Yくん

@J2130

第1話 出るんだね

もうはるか昔ですが、教育実習に行きました。


大学時代にとれる資格はとっておいたほうがいいと思っていたので、それに実習が面白そうだったし。

 法学部法律学科に通う学生がとれる教員免許は中学高校の社会科の免許で、そのため、他の学生より三十単位以上余計に履修した覚えがあります。

 ヨット部もやり、アルバイトもし、通常の学生よりも余計に履修し、考えてみれば忙しい学生時代だったかな。

 自分の卒業した地元の公立の中学に実習に行ったのはいつだったか‥。暑かった記憶があるので、春から夏にかけての事だったと思う。


「松原さん、聞いた?」

 音大から来た新井さんが3階にある実習生の控室で話しかけてきた。

 声楽科に通うスタイルのいい女性で、生徒達には人気があった。

 みんなね、まだ中学生だから、女子大生でスタイルが良くてお嬢様で音大とくれば、男女、とくに男子生徒には人気はでるよね。


「加藤さんがね、見たんだって…」

 加藤さんは一浪した僕よりさらに年上の体育の実習生で、体育系の大学の学生であり、かつ大学の合気道部の部長でその達人でもあり、全国大会の上位入賞者でもあった。だけど実は僕が中学時代に入っていたバスケット部の先輩で、穏やかないい人だった。


「え…、何を…」

 きっと嫌なものを見たのだろうな、と直感で感じたけれど、新井さん、お話しをしたいようだったのでね、訊いてみた。

「体育の授業の時にね‥」


 加藤さん、昨日の6時間目、指導教師といっしょに体育の授業をするため体育館に授業開始前に入ったそうだ。

 まだ生徒達ははしゃいでいて、加藤さんも授業開始の鐘はまだだし、準備をするべく、跳び箱やマットの位置を確認していたらしい。

 その時、一人の生徒が体育館の用具室に入って行ったのが見えた。

 すぐに出てくるだろうと思い、そのままにしておいたら、チャイムがなり生徒は三々五々に加藤さんと指導教師の前に集まって来たが、用具室から誰も出てくる気配がない。


「おーい、わかってるんだぞ、授業はじまるぞ」

 加藤さんは大きな声で隠れているだろう生徒に呼びかけた。

 でも扉は開かない。

「誰か入っていったよな…」

 生徒達に訊いたが、誰も見ていないようで、首を振っている。

 まったく、授業が遅れるだろうが‥、と加藤さんぶつぶつ言いながら用具室に行って扉を開けたのだけど、そこには誰もいなかった。ただマットやボールやネットがあって。

「確かに見たんだけどね‥」

 加藤さん、生徒の前で恥ずかしかったそうだ。


「一人、確実に入っていったんだけどな…ってね、加藤さん言ってた」

 加藤さんは、体育教師専用の部屋にほぼ毎日連行というか、連れていかれていた。この実習生の控室にはほぼ来ることはなかったので、なかなかね、話す機会がないのだけれど、新井さん、たまたま授業の合間に話しを聞いたらしい。


「確実に見たって…」

 新井さん、ちょっと楽しそうだ。

「学校にはいるんだね、きっと」

 僕はそう言って会話を終わらせた。

 怖い話は苦手なので…。


「私、金子先生から同じような話しを聞いたよ…」

 国語の実習生の永沢さん、小柄だがコケテッシュな感じで、こちらは教師に人気があった。実際に教師を目指していて、結果としてこの実習生達のなかで教員になったのはこの人だけだった。

「野球部の顧問の金子先生、見たことあるって…」

 続くのか…、苦手なんだよな。

「練習中に野球部の部室に入っていく生徒がいてね、ちゃんとユニフォーム着ていたんだって。その子、ちいさい子だったらしいけど、

『おい、練習始まってるぞ』って金子先生が部室に見にいったらね」


 予測がつくけれど。

「いなかったって…誰も」

 永沢さん、まじめだしな。困ったな。

「学校にはいるんだね」

 僕はまた同じことを言った。応えようがないんだよな。

「でもさ、松原さんや永沢さんや私がいたころ、そんな話あった?」

 新井さん、こうゆうの大丈夫なんだ、話しは続いた。

 永沢さんも僕も首をふった。

「うわさもなかったね」

 なにひとつそんなうわさもない学校だった。


 幸運にもチャイムが鳴った。次は1年2組だったな。

「行ってきます」

 僕は教材を持って教室に向かった。

「あ、私もだ」

新井さんも立ち上がった。

でもね、新井さんの行く場所はホームルーム以外にはいつもいっしょだけどね。

 廊下を歩いていくと、音楽室は二階なので、途中で別れることになる。


「松原さん、じゃあね、がんばってね」

「新井さんもね、特に注意してね、男子生徒が階段で不自然にしゃがんでたり、寝転がってるかもよ」

「昨日、一人いた。『ふんずけるよ!』って言ったら逃げて行った」

 本当にいるのか、スカートの中なんか見れないぞ、馬鹿だな。

「男としてなさけない…」

「見られたってなんともないけれど、中学生ってしょうもないし、でも面白いね」

 僕も昔はしょうもなく面白い中学生だったのかな…。階段で寝転んだりはしなかったけれどね…。馬鹿だったことは確かだな。

 僕はしょうもなく面白い中学生に授業をするため教室に向かった。

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