第9話 「覚えていてください。あなたが居て初めて私の幸せが成り立つんです」

森田さんに乗せてもらって辿り着いたのは、ドラマのセットですか?と突っ込みを入れたくなるような綺麗でお高そうなマンション。


(これは世に言う億ションなのでは……?)


レオンハルト様は今世でもお城に住んでいるらしい。


ピカピカに磨かれたエントランスに立つと、高級感に気おされて生まれたての小鹿のように足が震えてしまう。

さらに恐ろしいことに、森田さんはレオンハルト様の部屋番号を教えてくれたら私を置いてさっさと帰ってしまった。


てっきり一緒に会いに行くものだと思っていた私が引き留めると、「恋人たちの問題に私たちが茶々を入れるわけにはいかないでしょう?!」とお叱りの言葉を受けてしまったのだ。


だから、私はレオンハルト様の恋人ではないのですが、と心の中で否定しつつ、去り行く赤い軽自動車を見送った。


「へ、部屋番号とか合っているの?」


一つ不安が生まれればキリがなく、次々と生まれて溢れてしまいそうになる。

とはいえこのまま引き返すわけにもいかず、思い切ってオートロックの扉に備え付けられてあるインターホンのボタンを押して部屋番号を入力する。


(間違えていたらどうしよう……)


そんな不安を抱きつつチャイムを鳴らすと、


「あ、杏奈?!」


スピーカーから、レオンハルト様の動揺した声が聞こえてきた。


「どうしてここに? 一人で来たのか?」

「話があってきました。途中までは森田さんが一緒に居たんですけど、……先ほど帰ってしまいまいまして……」

「……」


わりと長い沈黙の後、レオンハルト様が小さく呻くのが聞こえてくる。


「迎えに行くから待っていてくれ」

「あ、はい……」


棒立ちになって扉の前で待っていると、自動ドアが開いてレオンハルト様が現れる。

ライトグレーのスウェットに、スポーツブランドのロゴがワンポイントになっている黒の細身のパンツといったラフな装い。


すっかり現代の男性らしい装いをしているレオンハルト様が珍しくて凝視してしまう。


「そんなに見つめないでくれ」


そう言って、耳まで真っ赤にしているレオンハルト様はもっと珍しかった。


     ◇


予想はしていたが、案内された部屋は広くて綺麗でお高そうでお洒落。

モノトーンで統一されているためか、シンプルで整然とした印象の部屋だ。


そしてカーテンは閉めておらず、窓の外には夜景が広がっている。


「紅茶を淹れるから待っていて」

「は、はい……!」


きらきらしい空間が落ち着けず、ふかふかのラグの上で正座して固まっていると、紅茶を持って来てくれたレオンハルト様も向かい合って正座する。

長い脚を折りたたむのに苦労してぎこちなく座っているのが少し可愛らしかった。


「レオンハルト様、配信を止めるつもりなんですか?」


さっそく話を切り出すと、レオンハルト様は優雅な所作で紅茶を飲んではにっこりと微笑む。


「そうだ。先ほどの配信を最後にして止める」

「どうして……、本業が忙しくなったからですか?」

「いいや、私なりに考えたからだよ」


緑色の瞳がゆっくりと伏せられ、どこか憂いを含んでいるような、そんな空気を纏わせた。


「杏奈の真の幸せを考えた時、私が杏奈に干渉するのが良くないとわかったからだ。其方が好きな動画配信に私が関わればまた、其方から自由を奪ってしまう。それは嫌だろう?」

「……っ、それは……!」


嫌かと聞かれれば、嫌ではない。だけどレオンハルト様とはもう関わりたくないと思っていたことも事実で、彼に前世の名前を呼ばれる度に自由を求めて藻掻いていた。


それでも、レオンハルト様が配信を止めて私から離れてしまうことを思うと、どうしようもなく寂しく思ってしまう。


相反する気持ちが胸の中を行き来して、私の言葉を奪う。


「杏奈に振り向いてもらいたいあまり見落としていた。私が本当に願うのは杏奈を守れる存在であるということ。だから杏奈が私の所為で不自由を感じるのであれば、これ以上は干渉せずに離れて見守ろうと思ったのだよ」


レオンハルト様は俯く私の顔を覗き込んでくる。

穏やかな笑顔の仮面を被って。


「ずっと女神様に願い続けてきた。私は、愛する人を……杏奈を、守れる存在になりたいんだ」


ぷつん、と頭の中で何かが切れたような音がした。


「……ずるいです」


口を突いて出てきた言葉の、なんとまあ拙いこと。

だけどそれが、今の私の本心だ。

レオンハルト様を睨み、手に持っていたティーカップをローテーブルの上に置いてから彼に飛びついた。


「碌でも無いし、腹黒いし、いつも私を振り回してきて迷惑なんですけど――」

「はは、想像以上に嫌われているな」

「……嫌いじゃ、ないです。だから目の前から居なくならないでください」


反論したその刹那、レオンハルト様の両腕に捕らわれる。

頭にはレオンハルト様の唇が触れた柔らかな感触がした。


「覚えていてください。あなたが居て初めて私の幸せが成り立つんです」


振り回されて迷惑だと思っていてもいつの間にか、レオンハルト様は私の心の奥底にまで居座っていた。

だから、もう護衛でも何でもないのに、レオンハルト様が居なくなってしまうと思うと堪らなく不安になるのだ。


「レオンハルト様のことを、愛しているんだと、気付きました」


ずっと胸の奥底に眠っていた想いを告げると、心が震える。

それに呼応するように涙が呼び覚まされてしまい、つうっと頬を伝い落ちた。


滲む視界の中で、レオンハルト様は目を細めて眩しい物を見ているような顔をしている。――その口元は美しく弧を描き、心の底から嬉しそうに微笑んでいるように見えた。


「その言葉、これからもこの先もずっと忘れないだろう」


レオンハルト様の手が頬に触れて涙を拭ってくれる。

子どもを宥めるように頬や額にキスをしてきて、やがて唇に辿り着く。

そっと塞いでくる柔らかな熱を受けとめた。


「愛する杏奈からの告白だからね」


美しい色の目から、ほろりと涙が零れ落ちている。

昔の心優しいレオンハルト様が、戻ってきたようだった。


     ◇


翌朝、レオンハルト様と一緒にマンションから出ると、なんと筧さんが外で待っていた。


「か、筧さん?!」

「よお、お父さんは朝帰りなんて許した覚えはないぞ?」


ニヤリと意味深に笑う筧さんには全て見抜かれているようで、何も言い返せず「うっ」と言葉を詰まらせる。


「一時はどうなるかと思ってヒヤヒヤしていたけど、お前たちは上手くいってよかったよ」


お前たちは、と言った筧さんの言葉が妙に引っかかる。


「……どういう、ことですか?」

「お前たち、前世の記憶があるんだろ?」

「い、いつ、気付いたんですか?!」

「王子サマから直接聞いた」

「まさか、それを信じたんですか?!」


心の底から驚いて聞いてしまうと、筧さんは迷いなく「ああ、」と答えた。


「実は俺にもあるんだよ。喜志や王子サマとはまた違う世界で生きていた時の記憶だ。――ただ、俺の場合、再会できた相手は俺のことを覚えていなかったし、俺以外に惚れたやつがいて、そいつと結婚していたから悲恋だけどな」


筧さんは自嘲気味に笑い、私たちから視線を外す。


「あの人が幸せだったらそれでいいんだ。だから俺はあの人の近くで働くことにして、毎日見守っている」


彼の視線の先には――、こちらも私たちを心配して朝イチに駆けつけてくれたのか、手を振って走ってくる森田さんが居る。


(もしかして、筧さんが独身でいる理由って、森田さんのため……?)


確認したいけれど、筧さんが人差し指を口元に当てて見せてくるものだから、聞くのは躊躇らわれた。


     ◇


それから何事もなかったかのように出社して仕事をしていると、夕方ごろになって急に筧さんに呼び出される。


「喜志、今日は早く帰れ。王子サマが迎えに来るからよ」

「いや、来ませんから」

「迎えに来るって連絡があったんだ」

「じゃあ、来ないでくださいと返してください」

「お前、本当に昨日恋人になったんだよな……?」


確かに、恋人になったはずなのに連絡先を知らないのは笑えてしまう。

だけど、それとこれとは話が別だ。


「まあまあ、今日くらい大目に見て応じてやれ。それに、時間になったら森田さんも帰宅を急かしてくるだろうよ」


ああ、レオンハルト様側の人間に囲まれて孤立無援だ、と天を仰いだ。


それから定時になると筧さんの宣言通り、森田さんがやって来て私をエントランスまで引きずっていく。その先にはレオンハルト様が居て、麗しい笑顔を浮かべて森田さんに礼を言うと、私を連れ出してしまう。


「急にどうしたんですか?」

「急ではない。杏奈と想いが通じ合えばこうしようと密かに準備していたんだ」


そんな具合に躱されて辿り着いたのは、夜景を一望できる展望台。

もしやと思い振り返れば、レオンハルト様は膝を突いて私の手を取り、左手の薬指に婚約指輪らしい大粒のダイヤモンドが付いた金の環を嵌めてしまった。


「杏奈、私と結婚してくれ」

「は、早い……!」

「ああ、早く杏奈の家族になりたかったから急いで用意した」


茫然とする私の手を持ち上げ、ダイヤモンドにキスをする。

それがとっても絵になっていて見つめてしまった。


「杏奈の気持ちを聞かせて?」


上目づかいで答えを求められてしまえばもう、心臓がけたたましく音を立ててしまう。


「あ、あの……はい。不束者ですが、今世では妻としてよろしくお願いいたします」


するとレオンハルト様はほろりと笑い、優しくキスをしてくれた。

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