付き合って五年目のマンネリ幼馴染が常勝無敗すぎる

シン・タロー

付き合って五年目のマンネリ幼馴染が常勝無敗すぎる

 緊張した面持ちの彼女が、意を決したように顔をあげると、大きな瞳が切なげに輝いた。


「あの! 早乙女くん、私、私ね……?」


 屋上に吹く風にあおられて、清楚に結ばれた黒いポニーテールが揺れる。

 彼女は頬に張りつく髪を気にもとめず、両手を胸の前でぎゅっと組み合わせる。


 まるで願いを祈るように。


「私、ずっと早乙女くんのこと、好きだったの」


 甘く投げかけられた言葉は、風に乗って心地よく耳を撫でたのだった――



◇◇◇



「――て、感じだったかな」


 炎天下の縁側に座り、のろのろ首を振る扇風機が風を運んでくるのを今か今かと待っていた。


 王様気分で居座る頭上の太陽に目を細める。

 セミの鳴き声が夏を全力で飾りつけている。

 隣に置いた麦茶入りのコップは、表面に僕と同じくらいの汗をかいている。


 こめかみをシャツの袖で拭い、背中にぬるい風をときたま浴びながら、あの屋上の気持ちいい風と空間を回想していた。


「へぇ~そっかぁ~」


 そっけなく、間延びした喋り方は華恋かれんの特徴だ。

 それにしても反応の薄さを不満に思い、後ろ手をついて振り返る。


「なんだよ、華恋が聞きたいって言ったんだろ?」


 扇風機の近くに陣取った華恋は、両手を広げて畳にぐでっと寝そべっていた。

 僕の位置からでは茶髪の頭頂部と、Tシャツを盛り上げている胸の谷間がよく見える。


「いやさぁ……染也そめやに告るとか、感性が独特っつか……ピカソ的な~?」

「なにそれ、馬鹿にしてる?」

「あーちゃうちゃう、べつにピカソもその子も馬鹿にしてないっつーの」

「……否定の対象に僕が入ってないんだけど」


 その抗議には応じず、華恋は両手のみならず両足まで駆使して扇風機を抱き込んだ。


「あっづぅ~……」


 直風を顔に浴び、声をビブラートさせる華恋。

 固定されて首を振れなくなった扇風機が、ガタガタと異音を出している。


「それ壊したら余計暑くなるよ」

「ゔぅ~~」


 一つ歳下の華恋かれんは幼馴染で、小さい頃からいつも一緒だった。

 僕とは生まれが一ヶ月しか違わず学年を分けられてしまったので、歳上ぶると途端に不機嫌になってしまう。

 昔からだ。


 で、そんな昔からの付き合いなので、よっぽどでなければ華恋が他人の悪口なんか言わないことを知っている。


「はぁ……はぁ……もぉむり死ぬ」


 扇風機を解放した華恋は膝を立て、仰向けのまま器用にずりずり畳を這いずってくる。

 尺取り虫みたいだった。


 僕は見慣れた光景だけど、もう高校生になったというのにこの体たらくはどうしたものか。


 縁側までたどり着いた華恋は、頭を持ち上げると僕の膝へ「よいしょ」と乗せた。

 腰まで伸びたボリュームのある髪が、短パンから放り出した僕の素足をくすぐる。


 巻き髪を指ですいてやるとシャンプーが香り、華恋はネコみたいに首をすくめる。


「髪、ぼっさぼさじゃないか」

「なに、お説教か~?」

「ちがうよ。もう少し身だしなみ整えたらって話。ドライヤーかけた?」

「説教じゃん」


 同年代の平均より身長の高い華恋は、スタイルがいいと学校で噂されてるのを聞いたことがある。

 この田舎町では若干浮いた容姿のせいか、男女問わず興味を持たれることも多いみたいだ。


 今のだらけきった姿を見たら、何人が幻滅するだろう。


「でも、や~だよ。だれに見せるわけでもなーし」

「僕が見てるだろ」


 ゆるくウェーブのかかった前髪をかきわける。

 額がさらされると、風が当たって気持ちいいらしく華恋は「うへへぇ」と笑って目を閉じた。


 縁側に吊るした風鈴がチリンと鳴り、夏の熱気を一瞬だけ和らげてくれる。


「……ね、汗べたべたしてない?」

「いや、さらさらしてる」

「そかそか。ほへほへ」


 手ですくい取った華恋の汗は、指先を擦り合わせてる間に水気が消えた。

 僕の体内に取り込まれたかのような錯覚に陥る。


「なぁー染也……なんか怒ってんの?」

「どうして。怒る理由がないよ。僕には華恋の方が機嫌悪く見えるけどな」


 気だるそうに寝返りを打った華恋が、大口を開けて僕の腹にかぶりつく。

 歯が食い込む刺激で、腹筋がビクッと震えた。


「わき腹うんめ~、はぐはぐ」

「いっ……ちょっと痛い、こら、汚いからやめろって」

「ぱはぁっ。あ~あ、汚いとか言われたし」

「じゃなくて、僕の服がだよ。汗もかいてるから」


 唾液を吸ったシャツの腹部には染みができていた。


 とりあえず華恋の口端を指の腹で拭ってやる。

 唇まで指を伸ばせば、ぷるんとグミみたいな弾力が面白く、何度かつつく。


「……なぁに? おねだりかぁ?」

「……おねだりって、なんのこと?」

「へぇ~。ふぅ~ん。そんな態度なら、いっか」


 せわしなくまた寝返りを打った華恋は、身体にこもった熱を排出するように、僕の膝へ息を吐きかけた。


「昨日さぁ……わたしも告られた」


 セミがジワジワと鳴いている。

 麦茶入りのコップの中で、重なった氷が溶けてカランと存在を主張する。


 暑いな、今日は、とても。


「へぇ……だれに?」


 だからこんなに、声もかすれてしまった。


「今さ~?“グェ”みたいな、なんか変な声出さなかった?」

「喉が渇いて、ちょっと声に詰まっただけだよ」


 麦茶を飲もうと床板に手を這わせるも、先に華恋がコップを引ったくってしまう。

 首すじに汗を浮かばせて、華恋の白い喉はコクコクとあっという間に麦茶を飲み干していく。


「ぷはっ……で、なんだっけ?」

「横になったままで行儀が悪いな」

「ほ~らまた始まった」


 華恋はコップの中から氷を一つ取り出すと、僕へ差し向けるように掲げた。

 溶けて小さくなった氷は華恋の指先を濡らして、日焼けと縁のない腕をしずくが滑り落ちていく。


 Tシャツの袖口――その奥へと消える水滴を見送った僕は、しなやかな指がつまんだ氷を口に含む。


 なぜか、氷菓みたいな甘さがした。


「……冷たい」

「ふふん。そーだろそーだろ」


 僕が華恋と、恋人として付き合い始めたのは中学一年生の頃だ。

 華恋はまだ小学六年生だった。


 きっかけというきっかけは、特になかったように思う。

 ただ、周囲でぽつぽつ付き合い始める友達の話を聞いて“じゃあ僕らも付き合ってみようか”みたいな。

 たしかそんな流れだった。


 お互いにたぶん、一番仲のいい異性だったから。

 幼馴染だから。

 理由なんて、それだけ。


 それだけで、付き合ってもう四年が過ぎた。

 僕は現在高校二年生。華恋は同じ高校の一年生。

 恋人としての新鮮さなんて、華恋が僕に感じることはないだろう。


「華恋、そろそろ帰る?」

「ん……なんで?」

「だってバスの時間、もうすぐだろ」


 ヒグラシも鳴き始めた。


 僕の家は少しばかり町から離れているので、というか山の高いところに建っているから、華恋が住むふもとの町まで向かうバスは夕方が最後だ。


 いくぶんか清涼の増した風を浴びながら、山あいに傾く太陽を眺める。

 またもぞもぞ寝返りを打った華恋が、僕をじっと見上げる。


「……帰していいの?」


 とっさに返事ができなかった。

 喉がカラカラに渇いて、氷を求めてコップを見ると、底にわずかな液体が残るだけだった。


 頼るものがなく、僕は枯れた喉をふり絞る。


「じゃあ、なんか話、しようか」

「いいね~。なんの話する?」


 たどたどしく繋ぎ止める言葉に、華恋は素直に乗ってくれた。

 話題なんか、これといってない。


「こないだ雨の日にさ、バス停で――」

「バス停で?」

「ああ……いや、ちがう。――駅の近くに最近できた喫茶店なんだけど」

「できたね~カワイイ店~」

「…………そうじゃない」

「んん? どしたん?」


 幼い頃からだれよりも距離が近くて、恋人になってから五年目に入った。

 お互いに知らないことの方が少なくて、そんなんだから刺激もなくて、話題もループして、思い出も似たり寄ったりで――


「華恋、だれに告白されたの?」


 見開かれた大きな瞳を覗き込む。

 まつ毛の長い、くっきりした二重がまたたいて、華恋はほんの少しだけ視線を僕から外す。


「三年の……大崎ってひと」

「サッカー部のキャプテンか」


 男の目から見てもモテるだろうなと理解できる、目立つ容姿の先輩だ。

 同じくやや派手な見た目の華恋とは、並んで歩いても違和感がないかもしれない。


「……なんて返事したか、知りたい?」


 腐れ縁の延長みたいな僕と一緒にいるより、ずっとお似合いだと周囲の人間も言うだろう。

 この田舎町において、都会的な二人はどこを歩いてもさぞや話題となるにちがいない。


 開きかけた桜色の唇を片手で塞ぐ。


「いいよ言わなくて。僕が当ててやる」


 お似合いだからなんだってんだ。

 知るかそんなこと。


“華恋”は僕の“彼女”だ。


「“わたしは染也が大大大好きです。世界中のだれよりも愛してます。一生を二人で添い遂げます。だから、あんたなんかと付き合う気はこれっぽっちも――たとえ天地がひっくり返ってもありません”」


 この世で華恋と釣り合う男は、僕だけなんだ。


 硬直した華恋の顔が、耳の先っぽにいたるまで、みるみる内に赤く染まっていく。


 自分の願望をぶちまけた僕は、まるで祈るような想いを込めて華恋を見下ろしていた。

 つい先日、人生で初めて告白されて舞い上がっていた気持ちなんて、すっかりどこかに失せていた。


 茹であがった華恋が「もがもが」と苦しそうに身じろぎするのを見て、慌てて手を離す。


「ぷはあっ! ハァ……ハァ……は、鼻までおさえちゃだめっしょ……マジで……死ぬかと」

「ご……ごめん」

「……けど」


 いまだ火照った顔色で華恋は、子供の頃から変わらない、いたずらっぽい笑みを浮かべて。


「さっきの返事ねぇ……? 百点あげちゃう」


 僕は――あらためて思い知った。


 華恋と付き合ったときからずっと……

 いや、もっと前。

 初めて出会った幼少の頃からずっと、僕は華恋に溺れている。

 溺れ続けている。


 華恋の好みも苦手なものも知り尽くして。

 反応のパターンも全部読めて。

 華恋の百を知る唯一の人間としてこの先も存在していたい。


 声も笑顔も行動も思考も同じでいいんだ。

 何度繰り返したって、相手が華恋なら僕は。


 ふいに熱くなった顔を、僕は華恋のくびれた腹に思いきり沈める。


「おぉ? ちょ、わはっ、こら染也、ひとのお腹でふがふがすんな! あはは!」

「ふがふがなんかしてない」


 ふがふがしていた。

 バタバタ暴れる身体を押さえつけ、やわらかい温もりに包まれて、制汗剤と混じる華恋そのものを肺いっぱいに取り込む。


「あははは! やめっ――も――やめてっ」


 前後不覚に陥るほど、全方位を華恋で埋め尽くす恍惚とした時間は、強引に首を引っこ抜かれてあっけなく終了した。


「はぁ……はぁ……暴走しちゃってさ……ば~か。なぁ、染也、ほんとにわかってんのかぁ?」

「はあ……はあ……なにが?」


 熱い手のひらでムギュッと頬を挟まれる。


「ちゃんと、見て」


 顔は華恋の両手により固定されてしまったので、目だけを床板に横たわる身体へと這わせる。

 さんざん動き回ったせいで華恋の着衣は乱れて、めくれた裾からは白い柔肌がのぞいていた。


「へそ見んな。もっと上」


 タイトめのTシャツをぱつぱつに張らせ、山みたいに盛られたそこは――


「やらし。ばか。もっと上」


 つややかな唇。飛んで火に入るなんとやらのごとく無意識に引きつけられた僕は、でも顔をぐぐぐと力いっぱい手で押し返された。

 めちゃくちゃ頬が痛い。


「そこはまだ。上」


 やがて僕の視線は透き通った琥珀の瞳と交わる。

 揺るがない華恋の瞳に、少し動揺する。


 だって距離が近い。

 華恋とこうして、長いこと無言で見つめ合うとかこれまで何度あっただろう。

 数えるほどもあっただろうか。


「目ぇ、そらさないで」


 吐息に顔を撫でられる。

 魔法のような、媚薬のような言葉に僕はうなずくことしかできなかった。


「他のだれも見ないで。ねぇ? わたし、染也じゃなきゃこうして家に来たりしないよ? 染也じゃなきゃ、こうして何十秒も見つめたりしないよ? 髪が跳ねてるのは、はやく会いたくて乾かす時間ぜんぜん足りんかった。かまって欲しくて色々考えて、だからひざまくらしてもらえたのは超嬉しかった。めくれた服直さないのも、染也の気を引きたいからなんだよ? いつもずっと触れてたいし、いちゃいちゃしたいって思ってるんだよ? そういうこと、ねぇ、ほんとにわかってんのかなぁ?」


 子供に言い含めるかのように、終始優しげな笑顔をたたえた華恋の告白を、ただ聞き入った。

 だから僕も、少々潤んで見える瞳をまっすぐ見返して、正直に返答する。


「うん、不安にさせてごめん。ちゃんと全部、わかってる」

「ん……いじわるな聞き方とか、ごめんね?」

「いい。華恋のそういうとこも、大好きだよ」


 このときの華恋の表情は、デジタルとアナログ両方の写真におさめたいほどかわいかった。

 デジタルはスマホの待ち受けに。

 アナログは額に入れて飾る用。言うまでもない。


「あ。華恋……てか、バス」


 華恋にまたがる格好のまま、二人して縁側から外を見る。

 すでに日は暮れかけていて、バスの最終運行が終わったのは明白だ。

 ヒグラシどころか、クツワムシやコオロギが鳴き始めていた。


「今日、おじさんとおばさんは~?」

「仕事だよ。帰りは明日って言ってたけど」

「そかぁ。じゃ、泊まっていこっかな」

「え!?」

「……なに? だめなん?」

「いや……ぜんぜん、だめじゃ、ないけど」


 家に華恋が泊まるのは初めてじゃない。

 初めてじゃない、けど。

 なんというか、この雰囲気で二人きりになると、状況的に、なんか。


 うろたえる僕にまたいたずら心が芽生えたのか、華恋は並びのいい歯を見せて笑う。


「つづき、すりゅ? 染也、下見て?」

「はっ? 下……!?」


 思わず、ショートパンツから伸びた綺麗な素足に目がいってしまう。


「いきすぎ。さっき“まだ”っておあずけしたとこ、あんでしょ~が」


 恥ずかしそうに両足を擦り合わせる華恋を、僕は上に上になぞっていく。

 視線が口もとまで達したとき、華恋は人差し指で自身の下唇にとんとん触れた。


 その合図は魔法を行使するおまじない。

 再び魅入られた僕は、馬鹿みたいに華恋の唇から目を離せない。


 華恋が、僕の首を引き寄せるように両腕を絡めてくる。


「ちゅー……したげよっか?」

「うん……」

「……おねだりは?」

「うん……キスだけ?」

「こ~ら」


 ごちん。

 と、痛さを感じない頭突きをもらった直後、唇が華恋と溶け合った。

 なにも思考できないほどぐずぐずにされながら、それでも断言できる。


 僕の幼馴染に勝てる相手なんて、存在しない。



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