鳴り響くサイレン

【黒鉄孝之、浅尾真綾(1)】

 夕食時、別の個室から金子親子の陽気な騒ぎ声が時折聞こえはしたが、孝之と真綾も楽しい会話や色鮮やかな創作懐石料理──特に、この村の銘柄豚だという〝ケツバッとん〟の味噌焼きは絶品だった──に舌鼓を打つ。

 食後のデザートも食べ終えて部屋へと戻ったふたりは、すぐに入浴の準備をして1階の大浴場へと向かった。



 男湯の脱衣場は旅館の外装同様に小綺麗で、アジア風の長椅子や、大きく回る天井扇シーリングファンも目を惹いた。無料のマッサージチェアやアメニティグッズも充実していたので、おそらく、女湯のほうはもっとサービスが行き届いていることだろう。


(フッフッフ……夜は長いぜ……)


 これからの行程をいやらしく妄想しつつ、孝之が鼻歌まじりに脱いだ衣服を竹の脱衣籠に入れ始める。


 すると突然、サイレンの音が旅館全体に鳴り響く。


 まるで、今すぐ防空壕へ避難せよと言わんばかりの大きな警報に、孝之は脱いだばかりの衣服を慌てて着直す。よく聴いてみれば、サイレンは館内からではなく、村全体で鳴り響いているようだった。


「マジかよ……!」


 急いで男湯を飛び出る。

 通路にはすでに、真綾と麻美が女湯から出てきていた。

 麻美は先ほどとは違い、長い髪をほどいて大人っぽさが増していたが、服装はとてもラフで、プリントTシャツとサイドにラインが入ったジャージのロングパンツ姿だった。


「真綾、大丈夫か?」


 麻美に軽く会釈してから、声をかける。


「うん。大丈夫だけど、この音ってなに?」

「よくわからないけれど、外から聞こえてるし、ひょっとして何かの災害が起きたのかも知れないな」

「災害って……揺れてないから地震じゃないし、天気もいいから洪水じゃないよ?」

「うーん……オレに訊かれてもなぁ……」

「山火事とか熊の可能性もあるんじゃないかしら?」


 この場であれやこれや話していてもらちが明かない。3人は取りあえず、旅館のロビーへと向かうことにした。



 広々とした豪華なロビーには、金子親子と白髪頭で頬の痩せこけている少し小柄な老齢の男性が立っていた。白いワイシャツと濃紺のスラックス姿なので、ホテルの関係者なのだろうか。

 その男性はこちらを見ると、安心した面持ちで麻美へと駆け寄った。どうやら、彼女の同伴者らしい。


「麻美、大丈夫か?」

「はい……。ふじさん、このサイレンって、なんなの?」


 麻美の同伴者・藤木かずは真剣な眼差しで両手を握り彼女の安否を気づかっているが、麻美のほうは照れているのか、素っ気ない返事をするだけだ。

 そんなふたりの様子を見た孝之も、真綾の手を取り「大丈夫だから」と言葉をかける。

 急に手を握られた真綾は、最初はキョトンとしていたけれど、顔をほころばせて「うん。ありがとう」と答えた。お互いの距離がグッと近づいたようで、孝之はとても幸せな気持ちになれた。

 ロビーに集まっていたのは、孝之と真綾、金子親子に麻美と藤木だけだった。サイレンの音は相変わらず鳴り響いているのに、旅館の関係者は誰ひとりとして姿を見せてはいない。金子がたまらず、不満の声を洩らす。


「なんやねん! こないな時に、この旅館の従業員は誰もお客様を誘導せぇへんのかい!」


 酔っているのか、金子は酒臭い息で続けざまに金を返せだのと悪態をついたが、その場の誰もたしなめはしなかった。

 確かに、警報が鳴り響くこの非常事態のなか、旅館の従業員が誰も宿泊客を誘導しないのは異常である。


「このまま待っていてもしかたがないので……どうでしょう皆さん、一度外へ出て様子をみませんか?」


 なんとか不穏な空気の流れを変えたい藤木は、旅館の外に出ることを提案した。騒いでいた金子も舌打ちをしたが、その場の全員がそれに従い、正面玄関へと歩き出す。


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