第2章
フィオナが泣いている。俺はなんと声をかけたらいいかわからなくて、ただじっと側でフィオナを眺めていた。時々背中をさすってやったりしながら、ただひたすらにじっとそうしていた。
フィオナが泣き止んだのはそれからしばらくした後で、俺はそれを見て酷く安心したのを覚えている。
俺の薄っぺらい人生経験では、その時のフィオナになにをしてやるのが正解だったのかわからなかった。いや、今でも正解なんていうものはわからない。
ただ、突然一人になってしまったフィオナの側にいてやることくらいしかできなかった。
「世界がもっと面白くなったらいいのに」
フィオナに聞かせるためか、俺がそう思ったのか。
ぽつりと、俺は呟いた。
魔法使いという存在がいるらしい、ということを知ったのは俺が十歳の時の話だ。
昔からいたわけではなく、技術革命の結果生まれた人造の魔法使いだ。
要するにどんな存在かというと、魔力を取り込み、演算し、放出するという機械を扱う人のことを魔法使いというのだ。その機械は「ネブラ・ディスク」と呼ばれている。なんか聞き覚えのあるような名前の気がするけど、詳しくは覚えていない。
そんなネブラ・ディスク——通称ディスクは、今のところ軍隊にしかない。つまるところ、魔法使いとは軍人なのだ。
夕食を食べているときに、母さんと父さんが話しているのを聞いてその存在を知った。なんでもディスクは誰もが平等に扱える代物では無いらしく、適性を持った一部の人しか使えないらしい。そして、父さんの友人がその一部の人らしく、軍隊に呼ばれたんだとか。
「別にそのまま軍人さんになるわけじゃ無いからね。今はどことも戦争なんてしてないし、そんなに軍人さんの人手が足りてないわけじゃないんだ。神話の壊獣が出てくるものでもないし」
なんて父さんは言っていたけれども、適正のある一部の人しか使えないっていうのなら、国としてはその人たちを確保しておきたいのでは、なんて思ったりもした。まあ俺には関係ないのだが。
関係ないのだが、騒ぐ奴はいるわけで。
「シャン! やっぱり魔法使いがいたじゃない!」
なんて、俺に詰め寄ったりしてくるやつがいるのだ。
「そうだな」
「あんた昔いないって言ってたわよね!」
言ったか? 言った気もするし、言ってない気もするな。魔王はいないんじゃないかって言った記憶ならあるけど。まあどっちでも目の前のフィオナからしたら変わらんか。
「そうだな」
「いたじゃない!」
「そうだな……」
十歳になってもフィオナは相変わらず元気で、女の子らしいことにはあまり興味はないらしい。黙って座っていれば深窓の令嬢らしい美少女なのにな。なんでこいつこんなに元気なんだろうな。
「ていうことは、やっぱり古代のオートマトンとか、異世界人とかもいるってことね!」
「それは、どうだろうな……」
まあ異世界人じみた転生者なら目の前にいるけど。こいつにだけは絶対言わないどこう。まあどうせ言っても信じてくれないと思うけど。
いや、というか正確に言うと俺は転生者ではないっぽい。確証なんてないし、この手の話に証拠なんていうものを用意できるわけでもないが、簡単に言うなら俺は「前世の記憶を持った、あるいは他人の記憶を持って生まれたこの世界の人」って感じっぽい。
小さい頃はその記憶の主が俺なのだと思っていたし、その記憶のおかげで子供らしからぬ考え方をしていたのも事実ではあるのだが、よくよくその記憶を思い出してみれば、今の俺とは考え方とか性格とかが随所で違ったりしている。
つまり、この記憶の持ち主はそのまま丸々俺と言う人物だったわけではなく、連続した繋がりのない前世または別世界の俺か、そもそも知らない他人の記憶か、と言うことだ。
まあ、他人の記憶にしてはなんだか馴染みすぎている気もするし、多分別世界の俺の前世の記憶とか、そんな感じな気がする。さっきも言ったが確証はないので、なんともこれだ! と言うことは言えないわけだが。確かめる術もないし。
まあ、話を戻して、このフィオナ・アインスタインという人間、もう生まれてこの方十年の付き合いになるが、ずっとこんな調子だ。魔王とか、勇者とか、古代人とか、異世界人とか、ああ、あと実際にいた魔法使いとか。そういうものを探し求めているというか。
前に「なんでそんなもの探してるんだ?」って聞いた時には「だってそっちの方が面白そうじゃない」なんてどっかで聞いたことのあるようなセリフを言っていた。
で、小さい時からそんなんで、今も小さいけど、まあそれは置いといて。ずっとそんなもんであっち行ったりこっち行ったり、あれやこれやしたり。そんなもんだからあんまり友達もいないというか。
七歳から通い始めた国民学校(日本で言うところの小学校)では、絡んできた男子を殴り倒し、ディスクについて先生に質問攻めをし、今年から始まった歴史の授業にケチをつけたり、結構好き放題にやっていたりする。
「ちょっと、見に行ってみない? 魔法使い」
「いや、何言ってんだお前」
またもや俺の家のリビングで俺に詰め寄っていたフィオナは、突然そんなことを言い出した。相変わらず母さんは見てるだけだし、家には俺と母さんとフィオナしかいないし。つまり俺の味方はいないのだ。
大体、見に行くったってどこに。魔法使いは軍人だぞ。軍人ていうのは基本的には軍隊にしかいないんだから。街中をうろうろしてるわけでもないし。いや、非番の人とかならうろうろしてるだろうけどさ。でもそれじゃ魔法使いかどうかなんてわからないし。魔法使いってわからないどころか軍人かどうかすらわからないな。
「見に行くったって、どこに?」
俺がそういうと、フィオナは少しキョトンとした顔をした後当然とばかりにこういった。
「そんなの軍人さんがいる基地に決まってるじゃない」
「行ったって会えないだろ」
「いいじゃない。行くだけ行ってみたって。きっと子供には甘いわよ」
「なんでそんなことわかるんだよ」
「勘よ。決まってるじゃない」
当然のようにそう言われてしまい、俺は二の句が告げなくなってしまう。望月の歌を歌った藤原道長だってそんなに自信満々じゃなかったと思うが、フィオナのこの自信はどこから湧いているのだろうか。
「勘で会えたら苦労しないと思うけど?」
「ごちゃごちゃ言わない! さぁそうと決まればさっさと行くわよ!」
「まだ何も決まってねぇと思うんだけど!?」
俺たちが住んでる世界は、産業革命くらいの時代っぽいって感じだったけど、俺はそういう歴史には詳しくないから実際のところどれくらいかは正確にはわからない。産業革命の後、どれくらい経って車ができたとか全然知らないんだが、少なくとも今この街には車っぽいものが走っていたりする。四輪じゃなくて三輪だけど。なんか昭和初期とかのドラマとかで走ってそうな三輪自動車。
でも、自動車とかは走ってるけど、まだ街がそれに合わせて整備されてないから、自動車はめちゃくちゃ走りづらい。なんたって車道と歩道の概念がまだほとんどないから、歩行者が縦横無尽に行き来する中を走らなきゃいけないのだ。
一応メインストリートとかは車道と歩道が分けられてはいるけど、街全体がまだそうなっているわけではないのだ。何年もかかる一大事業だろうな、道路の整備なんてものは。
そんな車と歩行者と、ついでに馬車(まだまだ現役で走ってる)なんかも走っている道をフィオナと二人で歩く。目的地はもちろん軍事基地だ。
子供二人で行ったってどうにもならないと思うが、一度言い出したフィオナは止まったりしない。満足するまで付き合うのが処世術なのだ。処世術を語る十歳児って嫌だな。
「この地図によると、次の交差点を右に曲がって、それから三つ目の交差点を左に曲がって、しばらくしたら基地があるわね」
この間学校で配られたこの街の地図を見ながらフィオナがそう言った。もらってすぐの地図をしっかり読めるあたり、フィオナの頭は結構よろしいらしい。俺? 俺は読めるよ。別に地図音痴ってわけじゃなかったし。
「着いたらどうするんだ?」
交差点を曲がりながらフィオナに聞く。メインストリートから少し外れた道だからか、人通りは結構少ない。
「まずは守衛? さんに話しかけるわ」
「なんて」
「こんにちはー! って。挨拶は大事よ」
「挨拶は大事だな」
まあ常識も大事だと思うが。
「その後、私たち魔法使いに憧れてるんです。だから本物の魔法使いを見てみたいなって思って……みたいな感じで話を続けるわ」
「追い返されて終わりだと思うが」
「やってみなくちゃわかんないじゃない」
「それもそうだけど」
結果は見るまでもなく見えてると思うんだけどなぁ。まあ、実際やってみないことにはわからないのも確かだが。
そのまままっすぐ歩いて、交差点を二つ過ぎた。正直俺としてはこんなことせずにさっさと家に帰りたいんだが。でもフィオナを一人にすると何するかわからないし。何もしないかもしれないし、何かしでかすかもしれない。シュレディンガーの猫みたいな奴だな。可能性はフィフティーフィフティーだ。蓋を開けてみるまでわからない。
「次の交差点を左よ」
「なぁ、やっぱ帰らないか?」
なんとなく最後の抵抗を試みてみる。返事なんていうのは分かりきっているが、一応な。何かの間違いやら天変地異が起きて帰るって言い出すかもしれないし。
「ここまできて帰るわけないじゃない」
予想通りの答えで、俺はそれ以上言う気になれなかった。
そもそもなんで俺が付き合う必要があるんだとか、そう言うのは抜きにしても、あんまり基地っていうところには近づきたくないのだ。
あんまりいいイメージがないというか、別に何かされたわけでもないんだけど、何かをしてくれたわけでもないし。日本じゃ基地っていうのは基本的にマイナスイメージで語られることが多かったような場所だ。
厳つい軍人が闊歩してるようなところって感じがするし。苦手なんだよな、そういう人。まあただのイメージだから実際にはもっと違った場所なのかもしれないけどさ。行ったことないから知らないし。
でも、俺がそんなイメージを持ってるところにフィオナだけを行かせるっていうのも、やっぱり憚られるんだよな。シュレディンガーの猫って言ったけど、もちろんそれもあるんだけど、それ以上に心配だ。俺が守ってやるとかそんなことを思ってるわけではないが、こいつだって一応十歳の女の子なわけで。
軍人が乱暴するなんてことはないと思うが、きつい言葉で追い返されたりするかもしれないし。そこで俺が何かできるわけでもないけど、そばにいるだけでも多少はマシになったりするかなって。
これでも一応成人するまでは生きてた? 人間だったかもしれないし? 別にフィオナがわがまま放題の人間だからといって、それで嫌っているかというとそうでも無いしな。そもそも子供のやることにいちいちめくじらなんて立ててないし。まあ俺も子供だけど。そういう話はなしにして。
そんなこんなを考えていると、どうやら基地の目の前に着いたらしい。
鉄の門扉があって、その脇に受付? みたいなものがある。受付でいいんだろうか……? 守衛さんの詰所みたいなものかな。その門から左右にぐるっと基地を取り囲むように、成人男性よりも頭二つ分くらい高い塀が立っている。
まあ、受付に行くまでもなく、門の前に軍人さんが立っているのだが。
ピシッと軍服を着こなしていて、キリッとした表情で前を向いている。俺たちのことも視界に入っているはずだが、まあ通りすがりの子供としか見られてないだろうから特に何かを言われることもない。
軍人さんは、俺が想像してたよりも優しそうな顔をしていた。普通の人っぽいと言い換えてもいい。まあ厳つい人ばっかじゃないわな、普通に考えたら。
そんな軍人さんに、フィオナは臆することなく近づいていった。
持っていた地図は折りたたんでポケットに突っ込んでいた。
流石に目の前まで子供が近づいてきた軍人さんは、若干不思議そうな顔をしてフィオナの方を向いた。
「どうしたんだい、お嬢ちゃん。何か用かな?」
腰を下り、フィオナの目線に合わせている軍人さんを見て、見た目通りの優しい人なんだろうな、なんて思ったりした。
「突然すみません。私たち、ちょっとお願い事があってきたんです!」
普段よりも丁寧な言葉で喋るフィオナ。俺は別に魔法使いを見たいわけではなかったが、まあ別にいいか。二人で来てるんだし、私たちって言わないと不自然だよな。
「お願い?」
不思議そうな顔をさらに深める軍人さん。まあ子供が軍人さんにするお願いなんてあんまり思いつかないわな。俺だって思いつかないし。
「魔法使いにすっごく興味があるんです! だから魔法使いに会わせてくれないかなーって思ってここに来ました!」
丁寧な言葉使いヨシ! じゃねぇけど、普段俺にもそれくらい丁寧に接してくれないかな。何かあるたびに詰め寄られるのもなかなか疲れるんだが。
「君たち、お父さんとお母さんは?」
「お家にいます!」
「そっかぁ……うーん……」
なんて軍人さんが悩み始める。あれは俺たちを基地の中の魔法使いに会わせるかどうか悩んでるんじゃなくて、どうやって追い返そうかなって悩んでるな、きっと。
普通子供だけで基地なんて来ないしな。ましてや中になんて入れないだろ。
まあ俺の予想が違っていて、中に入れてもいいけどなーなんて考えている可能性もなくはない。人の頭の中なんてわかんねぇしな。
でも、案の定というか、やっぱり軍人さんが次に口にしたのは断りの言葉だった。
「ごめんけど、ちょっと難しいかなぁ。子供だけでくるにはここは危なすぎるし。どうしてもって言うんだったら、お父さんやお母さんともう一度話し合ってからまた来てくれないかな」
申し訳なさそうな顔をしてそう言う軍人さん。めちゃくちゃいい人じゃね? 「ここは子供の来るところではない。帰れ!」みたいな感じで追い返されるのを予想してた俺としては、この対応にはびっくりだ。いや、俺の中の軍人のイメージどうなってんだよって自分でも思うけど。
「……そうですか。分かりました」
フィオナは駄々をこねて粘るのかと思いきや、意外や意外。すっと引いて引き返し始めた。ちなみにここまで俺は一言も喋っていないのはよく見なくてもお分かりだと思うが。
俺も軍人さんに少しだけ頭を下げてからフィオナに続いて引き返す。軍人さんは最後までちょっと困ったような顔をしていた。まあ子供だけでこんなところに来るなんてあんまりないだろうしな。
「お前にしてはやけに物分かりがいいな」
フィオナの背中に声をかける。俺としてはこのまま引き返して帰ることになんの異存もないが、普段のフィオナを見ている俺からしたら拍子抜けもいいところなのも確かだ。
なんて思っていたが、どうやらフィオナの考えはまた違ったらしいと俺が気付かされたのは、このすぐ後だった。
「何言ってんのよ。誰もこのまま帰るなんて言ってないわ」
そう言うと、フィオナは来た道を戻るのではなく、基地の周りをぐるりと歩くように道を進み始めた。
「……? ならどこに行くんだよ」
「魔法使いに会いに行くに決まってるじゃない。そのためにここまで来たんだから」
「いや、それはさっき断られたじゃん」
「いいのよ、そんなこと。重要なことじゃないわ。そもそも断られると思ってたし」
ええ……。さっきはいけるって言ってたじゃん。子供には甘いかもしれない的な。
「じゃあどうするんだ。別に他に何か当てがあるわけじゃないんだろ?」
あったら正面からじゃなくてそっち方面から行ってるだろうしな。まあそもそもフィオナに軍隊への当てなんてあるとは思ってないけど。ずっと一緒にいる俺が知らないんだし。フィオナの父親? あの人はちょっとな……。
「そんなの決まってるじゃない。正面がダメなら裏から行けばいいだけよ」
「裏からって……裏も同じように門があるか、この塀がぐるっと囲んでるだけだと思うぞ」
「そうね」
「そうねって……」
じゃあどうするんだよ。まさか登るなんて言い出さないよな?
「登るのよ」
登るのか。……登る?
聞き間違いかな? まさか登るなんて言い出さないよな? さっきも思ったけどさ。
「なんて言ったんだ? もう一回言ってくれ」
「登るのよ」
登るのか。
——聞き間違いじゃなかったかー!
登るってなんだよ! いや登るって言葉の意味はわかるけどさ! 読んで字の如くだよな!
「そうか、じゃあ頑張ってくれ」
さっきは心配って言ったけど、こんなことには付き合いきれん! 俺は帰らせてもらう!
「あんたも来るのよ! 当然でしょ!」
「はなせ! 俺はまだ死にたくねぇ!」
くぉ!? 首! 首はやめて! 締まるから!
フィオナさん!? よく考え直してください! 流石に基地によじ登るって言うのはまずいですよ! 深く考えない人生は生きるに値しないってソクラテス先生も言ってますよ!?
そんな俺の抵抗も虚しく、俺はドナドナされる仔牛だか子豚だかよろしくフィオナに引きずられて行ったのだった。
あるいは、ここで強引にでもフィオナを帰らせるべきだったのかもしれないな、と思ったのはこれからずっと後のことだった。
何かがおかしいとは思っていたんだが、その時の俺は深く考えると言う行為をしていなかったのだ。ソクラテス先生の名言引っ張り出しておきながら俺もフィオナのことは言えないな。
俺とフィオナは、何故か基地への潜入に成功していた。潜入というか侵入というか。まあ隠れて入ってんだから潜入か。言葉は重要じゃないが。
フィオナが「ここから登るから。先にあたしが行くからあんたも後から来なさいよ」なんて言って、人通りのない道から塀をよじ登り始めた。煉瓦造りのように見える塀は、大人の足だとよじ登れそうにないが、煉瓦と煉瓦の隙間は子供の足ならギリギリ引っ掛けられそうな具合に空いていて、多少の出っ張りも手伝ってフィオナは案外スルスルと塀を登って行ってしまった。
このまま外で待っててもいいんじゃねぇかな、なんて思ったりもしたが、塀の向こうからひょいとフィオナが顔を出し「早く来なさいよ」なんて言うもんだから、俺も仕方なく登り始めた。
塀を登りきり、基地の中に降り立つと、そこは何かの建物の裏側といった感じのところだった。いかにも人通りがなさそうで、微妙に掃除が行き届いていない。
まじで人に見つかりませんように。神様お願いします。
なんて、普段全く信じていない神様に祈るくらいには、この状況に胃を痛めている俺がいる。それでも最終的にフィオナに付き合ってしまうのは何故だろうな。やっぱ心配なんだろうな。でもそれだけじゃねぇよな。俺は自分で自分がわかんねぇ。哲学。我思う故に我あり。
「こっちよ」
なんて言ってフィオナはずんずんと歩き始める。
絶対に基地の地図なんてものは知らないはずだが、なんでそんなに迷いなく進んでいけるのか。エスパーか何かなのか?
「なんでわかるんだよ」
「勘よ」
エスパーでもなんでもなく、ただの勘だった。その勘、さっき外れたんですけど大丈夫ですか?
「大丈夫に決まってるじゃない。あんたは大船に乗ったつもりであたしについてこればいいの」
「へいへい……」
限りなく泥舟に近い大船な気もするけど、ここまで来た以上俺ももうフィオナのことを止める気はないし、あんまり喋って騒いでたら見つかりそうな気もするしで、黙ってついていくことにする。
というか、まずもってなんで侵入に成功してるのかがわからんしな。まだ監視カメラとかはないだろうし、基地全部をぐるっと監視してるわけじゃないかもしれないけど、それにしたって子供が簡単に入れてしまうっていうのはセキュリティ的にどうなんだ。大丈夫か、うちの国の軍隊は。スパイ天国になってたりしないか?
キョロキョロとあたりを見回し、誰もいないことを確認しながら建物の壁沿いを進んでいく。一応フィオナにも見つかったらまずいという意識はあるらしい。そう思うならまず侵入しようなんて考えないで欲しいもんだが。
「そこのドア、開かないのかしら?」
フィオナがそう言って指さした先には、確かにドアが一つあった。金属製の頑丈そうなドアだ。
「普通に考えたら鍵かかってるだろ」
「とりあえず開けてみましょう」
俺の言葉を無視してフィオナはドアに近付く。
開くわけないだろ——なんて思っていたのも束の間、フィオナがドアノブを捻ると、ドアがガチャ、ギィ……という少し錆びついた音とともに開いた。
「開いてたじゃない、ラッキーね。ここから入りましょう」
「嘘だろ……」
なんで開いてんだ? セキュリティガバガバすぎだろ……。
フィオナは開いたドアにさっと身を潜り込ませると、中から顔を出して俺を手招きする。
「誰もいないから早く来なさい」
無言で俺もドアの内側に身を潜り込ませる。俺が入った後、フィオナはドアを静かに閉めると鍵をかけてしまった。
「おい、なんで鍵なんてかけるんだよ」
「外から誰か入ってきたら困るじゃない」
俺たちがその「外から入ってきた誰か」なんだけどな。口にはしないけど。
「こんな人通りの少ないところで俺たち以外に外から入ってくるか? そんな心配するよりも、見つかった時にすぐに逃げ出せるように鍵開けといた方がいいだろ」
実際のところ、普段どれだけ人がここを通ってるなんて知らないが、鍵は開けておいた方が無難だろうと思う。今開いてたってことは普段から開いてる可能性が高いだろうし、そこが閉まってたら不自然に思われるはずだ。後はさっきフィオナに言ったのもその通りな理由なんだが。
「……それもそうね」
俺の言葉に納得したのか、それ以外の理由があるのか。珍しく俺の言うことを聞いたフィオナは鍵を開け直すと、くるりと基地の内部の方に顔を向けた。
今俺たちが立っているのはどこかの廊下の突き当たりだ。奥の方まで道が続いていて、廊下の左右には等間隔でドアが並んでいる。
役所とかならドアの上に部屋の名前が書かれているプレートが掛けられていそうなもんだが、あいにくここにはそんなものはかけられていなかった。だから並んでいるドアの向こうがなんのための部屋なのかは残念ながら俺たちには一切わからない。
そして、俺たちが入っても誰も出てこないところを見るに、この付近には誰もいないか、部屋のドアや壁が分厚くて中にまで音が聞こえていなかったかのどちらからしい。どっちにしろ入った直後に見つかると言うことは避けられたみたいだ。
「とりあえず奥に行ってみましょ」
「それはいいけど……どこに向かってるんだ?」
俺はフィオナに問いかける。基地の中に入ってどこに向かっているのかを聞いていなかった。そもそもフィオナもどこに向かっているのかを教えてくれていないし。目的ははっきりしているが、目的地ははっきりしていない。
「訓練場みたいなところ。魔法使いは貴重だし数も少ないから、基本は訓練をしてるってお父さんが言ってたわ」
何それ初耳なんだが。
ていうかなんでそんなことフィオナのお父さんは知ってるんだ? て思ったけど軍関係者だったなあの人……。
「ほら、誰もこないうちにさっさと行くわよ」
そういうとフィオナはまたしてもずんずんと奥に進んで行ってしまった。慎重さと言うものを知らんのかあいつは……。
そこで、ふと廊下の先に、人影が見えた。俺たちより少し年上に見える、濃い紫のショートカットを持った少女。
なんでそんな少女がここに? と思ってよく見ようと見直すと、その時にはもうそこには誰もいなかった。
「……?」
見間違いか? あんなにはっきりと?
「なにしてんのよ! 置いていくわよ!」
先に進んでいたフィオナから声がかかった。
なんだったんだ? さっきの人影は。なんて思いもあるが、フィオナに置いていかれてはたまらない。一人でこんなところをうろつくなんてゴメンだ。
「すぐ行く!」
俺は人影のことを頭から振り払うと、フィオナの後を追いかけた。
俺は今生で何故、を考えることとか感じることが多くなったように思うが、その九割くらいは目の前の幼なじみ関連のことだと思うんだよな。
今回もそうだが、何故ここまで誰とも会わずに進めるんだ?
なんて思っている現在、俺たちは訓練場の控室みたいなところにいた。
絶対におかしい気もするし、そうじゃない気もする不思議な感覚に襲われているが、ここにくるまでに奇跡的に誰にも会わなかった。まあ会ってたらここには辿り着けていないんだけどな。
この部屋には窓があって、訓練場を覗けるようになっている。覗く用の窓じゃないんだけどな。どう考えても換気と明かり取り用の窓なんだが。
そして窓の外にはフィオナ待望の魔法使いが訓練をしていた。
「あれが魔法使い?」
手のひら大の丸いものを持ってる。遠目からは詳しくはわからないが、あれがディスクなんだろう。たぶん。
「まあ、ディスク持ってるしそうなんだろ」
「そう……」
あまり数は多くない。二十人くらいだろうか。あれで全員ではないと思うが、それくらいの数の魔法使いが隊列を組んで訓練をしているようだった。
窓にかじりついて魔法使いの訓練を眺めるフィオナ。
俺もフィオナの後ろから魔法使いの訓練を眺める。
俺は軍隊の訓練なんて何をやっているか知らないが、自衛隊の訓練とかをニュースで見るときは大抵匍匐前進とか、筋トレとかの基礎トレーニングみたいなのをやっていて、あまり派手なことをしているイメージはなかった。時々演習とかで砲弾を撃ったりといったものもあったと思うが、あまり気にして見ていなかったので詳しくはさっぱり覚えていない。
ただ、目の前の魔法使いたちの訓練は、そう言うのとはやっぱり違っているようだった。というか、なんじゃそりゃ、と言うようなものというか。いや、ある意味ファンタジーな世界なら当たり前? かもしれないが。
魔法使いたちは、地面から浮いていた。
指導する立場の、おそらく教官のような人のみ地面に立っていて、残りの人たちはみんな空に浮かんでいた。
と言っても、めちゃくちゃ上の方に浮いているわけではない。十メートルくらいだろうか? ……十メートルも飛んでたら結構飛んでるか。
「魔法使いって、空が飛べるのね」
「魔法使いだしな」
魔法使いが空を飛べるのなんて知らなかったが。飛べるのか? 普通。普通の魔法使いっていうのが何かはわからないが。とんがり帽子に箒で飛んでいる魔女のイメージは割とステレオタイプだとは思うが。
チラリとフィオナを見ると、フィオナは静かに興奮していた。もっと叫んだりするのかとヒヤヒヤしていたが、全然そんなことはなく、言葉少なげに魔法使いを見ていた。
「他には何ができるのかしら」
「さぁ……もしかしたら手からビームとか出せるかもな」
「びーむ?」
「光の線みたいなのが出て、相手を攻撃する技」
「出せるの?」
「知らんけど、出たら面白いよなって」
「そうね」
なんて、こんなことを俺が言ってしまうくらいには、俺も浮かれていたのかもしれない。散々内心でフィオナの行動を非難していたが、なんだかんだ言って俺も男の子なのだ。魔法使いとか、そういうファンタジー要素に興味がないわけではないのだ。SFとかも好きだし。小さい頃は休日の朝の特撮を見るのが好きだった。前世の日本での小さい頃の話な。
「あれ? こんなところにディスクがあるわね」
だからだろうか。窓から目を離したフィオナが見つけたディスクに触れるのを止めなかったのは。まあ普段から俺の話を聞かないフィオナのことだから、例え俺が止めていたとしても手に取っていた可能性は高いところが悲しいところではあるが。
近くの机の上に、大人の男性の手くらいの大きさの厚みのある円板状のものが置かれていた。全体的に緑っぽく、中心から少しずれたところに丸と三日月っぽいものと半円が描かれている。三日月からするに、丸は満月? 太陽? わからないが、半円は半月っぽい気はする。その丸のところは透明になっていて、中の歯車やらの機械的な部分が見えるようになっていた。ディスクなんて近くで見たのは初めてだった。
フィオナがディスクに触れた瞬間、眩しすぎて目を開けていられないほどの光がディスクから漏れ出した。
眩しすぎる! これは俺でなくともわかる! 絶対にまずいことになる!
「お、おいフィオナ! 今すぐそれから手を離せ——」
なんていう俺の声は最後まで発せられることなく、とんでもない音とともに爆発したのだった。
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