第9話
和樹は、再び『魔窟』の底に降り立った。
目の前には、巨大な山門の影がある。
餌が飛び込んで来るのを待ち受ける獣の口のように、扉は左右に開いている。
上空には、相変わらず巨大な月が浮いている。
「ほぉ、『神名月の中将』ではないか。懲りずに、戻って来よったか」
背後から、
「方丈さま……お元気そうで何よりです。友達の後頭部に、天狗のお面が引っ付いてるので、それを退治するため参上いたしました」
和樹は膝を付いて老人に会釈し、開いた扉の向こうを眺める。
薄い月明かりが注いでいるにも関わらず、黒々とした殺風景な地が広がっているように見える。
「ここと変わらない景色ですね。……お訊ねしますが、ここには鏡とか水溜まりは無いでしょうか?顔を映したいのですが」
「何じゃい?おのれが、イケメンか確かめたいとな?」
「いえ。この顔が、僕の本体の顔とそっくりなのか知りたくて」
「うーん、その細い眉が気に入らんな。抜いて、太眉を描かせてくれんかのう?」
「いえいえ、このままで良いです。気に入ってますので」
和樹は、手を振って辞退した。
平安時代頃は、眉を抜いて額に描いていたらしい。
眉に強いこだわりは無いが、顔だけは気になる。
「あの、顔だけでも確かめたいんですが」
「水溜まりなら、この先の町のどこかにあるじゃろな。竹筒の水じゃあ、顔を映すには量が少なすぎるわな」
老人は、和樹の眉をなぞりながら笑った。
目も口も無い『影』でも、どんな表情をしているのか、不思議と感じ取れる。
「ほぉ、ワシに
老人は、とっとと歩き出す。
ふと後ろを見ると、犬の一家の『影』があった。
三匹は座って尻尾を振っており、一匹は和樹の足元に擦り寄って来る。
たぶん、父親だろう。
和樹は父の裕樹を思い出し、また頭を撫でる。
「お前の家族だよな。家族を護ってやれよ。また、会おうな」
そして、老人を追って山門を
そうすると、景色は一変した。
黒い地面が濃い赤茶色に変わり、通りの左右には黒い塀がそびえ、遥か先まで続いている。
塀の前を黒い人影が行き来しているが、まるで紙のように厚みが無い。
こちらを無視しているが、見えていないのかも知れない。
だが、前の『村』と違い、家の形をした『影』が無い。
彼らは、ただ
しかし、上空の月は『村』で見たのと同じだ。
巨大で、少し赤みを帯びていて……。
振り向くと、山門は消えている。
果てしなく続く黒い塀が、果てなく続いているだけだ。
月が無ければ、方向を見失ってしまうだろう。
「お主の視た『天狗の面』は、ワシの知る『天狗さま』とは違うようじゃ」
方丈老人は、左右を見回す。
「中将よ。『天狗さま』は、山の神様として信仰されておる尊い存在じゃ。もっと大昔には、『地上に堕ちた災いの星』と呼ばれ、恐れられたそうじゃが」
「『
「お前たちは、学問の師匠に、そう教わっておるのか」
「人間が出現する遥か昔に、巨大隕石の落下で、恐竜が絶滅したと教わりました。確かに『災いの星』と言えるかも知れません」
そこで、和樹は疑問を口にする。
「……方丈さま。あなたも、僕のように『幽体離脱』して、ここにいらっしゃるのでは?」
「なぜ、そう思う?」
「ゲームのこととか、『イケメン』という言葉とか……僕の時代の知識をお持ちですから」
「……気を付けるんじゃな」
老人は顔を伏せた。
「この『魔窟』に長居すれば、お主もこうなるぞい」
「え?」
「ん~、『天狗』が来よったぞ、中将」
見ると、正面に天狗の面を付けた『影』が立っていた。
大柄で、天狗の面は油を塗ったように光っている。
束ねた
和樹も、愛刀『
すると、周囲を歩いていた『影』たちが、こちらに体の正面を向けた。
海中を漂う昆布のように揺れながら、ジリジリと近付いて来る。
「くそっ、また雑魚に闘わせるのかよ!」
和樹は舌打ちしたが、老人は肩を揺らして笑う。
「ほっほっ。下っ端の戦闘員が真っ先に出て来るのは、お約束じゃろうて」
「方丈さま、後ろに下がっててください!」
和樹は、鞘ごと太刀を抜き、昆布のような『影』たちを打ち据えていく。
前の闘い同様、目は『影』の動きを的確に捉え、体は別人のように俊敏に動く。
のろのろと揺れるだけの敵は、近付いて来るだけで、ほぼ無抵抗だ。
それらを鞘で殴打し、吹き飛ばす。
何だか、濡れた洗濯物を放り投げているような感覚だ。
立ち回りにも少し慣れたのか、前よりも息切れしない。
「15、16………20、21……」
背後で、老人が数えている。
少なくとも、その声を聞き取る余裕はある。
「25。ほい、終了」
老人が数え終わると、左右の塀の周りの地面には、倒れた『影』たちが貼り付くように倒れていた。
残っているのは、『天狗の面』だけである。
「おりゃ、『インチキ天狗』め。偉大な『天狗さま』に化けるとは、不届き
老人は嬉しそうに飛び跳ね、仁王立ちの『天狗』を挑発する。
すると、『天狗の面』が笑った。
目を細め、
そして、藁を束ねたマントの裾から……黒光りする武器を取り出した。
「ふぁっ!?」
和樹は目を剥いた。
『天狗の面』が両手で持っているのは、どう見ても『マシンガン』である。
マンガやアニメでお馴染みの、『機関銃』である。
「およ?わしゃ、あの武器を知っとるぞ。『ボニーとクライド』のラストシーンでお
「たぶん、それで合ってます!」
和樹はヤケクソ気味に叫んだ。
『ボニーとクライド』が何かは知らないが、警官が持っていたのは『機関銃』で間違いないだろう。
「ここで飛び道具かよ!」
太刀を鞘から抜き、身構える。
昼間に『天狗』を検索してみたところ、天狗のイラストは、
闘いになった場合、それらの武器を使ってくるだろうと想像した。
それが、いきなりの現代兵器の登場である。
分の悪いことに、周囲には何も無い。
身を隠す場所が全く無い。
左右に、五メートルはありそうな高い塀が続いているだけだ。
だが、自信はある。
前回、長身の『影』の頭上を跳び越えた。
それに、今の自分は『神名月の中将』だ。
(大丈夫、跳べる!)
和樹は老人の襟元を掴み、右側の壁に向かって跳躍した。
同時に、機関銃の先端から火花が散り、連射音が鳴り響く。
和樹は、轟音の上を高々とジャンプする。
そして塀を跳び越える寸前に、我が眼を疑った。
「うすっ!」
……塀の幅は薄かった。
下っ端の『影』と同じく、厚みが無い。
小学六年の学校祭の演劇で使った、ベニヤ板に描いた背景のような薄さである。
塀の上に着地するのは不可能と判断した和樹は、『
落下しながら、塀の裏側に刃を刺す。
刃は半分ほどまで突き刺さり、塀を二メートルほど切り裂いて止まった。
和樹は柄を掴んだ状態で、宙ぶらりんになる。
左手には老人を抱えているが、体重が無いようだ。
しかも、自分の体重も殆ど感じない。
『霊体』ゆえに体重が無いのかも知れないが、これなら
しかし、そんな呑気な考えは呆気なく消された。
『天狗の面』は、まるで見えない階段を昇ってくるような足取りで、和樹たちの頭上に現れたのだ。
「おりょ。浮いとるぞ、あれ」
「空中浮遊のマジックでしょう!それより、僕の腰にしがみ付いてください!」
両足を大きく振り、壁に当てて踏ん張る。
塀は固くはなく、弾力のある板のような感触だ。
『天狗の面』は、銃口を和樹たちに向けて身構える。
チラリと見える真下は、漆黒しか無い。
まるで、海のように果ても見えない。
墜ちたら、這い上がることは出来ないだろう。
和樹は覚悟を決めて動く。
力を込め、太刀を下に押し下げる。
太刀は塀を裂いていき、僅かに開いた隙間に左のエルボーを喰らわせた。
目にも止まらぬ速さで刃を引き抜くと同時に、身を丸めて穴に押し入る。
二人は穴から道に落下し、その向こうで轟音が響いた。
幸い、弾丸は殆どこちらには飛んで来ない。
「ほう。やるのう、中将よ。当たるも
連射音が停まると、老人はでんぐり返しの姿勢で言う。
「じゃが、空中浮遊して、飛び道具を使う『インチキ天狗』を、どうやって倒すんじゃい?」
「……あの機関銃は弾切れしないようですが、ずっと撃ち続けるのも不可能なようです。ならば、こちらも飛び道具を使います!」
和樹は確信をもって答える。
太刀を鞘に戻し、それを左手で抱えて走り出す。
『天狗の面』は、予想通りに和樹めがけて、上空から撃って来た。
(……
和樹は、左側の塀の手前を駆け抜ける。
その足元で弾が跳ねるが、当たらない。
まるで、チーターのような俊敏さだ。
やがて、連射が止まった。
次の連射が始まるまで、時間はある。
和樹は立ち止まり、鞘を握る左腕を前方に伸ばす。
(我が太刀よ。その
それに応えるように、白い鞘が輝いた。
それは光の帯となり、形を変える。
柄が大きく伸び、鞘は一部は弦となり、弓掛けとなって右手に巻き付く。
白く輝く矢が出現し、和樹は矢を上に向ける。
すべての動作は、踊り慣れたダンスの如く、間を置かず行われた。
矢が空中に射られるまで、五秒と掛からなかっただろう。
『
ガラスを引っ搔くような音が飛び、天狗のお面は粉々に散り、その姿は宙に溶けるように消える。
和樹は大きく息を吐き、地面に片膝を付く。
『
「おお、やっちまいおった」
老人は、和樹に駆け寄ってくる。
「この前とは、雲泥の差じゃ。雑魚どもを倒して、ヘタっていた時とは別人のようじゃぞ。その『体』の使い方を思い出したかの?」
だが、和樹は膝を付いたまま動かない。
鞘に収まった太刀を、じっと見降ろしたままだ。
「……方丈さま、ちよっとこちらに」
「何じゃい?」
「この太刀は、大弓に
「それで?」
「勘違いしていました」
和樹は、老人をギュッと抱き締める。
「友達の後頭部に引っ付いていた『天狗の面』の色は、赤でした。そいつが、真後ろで銃を構えています」
和樹は、肩越しに後ろを見る。
ライフル銃を構えた赤い『天狗の面』が、身じろぎもせずに二人を睨んでいた。
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