遮光眼鏡の物語
墨のような星一つない夜空の下、枯れたススキの草原のなかに、夜目には青く佇む、しろいドームがあった。
それはボウルを逆さに置いたような、完全な半球体の建造物で半径が5米ほどあり、球体の表面に沿って曲がった銀色の扉が一枚ある他は窓も無かった。
ドームの内部には巨大なパラボラアンテナが設えられており、実はリモコン操作で半球が開き、銀のパラボラが展開するように出来ている。
奥の壁際には仰々しいオシロスコープや古い型のPC――だが机上の液晶ディスプレイには最新式のウィンドウズが映し出されていて、しかも今はスクリーンセイバーだ。
それらは金属製のラックの上に乗せられており、小さなまるで廃品回収の日に拾ってきたような古びた机と、同じような中のスポンジが飛び出てしまった椅子があり、白髪の人物が腰掛けていた。それは遮光メガネをかけた男で真っ暗な室内にもかかわらず、机の上で小さな機械をいじっていた。
「――これは、永久機関だ。正しくは永久機関の動力部だ」
男はふるえる指先でアクリルとアルミのような金属で出来たちいさな機械をまさぐった。
「仕掛け自体は簡単。動かすことも簡単」
男はPCのマウスを、見えない中器用にいじってポインタを動かすとスクリーンセイバーの解けたディスプレイのなか沢山のアイコンが並んでおり、男はそこにぎりぎりまで目を近づけて『準星機関』とかかれたショートカットを開いた。
「この永久機関は、電波で動く。それも普通の電波ではない――準星というものを知っているか? 今はそう言わないのだろうが、生憎私は古くさい人間だ」
画面一杯になにかの座標を示す赤い単色のグラフのようなものと、文字通り電波の波形を示すような二つの図が表示された。
「準星とは星ではない。われわれがいる銀河のような天体は巨大で、中心部が明るく輝いているが、準星は数十億年の彼方にあり、我々のような銀河よりも遙かに小さい。
にもかかわらず普通の星のように明るいのは特異点に向かって星や物質が落ち込んでいるからだ。そしてそこからは膨大なエネルギーが発散されている。
この強力な電磁波はこのような電波望遠鏡――このアンテナは望遠鏡だ。
レンズなど必要ない、数億光年離れた天体を観測するのは電磁波のデータだけで十分だからだ。
この銀色の網が準星からから放たれる強力な電磁波を確実に捉えることが出来る。
そして先人の観測に寄れば、準星は赤方偏移を起こしており、つまりこちらへやってくるスペクトル線が赤の方、長波側へずれているということだが、これは我々から見て後退していることになり、宇宙全体の膨張を示している事柄でもある。
このような天体は60年代に入ってから数多く発見され、その数は千を越える、準恒星状電波源――quasi-stellar radio sources――と呼ばれ今はもっと短縮された名前で呼ばれているが、まあ私は古い呼び方の方が馴染むのだ。
そのほうがより真実に近いことを表すことが少なくない。
そしてこの永久機関だが、その準星からの放射の力で動く。
正確には、準星からの放射が数十億年かけて地球に届く際の宇宙全体の歪みを受けて動くのだ。
その歪み自体特異点へ落ち込む物質から放射されるエネルギーの持つ歪みとよく似ている。
これが何をしめすのか……」
男の紙のように血の気のない顔がディスプレイからの赤い光りにぼうっと浮かび上がっている。
「この永久機関は動力とするエネルギーの大きさに負けず、非常に強力な作用を及ぼす。この機械がもたらすものは無限の交替だ。見てみろ、この金属の羽根が右と左を行ったり来たり」
男の言うとおり、小さなアクリルのケースの中で金色の羽根が右に左に絶え間なく揺れていた。
「――夢は一つの世界だ」
男は不意に話を変えた。
「夢としての夢は一つの世界だ、しかもそれは複数のうちの一つである世界ではなく現実世界そのもの、夢見者自体が存在する世界だ。
だが、夢は世界である限りはまだ夢として存在していない。
そしてそれが夢とみなされるならば、もはや現実ではない。
夢見られた存在が有していた現実があとになって無効になる」
男は遮光メガネを外した。
年寄りだとばかり思っていたが、男の顔には皺一つなかった。
そして白く濁って盲いた目がこちらを見ていた。
それは光の中では盲目だが闇の中では見えるのだ。
「この両者の転回点として目覚めが存在しており、目覚めによって夢は夢として現れる。
そのことによって夢は矛盾したものになり、夢見られたことは目覚めの際に矛盾と二義性に巻き込まれるが、しかしながらこのときにこそ夢が何かを意味するということもわかり始める」
男は膝の間に隠していた銃を取り出しこちらにむかって向けた。
スミスアンドウェッソン社の44口径のリボルバーであちこち錆びていたが、奇妙なことにぼろぼろに腐った羽根の装飾が付けられていた。
男は見えない目で照星を睨んだ。
「夢見られた出来事はたんなる表象を越えた現実である。
覚醒状態での想像をも超えた現実であるからだ。
しかしこの現実感と目覚めの際の消失は根本的な問題を含んでいる。
なぜならばわれわれの現実がいったい何であるのかという問いの前に立たされるからだ」
静かに引き金が引かれた。
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