蛇心のおもい
紫藤 楚妖
第1話 蛇龍と剣
昔々、まだ人の世ができて間もない頃、ヤマタノオロチという蛇龍がいた。その蛇竜は8つの首と8つの尾、血のように赤い眼を持っていた。その蛇龍はいう。
『我は神なり。我に1年に一度生娘を捧げよ。さすればこの地に豊穣を授けよう。もし断るならばこの地に洪水と旱魃を交互に起こしてみせよう』
それからはたしかに凶作とは無縁になった。しかしそれはつまり生贄を捧げなけばならなくなったということである。
10年、20年とたつうちに村の中では『1年に1人ならいいのでは…』『これだけ豊作なら…』といった雰囲気がうまれた。辛いのは生贄を出すその家である。今年は遅くに授かった翁と嫗の家の娘である。両親はそれを告げられた日から泣いて暮らした。
『おぉ、ついにうちの番になってしまった。娘よ、何もできない私を許しておくれ』
『いいえ、お父様。村のためになるのならば私は喜んで此の身を捧げます』
『その小さな身体になんという覚悟秘めているのでしょう』男が家に入ってきた。翁は男を一瞥し
『どこのどなたかは存じませんが、今この家は悲しみにくれているのです。御用でしたらまた今度に願います』追い払うようにそう言った。
『その悲しみ晴らしてやるといったらどうする』
男の言葉に翁は
『なにをおっしゃるのです。神をどうにかできるはずがない』言いながら振り返ってみると
『これでも信用できないか』
翁は男の姿を見てかけてみる気になった。
(この男なら、いやこのお方にならば…)
ズルリ、ズルリと音がする。今日は蛇龍が受け取りに来る日である。村にはかがり火がたかれ、娘が一人でうなだれて座っていた。音が近づき、止まった。
『おぉ、今年もちゃんと生娘を差し出したな。ふむ、それに加えこのにおい…』
『はい、この土地の銘酒でございます』
『ほほう、いつもに比べて気前のいいことだな。生娘を食らう前祝だ。いただこう」
蛇龍は首を酒樽に入れ、ごくごくと飲み干していく。
蛇龍には8つの首があるためすごい勢いで酒を飲み干した。
『さすがはうわさに名高い銘酒だ。しかし、いささか量が足りんな』
『は、これだけでは足りないのは承知のうえでございます。奥をご覧ください』
奥には酒樽が山のように、かがり火の影になるように置いてあった。
『ほう、銘酒をこれだけ飲めるとは。今年の加護はいろをつけておいてやろう』
蛇龍はよほどこの銘酒が気に入ったのだろう。山と積んだ酒樽をすべて飲み干してしまった。
『はー、よい気分だ。いささか飲みすぎてしまったかもしれんな』
娘は笑いながら言う。
『ほほ、この酒は七回絞った強い酒でございます。人の子ならば1合と飲めません』
『なるほど、かように強い酒であったか。馳走になった。では主菜といこうか』
蛇龍が娘に食らいつこうとしたその刹那、娘は身を低くし、蛇龍の尾へと駆け出しながら袖を一振りした。
袖からは光り輝く剣が見える。
『貴様』
蛇龍の首は牙をむきながら娘を追いかけるが、神をも酔わせる酒を飲んだうえ娘を小さすぎて止めることはできなかった。
尾へとたどり着いた娘は剣を両手で握りしめ、尾へ切りつけようとする。
『ふん、そのようななまくらで神たる我を傷つけられると思うてか』
蛇龍の言葉とは裏腹に尾は両断された。
『なに』
蛇龍は驚きながらも残った7本の尾で娘を薙ぎ払おうとする。しかし娘は身軽に尾を避け、再び蛇龍の前へと立つ。
『神たる我に傷つけられるとすれば同じ神の造ったものに他ならん。そしてそれを十全に扱えるものといえば。
貴様、あの忌々しい天津神か』
憎々し気な態度の蛇龍とは対照的に娘の衣装を脱ぎ捨てた男は言う。
『ご明察。天津神が1柱、スサノオノミコトと申す』
『はっ、天津神の中でも一番の無能ものか』
『おいおい、その無能ものに切られたんだぞ。おまけに尾に隠してあったそれ、それがお前を神たり得る存在にしてたんだろ』
たしかに今の蛇龍からは神ゆえの迫力、威容といったものはなくなっていた。
『神意の結晶たる剣のある尾を狙ったのはまぐれではないというのか』
『当たり前だろうが。これでも生まれながらの神だぞ』
その言葉に蛇龍は怒り、牙をむき襲い掛かってきた。
『貴様のような、何の苦労もしなかった、無能ものが、生まれながらの神だと、ふざけるな』
蛇龍も最初はただの蛇だった。兄弟もいたが人に駆逐され、鷹に喰われ最後には蛇龍一匹になってしまった。蛇龍は憎んだ。人を、鷹を、自分達を脅かす全てを。それらの執念を糧に蛇龍は力を蓄え神となった。
しかし、その神としての力を失った蛇龍をスサノオは切り裂いていく。
『頼む。倒れてくれ。お前のような力をもつ存在は人の世にはいらないんだ。お前の神威の塊たるあの剣をこの地にて祀る。それで許してくれ』
『この我の剣を人間どもが祀るだと?我等を害した人間どもが?ふざけるなっ、そのような辱め、だれが受けるか』
『そこを曲げて頼む。その剣は絶大な力を持っている。その剣を皆は恐れるだろう。つまりはお前を恐れるに他ならない』
『いかなる言葉でも我の意思は変わらん。覚えていろ。この恨みはらさんでおくべきか。我、転生してでも人を滅ぼしてくれよう。その時まで待っていろ』
そう吐き捨てると蛇龍の身体は力をなくし崩れ去った。
この後、剣は神々の末裔たる人の皇の手に渡った。
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