈夫であります。他の客がこの刀に蹴躓きそうになったら、自分がその客を弾き飛ばすであります」
イリヤは、手刀をシュパパパッっと振って見せる。
「武器より、当店のご主人様の安全を優先させていただきます」
イリヤは三秒考えて、自分の主張の方が非常識であると気付いて、刀を預ける。
「この店は安全だよ。自衛する戦力が充分整っているから」
「そうではありますが、刀を手放すと、武器がシマパンしかないので不安であります」
「さっきからやたらとシマパンを推すけど、ユーシアと結託したの?」
「シマパンに関しては、自分とユーシアは朋友であります」
「あっそう。あたしのパンツは、シマパン以外で決める」
「くっ、逆効果?!」
リップ主従がシマパン話で盛り上がっていると、約束の五分前にユーシアが席に姿を現す。
からんころん
からんころん
「お待たせ」
着替えたユーシアの姿に、イリヤの目が点になる。
ロングテール(右)と眼鏡を追加装備し、黒白パーカーとティアード・スカートで女装するユーシアが、リップの前に姿を表す。
予備知識が無ければ、誰もユーシアの性別を疑わないレベルの女装だ。
リップはユーシアの女装を隈なく見聞すると、その意図を聞いてみる。
「何の気遣いかな?」
「リップが異性とデートしている様子を中継されるのは、チャンネルの登録者数が激減するかなあと思って」
「要らないよ、異性とのデートを容認できないファンなんて。アイドルじゃないよ、あたしは」
リップはユーシアの心配を一笑に伏したが、ユーシアは着替えを元に戻す手間を省こうとする。
「元に戻さなくても、いいかな?」
「自信が有るようだけど、そろそろ、首の太さと肩幅で、誤魔化せなくなるかもね」
正妻は、容赦無くユーシアの女装の伸び代について指摘する。
「そうか、この格好でのハニートラップも、禁じ手になるかな」
「武器に使ったでありますか?!」
イリヤが、ユーシアの綺麗な生足に目を走らせる。
「ルアーだから。この格好は、あくまでルアーだから。ベッドインする直前にまで誘導するだけだから」
ユーシアは、イリヤの妄想が在らぬ方向に行く前に制止すると同時に、話題を切り替える。
「よしじゃあ、夕食にしよう」
「おし、頼もう」
リップがメニューを拡げ、イリヤがユーシア用のメニューを渡す。
リップ「オーダーしていいかな?」
ユーシア「いいよ」
イリヤ「御意」
リップが、先にチップをメイド服店員に渡してから、オーダーを伝え始める。
リップ「ハンバーグ&海老フライ、野菜サンドと、デザートはクラシックプリン」
イリヤ「ヒレステーキ450グラムにライス、サラダバー付きで。デザートはチョコレートパフェをお願いするであります」
ユーシア「坦々麺に、青椒肉絲。デザートは、抹茶あんみつ」
サラサ「五目炒飯に、酢豚。デザートはバケツプリン」
サラサが、当たり前のように席に着いて、図々しくも注文し、無許可で中継をしている。
ユーシアは、武器を放たず、顔色も変えず、リップとの再会を祝した夕食デートを損なわないように、サラサへ牽制球を投げる。
ユーシア「この席は、サラサの奢りでいいかな?」
サラサは、精神的なダメージで15センチ程ドット移動しながらも、覚悟を決める。
サラサ「中継を許可していただけるなら、サラサは奢ります」
サラサから言質を取ったので、注文が追加される。
リップ「追加でミニマグロ丼と、レモンケーキ」
イリヤ「ヒレステーキ450グラムを、もう一皿追加であります」
ユーシア「デザートに、イチゴパフェを追加します」
相場の二倍以上の値段設定であるメイド喫茶で、若者たちは容赦無く追加注文を重ねる。
ユーシア「あ、それと、テイクアウトでカプリチョーザピザを一枚」
サラサ「ぬ〜〜ん。苦しい」
サラサは食べ盛りの三人の追加注文にも怯まずに中継を続ける。
【〜とあるネットの片隅で〜】
「おいおい、やべえぞ、今日のサラサ・チャンネル」
「いつも不必要にヤバいけどな」
「なんでBANされねえの、このチャンネル?」
「気にするな、パダワンよ」
「リップとGカップ美女の食事風景だけでもご馳走なのに、あの金髪美少女は誰?」
「なんか親しそうだな」
「目が少し怖い」
「青く光る目って、ホラー映画以外で初めて見た」
「しかし美少女」
「美少年では?」
「女装?」
「最初の方の会話で、そう言っていた」
「マジで?」
「レベル高いな」
「危うく抜くところでござった」
「いや、拙者は抜ける」
「お前は、このスレから抜けろ!」
「あの食いっぷりは、確かに男だ」
「坦々麺の食べ方が、小池流だ」
「おお、リップにバカ受けだ」
「すると彼奴は、新手の芸人か?」
「…? ? この女装美少年の名前が、備考欄に載っていないぞ?」
「あ、本当だ。リップの守役の名前は載せているのに」
「おーい、サラサどん、記載忘れがありますよ〜?」
「気付け、サラサどん」
サラサ「記載ミスではない。名前は伏せる約定だ」
「本当?」
「本当に本当?」
「サラサどん、前にスタッフへの給料未払いの時にも、同じような言い訳をしなかった?」
「ああ! 秒で削除された!」
「サラサどん、プレミアム料金を払っているのに、鬼ですか? 鬼だけど!」
サラサ「サラサに堪忍袋が有ると思うな、人類よ」
「へへ〜んだ! 別アカで復活したもんね!」
「あああ! それすら許さずに、秒で削除!?」
サラサ「サラサのアンチになりそうな者は、即削除。それがサラサの生きる道」
一部のネットとサラサの財布以外、何の波乱も不穏もなく、ユーシアとリップの夕食デートは進んでいく。
【イリアス商会コノ国支部 会長執務室】
その様を見届けたシーラ・イリアスは、ぼっち酒を終わりにしようと、グラスを探す。
「? どこにやったの?」
魔杖トワイライトは、サラサ・チャンネルの荒れ具合を堪能する片手間で、主語の不足した主人の問いに応える。
「ユーシアは転生して新しい人生の路線へ。幸せそうですね」
「ちゃうわっ。グラスよ。お酒の」
魔杖トワイライトは、シーラの羽衣に止まる光の蝶を爪で指す。
「光の蝶に転生させましたよ」
「誰が?」
「そのレベルで酔いましたか?」
「私ぃ?」
光の蝶は、シーラから離れると、空になったポテチの袋に移動する。
『お母さん。ぼくもポテチ食べたい』
光の蝶が、生みの親の顔を見上げながら、おねだりする。
「酔ったまま自覚なしに生物変換したのに、この高性能。確かに、私の仕業」
「喋るインテリアと思って、放置しときましょう」
魔杖トワイライトが語ったポジションに不満なのか、光の蝶は輪郭を変えて変形する。
体長十センチ程の、蝶の羽が生えた小人妖精のような姿に変形し、見覚えのある青い瞳で魔杖トワイライトを見詰め返す。
「生まれたばかりだけど、部屋住み扱いは合わない気がします。ぼくは…使い魔? 人造ペット?」
魔杖トワイライトが、主人と顔を合わせて、確認を取る。
「原材料は、グラス。ウイスキーの滴。主人の唇から移った唾液の雫」
「…ええ、そうね。私の唾液が入ったから、遺伝子情報も混入して高性能に…」
シーラ・イリアスの脳内で、一時間前にユーシアにディープキスをしてしまった場面が、グルングルンと大回転する。
「主人。主人の口中に残った、ユーシア・アイオライトの唾液から遺伝子情報が、ちびっと入った可能性が…」
シーラは小人妖精を掴むと、体内を巡る呪刻血液を遺伝情報解析に全振りする。
「0・2%だけ、ユーシアの遺伝子が混ざっている」
「…メチャクチャ縁遠い親戚レベルよりも更に薄い縁ですね。他人扱いになりますよ、裁判沙汰になっても」
魔杖トワイライトは、この件を可能な限り平穏に流そうとしたが、シーラ・イリアスは愛おしそうに元酒グラスを撫で撫でする。
「名前を付けましょうね」
愛情たっぷりに育てる気、満々である。
このヤバい情報は、ユリアナ様の宝物庫ネットだけに、共有された。
【バッファロービル一階 メイド喫茶『百舌鳥亭』一般ご主人様フロア】
デザートの途中で、リップとユーシアとイリヤの携帯電話が、メールの着信に震える。
リップ「おおっ、口から火を吐く女の子」
ユーシア「安産? 本当に?」
サリナ軍曹の出産報告に、世話になった子供たちに幸せが加算される。
イリヤ「お嬢様。お見舞いの日程は、いかがするでありますか?」
リップ「明日の午後一時にするよ。お土産は焼肉弁当一択」
ユーシア「俺は、明日の仕事の後にする」
リップ「今夜、行っちゃえば? どうせ忙しいよ?」
ユーシア「今夜の寝床の確保が、未だ」
リップ「うちに泊まる?」
ユーシア「泊まる」
イリヤ「一晩だけなら、認めるであります」
リップ「…じゃあ、一晩だけ」
ユーシア「…妥協しよう」
イリヤ「その間が怖いであります!」
イリヤの動悸息切れには構わずに、ユーシアは新しい乳弟妹の未来を少し考えてみる。
ユーシア「名前、決まっているかな?」
エリアス・アークとタウ・ザイゼンが同日同時刻に産まれた日を、ユーシア・アイオライトは忘れない。
色々とあり過ぎて、忘れない。
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