雨上がりの静かさ

新月N.M

第一話《女子高生(アリエル)》

 ——チリチリ——チリチリ——


 携帯のアラームが響く。


 和室に敷かれた布団の上。薄手の寝巻きは粗雑に乱れ、肩上まで掛けていたはずのタオルケットはどこかへ行き。

 喉は乾燥し、瞼は重く、関節の動きはどこか鈍い。


 季節は夏、梅雨の時期。

 湿気を吸い込んだ畳の匂いに、首元に溜まった汗の感覚。

 僕はため息を吐きながら、体を起こした。


 最近はいつもこうだ。

 延々と雨が降り続き、厚い雲で太陽の光は遮られ、重い空気が全身を包み込む。長雨、長い長い雨が日本に取り憑いたように降り続いていた。


 低気圧のせいで、鼓膜の機能が低下しているというのに、じめっとした空気は音をよく響かせる。


「朝ごはん食べなさい!」

「忘れ物はない?」

「ちゃんと高校行くのよ」 


 母の言葉は、どこか僕の機嫌を悪くした。


 返事はもちろん、振り返ることはせず、傘立てに刺さった黒い傘をスッと取り出し、玄関を飛び出した。


 雨は騒がしい。

 足音はいつもよりも不快な音へ、虫の声はいつもよりも騒がしく感じた。


 早朝の駅の改札からは、不規則なリズムを刻む甲高い電子音に、革靴を濡らした会社員は「はぁ」というため息。


 駅のホームでは、遅延やら、事故やらのアナウンス音が絶え間なく流れる。


 時折、プールの塩素臭のような匂いが漂う。朝、鳴っていた雷の影響だろうか。どこか懐かしく、どこか嫌な匂いだ。


 黄色い点字ブロックギリギリで、携帯電話に向かって謝罪の言葉を投げかける人。

 イヤホンから音が漏れていることに気が付かず、音量を上げる若者。

 ため息ばかりつくスーツ姿のサラリーマン。


 僕は思ってしまう。


『雨の日は嫌いだ

 雨の日の東京は嫌いだ

 雨の日の騒がしさは嫌いだ』


 と。


 電車に乗っても、窓にあたる雨の音が絶えず鼓膜を震わせるし、窓の外を眺めても、暗い街並みの中、異様に目立つ怪しい広告やパチンコ屋の煩い光ばかりが僕の網膜を刺激する。


 高校の最寄り駅まで、あと一駅、僕は大きなため息をついた。



 そんな時だった。


 電車がトンネルを抜け、高架線の上に登った時。


「ねぇ、見て。外に変な人いるよ」


 隣に座っていたカップルの彼女の方が、半笑いで彼氏に話しかけた。

 彼氏は、窓の外を眺めると「本当だね」と言い、彼女の肩に手を回す。


 僕はカップルの会話が少し気になった。

 カップルの微笑みが、いや、嘲笑が、どこか僕の興味を引いた。


 窓の外、見下ろす形で僕は彼女を見つけた。公園で踊っている女子高生を。


 黒髪ロングの髪はびしょびしょに濡れ、制服は透けるほどに雨を吸収していた。彼女がクルクルと回るたびにスカートは広がり、水飛沫を飛び散らせる。


 僕の心臓の鼓動は高鳴っていった。


 高校の最寄り駅のひとつ前の駅。僕は息を荒くしながら、電車を飛び出した。改札を駆け出した。


 水飛沫をあげながら傘を広げ、彼女がいた公園を探した。

 心の奥底から膨大なエネルギーが全身に供給されていた。


 走り回ったせいか、風が強かったせいかは分からないが、傘の軸はグシャグシャに折れ曲がり、ズボンは泥まみれ、髪の毛はビショビショになっていた。


 路地裏を抜けた先、強風が微風に変わった瞬間。

 少し廃れた、でも、子供が遊んだ形跡が残った、そんな遊具が立ち並ぶ場所。

 僕は彼女を見つけた。


 水の妖精アリエルみたいな、女子高生を。



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