首替奇譚 -兄(オレ)が妹(アイツ)で、妹が兄で-
嵐山之鬼子(KCA)
【前編】
-0(Prologue)-
「双芭(ふたば)ちゃん、そろそろ体育館に行かんと」
女子更衣室で、遼子ちゃんに声をかけられたボクは、一瞬、ビクッと背中が震えそうになるのを堪え、極力平静を装って返事をする。
「う、うん、わかった。すぐ、用意するね」
その言葉通り、手早くセーラー服を脱いで、水色の巾着袋から取り出した体操着に袖を通す。
(ああ、やっぱり誰も気づいてない──みんな、ボクの事を妹の双芭だと思ってるんだ)
* * *
──今朝起きたら、僕と妹の首がすげ替えられて、僕の頭が双芭の身体に、双芭の頭がボクの身体にくっついていた。
もちろんビックリしたけど、不思議なことに、僕らふたり以外の人は、家族も含めて誰もこの異常事態に気づかない。両親に説明しても、冗談を言っていると思われちゃった。
しかも、僕は「中学2年生の妹の双芭」、双芭は「高一の兄・俊章(としあき)」だと、周囲に認識されてるみたいなんだ。
そりゃね、2歳違いの兄と妹だから、まるっきり顔が似てないってわけじゃない。むしろ、どっちかって言うと、ひと目で兄妹とわかるくらいには似てると思う。
それでも、性別や髪の長さも異なるっていうのに、実の親でさえ兄と妹を見間違えてるなんて、どう考えても異常事態だと思う──まぁ、それを言ったら、「首から下が入れ替わっていること」自体が異常なんだけど。
とは言え、今日は月曜日の朝、普通に学校がある日だ。いつまでもパジャマ姿のまま部屋に引きこもっているわけにもいかない。異常に気付いてないパパやママに叱られちゃうだろうし。
ふたりで相談した結果、今日のところは僕らは身体に合わせた学校に通うことになった。
幸い、双芭は結構ボーイッシュなタイプで一人称も「ボク」だから、堂々としていればボロは出ないと思う。
(──あれ? そう言えば、僕、両親のことをパパ・ママって呼んでたっけ……ん~、ま、いいや)
妹の双芭の部屋で、戸惑いと恥ずかしさを堪えつつ、パジャマから中学の女子制服に着替える。
有難いことに妹の学校は僕も去年まで通っていた地元の公立中学だ。実際、去年は何度か双芭と一緒に通学したこともある。
(まさか、その時に妹の親しい友人達とも、おおよそ顔見知りとなっていたことが、役に立つ日がくるなんてね)
そんなコトを考えながら、着替えを始めた。
フリル飾りのついたコーラルピンクのパジャマの上着を脱ぐと、そこには掌サイズのオッパイが揺れる「女の子」の裸があった。極力見ないよう、意識しないように努力しつつ、枕元に於いてあったノンワイヤーの白地に薄い水玉模様の3/4カップブラを着用する。
(14歳にしては、まぁまぁの大きさかな?)
などと一瞬脳裡に浮かんだ兄にあるまじき感想を、フルフルと頭を横に振って追い出す。
サイドからセンターに向かって斜めにカットしたカップに、脇の肉を寄せ集めて押し込むと、より一層胸が大きくなったように感じる。
それをあえて無視して、今度はパジャマのボトムをずり下ろして脱ぎすてる。男性のそれとはまるで異なるペッタリと平たい下腹部は、ブラジャーとセットになるらしい水玉模様のショーツで覆われていた。
いくら肉親とは言え、いや、家族だからこそ、女の子の下着姿を目にすることは途方もない罪悪感があった。
(うぅっ、意識しちゃダメだ。平常心、へいじょうしん……)
そう、自分に言い聞かせながら、脱いだパジャマを摘みあげる。
朝からの騒動で随分冷や汗をかいたから、コレは、このまま畳まないで洗濯に出したほうが良さそうだ。
壁にかかっている、中学3年間で僕自身の目にも見慣れたセーラー服を手に取る。デザインは白をベースに、半袖で襟に紺のラインが3本入ったオーソドックスなタイプ。
スカートの方は、ありがちな紺色だけど、古典的なヒダスカートじゃなく、幅広のボックスプリーツで、裾近くに2本白いラインが入っているのがちょっとオシャレだ。
(さっさと着ちゃおうっと)
左脇のホックを外してスカートに足を突っ込み、ホックとジッパーを締める。セーラー服の方も、脇のジッパーを上げて被り、襟の形を整える。
ようやく下着姿ではなくなったことでひと息つけた僕は、ベッドに腰掛けて膝下までの長さの紺のスクールソックスを履いた。
最後に、臙脂色のナイロンスカーフを手にドレッサーを覗き込む。ウチの中学のスカーフはやや大きめで結び方も独特なので、さすがにこればかりは何も見ないで済ませるのは難しい。
「ん~、こんな感じかな」
見よう見真似だけど、それらしい形にまとまったことを確認したボクは、そのままブラシを手に取り髪型を整える。
と言っても、元は男の短髪、女の子として見ればベリーショートだからたいして手間はかからない。
どうしても収まらない左耳の上のクセ毛はハート型のヘアピンで押さえることにした。
「よしっと。あ、もうこんな時間だ。早く朝ごはん食べなきゃ!」
カバンはあとで取りに来ることにして、足早に妹の部屋を出る僕。
事前にてこずるだろうと危惧していた着替えが、思ったよりスムーズに済んだことに安堵していた僕は、だから不審な点に気付かなかったんだ。
初めてブラジャーを着けるにも関わらず、何の問題もなくそれができ、それどころか「脇の肉をカップに入れる」などという普通の男はまず知らないだろう行為をごく自然にやってのけたことに。
詳しく構造を知らないはずの女子の制服(しかも着ずらいセーラー服)を、少しも戸惑うことなく「いつもの双芭と同様の手順で」キチンと着れたことに。
いつもショートヘアなので、生まれてこの方一度も使った経験のないヘアブラシをごく普通に女の子らしく使いこなし、なおかつ躊躇いなく可愛らしいヘアピンまで着けてしまったことに。
──あとで考えれば、たぶん、この時から既に“浸食”は始まっていたんだと思う。
-1-
朝食の席は、お互い座るべき椅子を間違えかけたり、僕は胃が小さくなったせいかトースト1枚しか食べられなかった(逆に双芭はペロリと2枚平らげた)りと、小さなトラブルはあったけど、何とか無難にやり過ごせた。
「じゃあ、大変だと思うけど、気をつけてね『お兄ちゃん』」
「うん。そっちこそ、調子に乗ってハメを外しちゃダメだよ、『双芭』」
並んで玄関を出たのち、互いに牽制とも激励ともつかない言葉をかけあって、僕ら兄妹は左右に分かれた。
「六路(ろくろ)俊章」の立場になった双芭は、通学電車に乗るため駅の方へ。他人から「六路双芭」と見なされる僕は、地元の公立中学の方角へ。
春まで通いなれた道のりを歩く僕はともかく、僕の高校へ初めて足を踏み入れる双芭の事は心配だったけど、そのあたりは妹の機転と要領の良さに期待するしかない。
僕は溜息をひとつついて歩きだそう──としたんだけど。
「ぅ……か、カバンが重いぃ」
定期試験時を除いて、宿題が出た教科以外は基本的に教科書を学校に置いてる僕と違って、双芭は毎日その日使う教科書をキチンとカバンに入れて持ち運んでいるらしい。
その分、ただでさえ普段より荷物が重いのに加えて、非力な女の細腕では、革の通学鞄を気楽に片手でぶら提げるというのは無理なようだ。
仕方なく、僕は両手を体の前で揃えるようにしてカバンを持つ。その体勢では、自然と歩幅も小さめになり、意図せずして僕の歩き方は、結果的に女の子らしい淑やかなものにならざるを得なかった。
(まあ、女子中学生が大股でノシノシ歩くよりは、怪しまれなくていいか。幸い体の方もこういう歩き方に慣れてるみたいだし)
学校近くまで来て妹の友人達と顔を合わせ、「おっはよ~ん♪」となるべく双芭の気安い口調を真似て挨拶し、軽く雑談しながら、僕は頭の片隅でそんな風に考えていた。
──そのせいか、特に意識しなかったにも関わらず、足が勝手に動いて双芭の下駄箱の前に来て、そのまま上履きに履き替えたことも、その時は不審に思わなかったんだ。
-2-
「それでさぁ、昨日のテレビで……」
「あ、駅前にできたクレープ屋あるじゃない? あそこさぁ……」
「うー、誰か数学の宿題うつさせて~、今日、当たるのぉ!」
なんとも姦しい(って言うんだろうね、こういう状況)女の子たちの朝のおしゃべりに、内心感嘆しつつ、僕もあやしまれないよう極力話を合わせる。
もともとテレビは妹と同じ番組を観てるし、暇な時に双芭の持ってるコミックを借りたりもしてたから、そちら方面の話には大体ついていける。
お化粧とかの話題はさすがに無理だけど、幸い妹の双芭もいまいちそういうのに興味が薄いボーイッシュな子だったからね。妹の友達も「ああ、いつものコトか」と思ってくれたみたい。
「それにしても、もったいないなぁ。双芭ちゃん、可愛いのにぃ」
「だよね。フーちん、おしゃれしたら、結構イケてるって」
ところが、教室に入って雑談してる時にも、その話題が蒸し返されちゃった。
(うーん、こういう時、双芭ならどう言うかなぁ……)
ちょっと考えてから、口を開く。
「アッハハハハ、みんな、そんなにおだてたって、な~んにも出ないヨ!」
とりあえず、女の子にしては豪快に大口を開けて明るく笑って見せた。
「また、この子は」と呆れた顔つきになる双芭の親友ふたり。
えーっと……長めの黒髪をリボンでくくってポニーテイルにしてるのが遼子ちゃんで、セミロングの茶髪を軽く外ハネ気味にしてる方が絵梨ちゃん(双芭はエリリンって呼んでたけど)だっけ?
もっとも、正直に言えば僕もふたりと同意見だ。
双芭は、そのあっけらかんとした性格と身なりに無頓着過ぎるところにもう少し気を遣えば、兄の目から見ても、かなりイイ線いくと思うんだけどなぁ。
──待てよ。とりあえず今は、ボクが「御園坂中学2年3組の六路双芭」なんだよね。だったら……。
「う~ん、そこまでふたりが言ってくれるんなら、ちょっとくらいは気をつけてみよっかな。でも、ボク、ファッション誌とかぜんぜん読まないよ?」
とりあえず神妙な顔つきで譲歩してみせる。
「おぉ、ついに、あのフーちんがお洒落に目覚める!?」
「まかせて! 思いっきり、かわいくしたげるさかい!」
案の定、ふたりが食いつく食いつく。部活のあと、駅前の繁華街へ連行されることが即座に決定しちゃったんだ。
あまりの勢いにちょっと引いたけど、まぁ、これも大事な妹の未来のためだと、僕は覚悟を決める。
──けれど、この時、僕は失念していたんだ。
現在進行形で起こっているこの“異常事態”が、はたしていつになれば収束するのか……いや、そもそも、もう一度元に戻れるのかすら、まったくわからないってことを。
-3-
双芭の友達との朝の会話を、なんとか無事に終えたところで、担任の教師が入って来てホームルームが始まった。
幸いと言うべきか、このクラスの担任は、僕自身も一昨年担任してもらった国語の木村先生だから、ノリとかは大体わかってる。加えて、この教室自体も僕らが2年生の頃に使ってた部屋だから、窓から見える景色なんかも見慣れたものだ。
そのせいか、下手なダジャレを連発する木村先生の雑談を聞き流しながら、どうかするとまるで2年前に戻ったかのような──いや、「そもそも高校入学までの2年間が、ひょっとして夢か妄想だったのでは?」なんて気分にさえなってくる。
見慣れた教室、見慣れた教師、見慣れた制服に見慣れた教科書……。
(ひょっとして、ホントは、ボク、まだ中学生なんじゃないかな?)
バカバカしいと思いつつ、そんな考えが脳裡に浮かんでくるのを、ボクは止めることができなかった。
それは──そうだったらいいな、という気持ちがどこか心の片隅にあるからだろう。
高一の1学期が始まって2ヵ月あまり。けれど、志望校に落ち、かろうじて滑り止めの私立高校に入った僕は、親しい友達の大半と学校が別れたせいもあり、あまり高校生活を謳歌しているとは言えない状態だった。
別にいじめやシカトとかをされてるわけじゃないけど、淡々と惰性で学校に通っている感じ。
そのせいか、久しぶり(といっても3ヵ月ぶりくらいだけど)に足を踏み入れた中学が、とても懐かしく、暖かく感じたんだ。
とは言え、それでもふとした拍子に自分が着慣れた学ランじゃなく女子のセーラー服を着ていることに気付くと、自然と自分と妹を襲った“異常事態”のことに思い至り、何とも言えない気分になった。
──もっとも、あとから思い起こしてみると、逆にそれ以外は、自分が「スカート姿で足をピッタリ閉じて座っている」ことにも、「女の子らしい丸っこい字でノートをとっている」ことにも、まるで気付いていなかったんだけどね。
あまり成績が芳しいとは言えない僕だけど、一応高校生なんだから、さすがに中二の授業についていけないというコトはなく、先生に当てられてもキチンと答えることができた。
勉強より身体を動かすほうが得意な僕と違って、妹は優等生だから、双芭の評判を落とさずに済んでよかったよ。先生に褒められたこともめったになかったから、気分いいしね。
──そして、今日の4時間目が体育の授業で、冒頭みたいなやりとりがあったワケなんだ。
え? 女子更衣室の感想?
う~ん……思ったより、フツー、かな。クラスメイトの女の子達が着替えてるのを見ても、最初少しだけ戸惑ったけど、すぐに気にならなくなって、普通に雑談とかに参加できたし。
あ、だからって、ボクが女の子慣れしてるとかそういうんじゃないからね?
あくまで推測だけど、たぶん、今首から女の子になってるからじゃないかなぁ。そのぅ、この身体じゃ、おチ●チンが勃ったりしないわけだし。性欲って、やっぱり“下半身”からくるものなんだねー。
だから、遼子ちゃんたちに急かされたときも、ごく自然に女子の体操服とブルマ(!)に着替えて、ふたりのあとを追うことができたんだ。
ただ、着替えるのはすんなり済んだんだけど、実は体育の授業そのものにはちょとしたトラブル(ってほどじゃないけど)があった。
(な、何、この身体……こんなくらいでへばっちゃうの!?)
多分、客観的に見たら、妹は「14歳の女子」としては平均程度の運動能力は持ってるんだと思う。
でも、元々「スポーツが得意な男子高校生」だった僕から見たら、筋力も敏捷性も体力もおそろしく低くて、頼りない。前の身体より勝ってるのは柔軟性くらいだろう。
(あぁ、今のボク……やっぱり女の子なんだ)
改めて、自分の首から下が妹の──女の子のモノになっていることを思い知らされたボクは、その時初めて、落胆とも違和感ともちょっと違う何かモヤモヤした感覚を、感じたんだ。
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