【黒鉄孝之、浅尾真綾(2)】

 想像していたよりもケツバット村は田舎のようで、大通りに入ってもコンビニやスーパー、土産物屋の類いなどは特に目立って見当たらなかった。観光とは縁遠い、ただの集落と言ったほうが適切だろう。

 村へ入ってから数分は経っているのだが、まだ村人らしき人影は誰も見えていない。例のランドクルーザーだけが、不気味に車間距離を一定に保ったままついてくるのみである。

 助手席の真綾も、村へ入ってからはスマートフォンをしまって車窓から流れる景色を見ていた。ひとけが無いことや、ランドクルーザーの存在が気になるのか、ずっと無口のままだ。

 車内の嫌な雰囲気を変えたい孝之が何か話題を探し始めると、救いの手を差し出すかのように、宿泊予定先の旅館が鬱蒼と繁る木々をき分けて目に飛び込んでくる。


 村の多くの家は、どれも年代を感じさせるものだった。優しい言い方をすれば、しみじみとした風情のある古民家。はっきりとキツく言えば、若者たちに見捨てられた限界集落のボロ家。ようするに、外壁などの修繕よりも、建て替えを速やかにしたほうが良いと思えるほどの古びた家屋ばかりである。

 だが、この総欅造そうけやきづくりの3階建て旅館は、懐古的でありながらもどこか洒落しゃれていて、日本の伝統様式とモダニズム建築の融合が生み出した新しい時代の芸術作品のようだった。

 都心部にあれば近代美術館と見紛うそれは、不思議となんの違和感もなく、田舎の風景にすっかり溶け込んでいた。


 立派な瓦屋根の数寄屋門すきやもんの手前横にある、砂利で覆われた駐車スペースに車を停めると、少し遅れて黒いランドクルーザーもその隣に停車した。

 運転席のドアを開ければ、空調が効いて快適だった車内とはまるで別世界の蒸し暑さと蝉時雨せみしぐれに出迎えられる。さほど不快に感じることが無かったのは、山や森の清んだ空気と緑の香りのおかげだろう。


「うわっ、なんか凄く高そうな旅館ところなんですけど! ねえ、孝之……大丈夫?」


 新品の旅行鞄を抱きかかえる真綾が不安そうに見つめてきたので、孝之は片目をつぶった余裕の表情で親指を立てながら「イエス!」とだけ答えた。

 すると、待っていたかのように隣の車のドアが開き、いかつい風貌の男と小学校低学年くらいの男の子が降りてくる。


 その男は、茶髪の坊主頭にプラスチックフレームのティアドロップ型サングラスと短い口髭が印象的だった。肌は日焼けサロンで焼いたと思われるほどしっかりとした焦げ茶色で、小さめの黒いタンクトップの胸元では、金のネックレスが夏の太陽に負けじと輝いている。

 男の子のほうも茶髪で、全体的に短く刈り込んではいるが、襟足だけ長めで毛先数センチは金色に染まっている。黒地のキャラクターTシャツと迷彩柄のハーフパンツ姿がぽっちゃりとした体型にとても似合っていて、学校ではクラスのいじめっ子に違いないと思える、何か独特な負のオーラを発していた。


「よう! やっぱり、ねえちゃんもケツバット村に観光やったんやなぁ!」


 男は蟹股歩きで近づきながら、並び立っている孝之がまるで存在していないように無視をして、なれなれしく真綾に話しかけてきた。


「あの……ええ、まあ」


 不快感を相手にもわかりやすいよう、表情に出したつもりだったのだが、それすらも無視して男はにやけ笑いを浮かべ、ほんのわずかに顔を下げる。

 サングラス越しでも、真綾には男が自分の脚を見ていることがわかっていた。なぜなら、見られている側は相手の視線の先がどこを見ているのか、絶対にわかるからだ。

 ようやく真綾の強い嫌悪感を察したのか、男は急に孝之のほうへ向き直ると、今度は勝手に自己紹介を始める。


 男の名前はかねこう。息子のほうは自ら元気よく「オレあつ!」と、大声で真綾に笑顔を向けながら名乗った。

 金子はバツイチらしく、遠く離れて暮らす元奥さんの許可を得て、男ふたりで夏休みの思い出作りにこの村へ来たそうだ。

 孝之たちは、軽く挨拶を済ませて一刻も早くこの場を離れたかったのだが、金子はお互いにチェックインを済ませるまで長々と話しかけ続けてきた。そのあいだも、金子親子は太腿やお尻を盗み見ていたので、真綾は不愉快極まりない気持ちを我慢していた。


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