SF短編集「1996」 

琴鳴

第1話 オブジェ

 ある日、突然、それはあらわれた。

 最初、それは黒い塵埃じんあいの集積物にしか見えなかった。

 道ゆく人々は当初は見向きもしなかった。もともと、その道は駅への近道になっていて、みんな早足で通りすぎていくのだ。

 自分たちは税金を払っているのだから、役所が清掃をすればよいのだと思ってか、だれひとり片づけようとする者はなかった。

 それは少しずつ大きくなった。


 もうすぐ雪の季節になろうかという時になって、人々はようやく気がついた。

 それは、すでに人の背丈を超えていた。

 なにでできているのかは判然としなかった。だれも実地に触ってみようとは思わなかったからだ。たぶん、捨てられた新聞紙や紙屑、それにコンビニエンスストアの袋、黒いゴミ袋、そのようなもの。

 その形が奇妙だった。

 塔のようにも見えた。

 山のようにも見えた。

 人形のようにも、動物のようにも見えた。

 笑っているように見えた。怒っているようにも見えた。そして泣いてもいた。

 その頃から、見物人がそれを取りかこむことが多くなった。

 毎日その道を通りながら、人だかりができて初めてそれに気づいた、という人もいた。

 憤慨する人がいた。

「けしからん、さっさと片してもらわんとな。ここは天下の公道なのだから」

 感心する人がいた。

「だれがつくったのかはしらんが、これはこれで立派なものだな。なんというか、味がある」

 無関心な人がいた。

「だれが何をつくろうが、関係ないね」

 しきりに想像する人がいた。

「これは、あれだな。前衛芸術っていうやつだな。きっと、売れない芸術家のパフォーマンスだな」

 ただ、見る人たちがいた。

「なんというか、懐かしいような気がするね。子供のころに砂場でつくったお城のことを思い出したよ」

「あの頃は、どんなことでもできるような気がした。山をつくり、トンネルを掘り、町をつくり、お城をつくった。それらがすべて自分のもので、つくることもできたし壊すことだってできた」

「いつの間にか、なにもできなくなってしまった。なにもつくりだせないし、壊すことだって――自分の心と身体以外は――」

「これを見ているとそんな昔のことを思い出してしまうよ」

「不思議だね」

「不思議だ」

 そんな会話が声に出されておこなわれたわけではなかった。みんな大人だったから、ただぼんやりと思っていただけだった。

だけれども、人垣は日に日に大きくなっていき、出勤・退勤の時間帯には、道の行き来が困難になるくらいだった。

 オブジェも、さらに大きさを増していた。だれが運んでくるのか、その構成物には道路標識や割れたガラス、壊れた掃除機などが加わってもいた。

 形も日々変わっていた。見る人によって、まったくべつのものに見える。

「なんとなく、龍に似てきたね」

「いや、鳥だ。それもタンチョウ」

「ちがうね、あれは炎だよ。フレイム。とらえどころなく、うつろう光と熱」

「それをいうなら海だろう。ラ・メール。母を内在させるやさしい世界」

「わたしには、成長するわが社の株価グラフに見えるがね」

 ぴかぴか光るスーツに閉じこめられた会社役員が笑った。

「そろそろ茶番は終わりにしよう。もうすぐ、ここに我が社のビルを建てるのでね」


 ――そして。

 クリスマスイブのその日、十数名の男たちがオブジェの撤去をはじめた。

 オブジェはすでに人の背丈をはるかに超え、公園のジャングルジムくらいになっていた。しかし、仕事はてきぱきと進められ、オブジェは見る見るうちに解体されていった。見物していた人々の顔にはどことなく不満そうな表情が浮かんでいた。

 かつてオブジェを構成していたものたちは単なるごみとしてトラックに乗せられていった。

 そして、ついにその仕事はオブジェの基層部分にまで達した。

「あ」

 だれかが声をだした。

「ああ」

 みんなが息をもらした。

 オブジェのいちばん底の部分――アスファルトの冷たいしとねに一人の男が横たわっていた。

 浮浪者らしく、ボロボロで薄っぺらなジャンパーを着込み、足はサンダル履き。毛布がはみ出したボストンバックを抱きしめて眠っていた。

 眠っているように見えた。

 夢見ているように見えた。

 そして、人々はようやく思い出したのだ。

 日々の行き帰り、この場所にいつもうずくまっていた浮浪者がいたことを。やせ細り、濁った目で、行き交う勤め人たちを眺めていた男のことを。

 だれもその男に視線をむけようとはしなかった。時間が惜しかったからだ。そもそも、無関係な浮浪者に興味を持たねばならない理由はない。

 だから、ある日、その場所で男が横たわって、ぴくりともしなくなっても、やはりだれもそれに注目しようとはしなかったのだ。自分が通りすぎたあとに、むくりと起きなおるかもしれないではないか、とぼんやり思いつつ。みんな。みんな。

 だから、その場所ではだれもが足早になってしまっていたのだ。

 人々は後味のわるそうな表情をうかべた。

 だが、二度と目覚めることのない浮浪者の表情は、どことなく満足げだった。


                      「オブジェ」了

         

                           1996/12/8 完成

                          1997/4/29字句修正

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