第23話

「それで、蓬莱さんに憑いた『悪霊』は、どんな感じだった?」

 山門を潜る寸前に一戸が訊ね、和樹は答えた。

「喋り声が、憎たらしい男の声になってた。姿は視えなかった」

「喉の奥に入り込んでるのでは?」

「何とも言えない。この『魔窟まくつ』で、僕たちの目で見えないとしたら、厄介やっかいだ」


「『声』が相手なら、どうやって闘うんだ?」

 上野の指摘に、二人は黙り込む。

 山門の向こうは、言わば敵のホームグラウンドだ。

 敵に有利な状況下で、太刀たち薙刀なぎなたが通用するか分からない。


「ふん、情けない奴らじゃ」

 方丈ほうじょう老人は、せせら笑いする。

「『三人寄れば文殊もんじゅの知恵』と言うではないか。カステラの如きお主らの脳みそでも、少しは対策が浮かぶじゃろうて。犬と馬もるしのう」

 老人はスキップのような足取りで、山門を潜る。

 三人とチロと白炎びゃくえんも後に続く。

 敵の正体も攻撃方法も不明である以上、ここに留まっていても仕方がない。



 彼らが山門を抜けた先は、真っ白い世界だった。

 上空には、黒い巨大な月が見えるが、それ以外は何も無い。

 空と地面の境も見えず、月以外は、白一色の空間だけが広がっている。

 足元を見ると、影さえも無い。

 しかも、全くの無音だ。

 互いの息の音さえ聞こえない。

 背後の山門が閉じ、和樹たち一行の姿だけが、白い空間に浮いている。


【これは……何も見当たらない】

 和樹は呟いた……が、自分の言葉が耳に入らない。

【まずい、声が聞こえない!】


 和樹は、すぐに状況を悟った。

 太刀を引き抜き、鞘の先で白い地面を打つ。

 が、やはり無音だ。

【ここは、音が伝わらない世界だ!】

 口をパクパクさせつつ、左手の人差し指で口と耳を交互に指し示す。

 この状態で敵に襲われたら、意思疎通いしそつうが困難だ。


 上野と一戸も、状況を把握したらしい。

 だがうろたえる上野に対し、一戸は落ち着いて腰を探る。

 取り出したのは。巻物と細長い道具箱だ。

 道具箱には、金属製の小箱が紐で繋いである。

 一戸が道具箱のふたを開くと、筆が収納されていた。

 小箱は金属製で、墨を浸した綿わたが入っている。

 和樹も上野も知らなかったが、それは『矢立やたて』なる携帯用筆箱だった。

 歌人の松尾芭蕉も使った品で、戦場における武士の必需品でもあった。

 僧兵姿の一戸が持っていて、当然の品なのだ。


 一戸はしゃがみ込んで巻紙の端を広げ、墨の染み込んだ小箱の綿に筆先をひたす。

【筆談かよ!】

 上野の口が、そう言っているように動く。

 一戸は、巻紙に文字を書き始めた。

 書道教室の先生の孫だけあり、字も上手い。


〈ここは全ての音と声が断たれた世界のようだ。しかも月以外は真っ白で、距離感もつかめない〉

 一戸は頷き、上野に指示する。

〈君の能力で、地面に文字を描けないか? とにかく、言葉を伝え合いたい〉


 上野は頷き、隣にしゃがんで手を当てた。

 五本の指先から、黒い絵の具が染み出て、地面に文字が描かれる。

〈こんにちはきょうおおゆきでした〉

〈ちろはささみがだいこうぶつです〉

〈ひらがなならかける〉


 上野が描いた文字は数秒間で消えるが、最悪の状況から脱した。

 和樹が感心していると、方丈老人が筆箱と巻紙を差し出す。

 和樹は頭を下げ、それらを受け取った。

 三人が意思疎通できるのは助かる。


 和樹も二人にならって、筆を走らせる。

〈てきはこのじょうきょうを利用して、こうげきしてくるつもりだ〉

〈こうげきされたら、ぼくと雨月うげつではんげきする〉


 すると、上野の横にいたチロが激しく吠え始めた。

 白炎も盛んに耳を動かしも左右を見回しているようだ。


〈白炎の様子もおかしい。敵がどこかにいる〉

 一戸は筆を走らせた後、しゃがんだ姿勢で背負った薙刀『白峯丸しらみねまる』を抜く。

 前回の戦闘では『白峯丸』と叫べば、それに呼応して飛び出し、一戸の手に収まったのだが……


〈おんせいにんしききのうかよ〉

 上野は文字で突っ込んだ後にチロを抱いて立ち上がり、白炎の傍らに立った。

 方丈老人も、その脇に立つ。


〈雨月、てきが見えない。気配をさぐろう〉

〈その方がいいな〉


 一戸は立って『白峯丸』を構え、和樹も『白鳥しろとりの太刀』を鞘から抜き、片膝を付いて目を閉じる。

 気配は探れる筈だ。

 そうしていると……確かに何かが居るのは、うっすらと分かる。

 しかし無音のせいか、距離感が全く掴めない。


 困惑した和樹は諦め、文字を書く。

〈いるのはまちがいない。でもいちがわからない〉

〈完全にわなに引っかかったな。神名月かみなづき、敵はどうやって攻撃してくると思う?〉

〈音がぶきなら、大きな音を出して耳をやぶるとか。まちがいなく、ぼくたちの本体にもダメージがいく〉


 明日は、一戸の推薦入試当日なだけに、焦りがつのる。

 悪い想像を巡らすものの、それ以上は何も起きぬまま、時間がダラダラと過ぎる。

〈いちじかんぐらいたったきがするんだけど〉

 たまりかねた上野が、地面に文字を描いた。

 チロが吠える仕草をし、白炎はソワソワし続けるが、一向に事態は進展しない。

 いったい、何が起きているのか……

 この緊張感に、いつまで耐えられるか……




 そして疲れたチロが、うなだれた頃。

 突然、天井が割れた。

「ほあああああああああああああああああああぁぁっ!!!」

 

 音が戻った。叫び声が鳴り響き、群青ぐんしょう色の光が差す。

 卵の殻が割れたように天井が砕け散り、真紅の何かが見えた。

 それは一行の目前に落下し、ようやく真紅のドレス姿の少女だと判明する。


 そして周辺の白い壁にもヒビが入り、破片が砕けて落下する。

 頭上の黒い月は、反転するように赤い光を帯びた金色の月に変わる。

 周囲は、薄闇の何もない空間に戻った。

 チロもクンクンと可愛く鳴き、白炎も落ち着きしずまる。


「どんくさ~~~!」

 深紅のドレスの少女はフレアースカートの形を整え、、唖然とする一行を小馬鹿にするように見つめる。

「あんたたちは、〖門番〗の口の中に飛び込んだのよ。奴は、膨らんだ風船みたいに山門の入り口前で待ち伏せてた。あんたたちは、その中に入っちゃったのよ」

「じゃあ、あの白い壁は……」

 和樹が訊ねると、少女は頷いた。

「そ、敵の本体。あんたたち、あの白い壁の中が少しずつ狭くなってるのに気付かなかったでしょ。あたしが外からブチ破らなきゃ、どうなってたか」


「マジかよぉ……」

 上野は座り込むが、一戸は『白峯丸』を手にしたまま少女に訊いた。

「君は確か……何となく分かる。『美名月みなづき』…か?」

「当たり~」


 和樹たちと同年代に身折る少女は、両手を腰に当てた。

 胸元の開いた真紅の膝丈のワンピースを着ている。

 肘丈の袖は膨らみ、大きく入った切り込みから、白いアンダーブラウスがはみ出ている。

 手に白いグローブを履き、腰には茶色のコルセットを締めている。

 足には薄紫のストッキングに、真紅のストラップシューズと言うコーデだ。

 真紅のシュシュでまとめたツーテールのライトブラウンの髪は、腰まで達する。

 

「あたしは『美名月フランチェスカ』。フランチェスカって呼んでちょうだい」

 少女はニコリと笑う。

 しかし和樹と上野は顔を見合わせ、和樹は即座に突っ込んだ。

「キミ、久住くすみさんちの猫の『ミニョレ』か?」

「はニャ!???」

 ミゾレは「なぜ分かったの?」とばかりに、目を丸くする。

 和樹は、溜息まじりに言う。

「キミ、久住さんと美術の番組を見ただろ? そのワンピは、番組で紹介された絵の『フランチェスカ』のドレスと似てるし。でも、キミは久住さんじゃ無さそうだし。しかし、どうしてキミが?」


「ソファーのテーブルの下に、魚型の容器が落ちてて、噛んで遊んでたら、中身の液体が出て舐めちゃった。夜になってゴロゴロしてたら、急にここに来て……あたしは『美名月』って名前なんだって思った」

「ああ……僕のせいか」


 和樹は、額を押さえて天を仰ぐ。

 久住さん宅を訪問した時に履いていたデニムの尻ポケットに、醤油さしを幾つか入れたままだったのを、ようやく思い出す。

 不覚にも、ソファーの下に落としてしまったのだろう。


「それも『えにし』じゃよ。ほっほっ」

 老人は笑った。

「そやつは離れた場所に着地して、ワシらと一緒に山門を潜らずに済んだのじゃな。それにしても、犬に馬に猫とは……」


 老人は一行を振り返ると、やはりもう彼らは居ない。

 老人は笑みを浮かべ、月をあおぐ。

「揃って来よったな。あとは『水葉月みずはづき』か……あ奴は、いつ出て来るかのう……」

 





 ここで、時間を少し戻そう。

 この前日、和樹たちの知らない重要な出来事が起きていた。

 

 その日の昼に、岸松おじさんは市内の知人から電話を受けた。

 岸松おじさんは『向心会こうしんかい』なる勉強会を主催している。

 人生相談の他、『徒然草つれづれぐさ』などの古典の読み合いをするのだ。

 冬は活動を休止しているが、会員の年配の女性の電話を受けていた。


「岸松さん、ですから……その方に、お会いして頂けますでしょうか?」

「その方が、お孫さんのことでお悩みなんですね? では、私からその方に連絡いたします」

 おじさんは、馴染みの会員の女性に聞き返す。

「その方のお名前と電話番号を、もう一度お教え願えますか?」

「はい。『村崎 七枝ななえ』さんです。電話番号は……」


 おじさんは電話番号もメモし、それからスマホの電話を切る。

 ここはおじさんの部屋で、八畳の和室だ。

 床の間には、山が描かれた掛け軸と、その手前には日本刀が飾ってある。


 日本刀の横に置かれた小さな編みカゴには、和樹から貰った醤油さしが五個。

 何かを感じ取ったおじさんは、醤油さしの前に座った。

 醤油さしに変化は見当たらないが、和樹か裕樹の身に何かが起きた予感がした。

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