第3章 霊能者、大晦日にタラバガニを持って来る

第8話

 『年末年始特別講習』を受講する中学三年生の教室は、どことなく重苦しい。

 息詰まる静寂の中、講師の声と紙と鉛筆の音が大きく響く。

 大晦日の今日も元日も、受験生には関係ないのだ。


 だが、和樹は二列斜め前の席に座る蓬莱さんが気になり、それどころでは無い。

 蓬莱さんの顔の真後ろに、赤い天狗の顔が貼り付いている。

 縁日で買ったお面を前後逆に付けているような有り様で、しかも時々にニタッと笑いつつ、生徒たちを見回している。

 昨日は視えなかったのに、一晩でコレだ。

 今夜は、二度目の『悪霊退治』をしなければならないだろう。


 が、問題は『霊能者』を自称する母の伯父である。

 今日の夕方に、タラバガニと干し大根を持って我が家を訪れる予定だ。

 伯父は若き頃、どこだかの御山で『仙人のような人』に師事して修行したと言う話を聞いたことがある。

 高齢に差し掛かった今は、人生相談のようなことをしているそうだが、会うのは非常にまずい。


 おじさんは間違いなく、自分に異変が起きていることを察している。

 入浴の度に浴槽に現れる父にも相談したが、結論は出ない。

 とにかく、母に『悪霊退治』の件を口止めして貰うより他に無さそうだ。

 


 講習に身の入らないままで今年最後の講習を終え、久住さんと蓬莱さんと並んで帰宅する。

 蓬莱さんも『桜南さくらみなみ高等学校』を受験するらしい。

 年明けには、新制服がお披露目されるらしく、二人は楽し気に想像している。


「ナシロくんも、一緒に行けるなら嬉しいな」

「そうですね。家も近いですし」

 久住さんと蓬莱さんは、無邪気に笑う。

 ついでに天狗も笑っているのを視て、和樹は密かに舌打ちした。


 結局、和樹も『桜南高等学校』を受験せざるを得なかった。

 冬期講習の申し込みの時も、第一志望に『桜南』と記入した。

 気は進まないが、現状を考えると、蓬莱さんに会える機会を増やすのが最良の策だろう。

 

 偏差値を考えると、多少の不安はある。

 が、父いわく「得意な国語と社会で点数を稼げ。苦手な数学と英語は捨てろ」、「受験当日に『湯入りの醤油さし』をポケットに入れて置くんだ。危なかったら、父さんが答えを教える」。


 ……父のカンニング推奨には、賛同はできない。

 しかし、蓬莱さんの身の安全には変えられない。

 人命を優先しなければならないのが、辛いところだ。




「ただいま…」

 午後三時に帰宅すると、母の沙々子がおせち料理の準備をしていた。

 明日のお雑煮用の干しシイタケを水で戻している横で、煮しめを炊いている。

 沙々子は肉が嫌いで、煮しめには野菜や根菜、ゆで玉子しか入れない。

 他には、焼いた荒巻鮭あらまきさけの切り身、レトルトの焼き豚、黒豆、栗きんとん、紅白なます、昆布巻、かまぼこなどが重箱に盛られている。


「お帰り、和樹。あんたの部屋に、伯父さんのお布団を置かせて貰ったから」

 テキパキと盛り付けをしながら、母は言った。

 和樹は、目を丸くする。

「は?おじさん、泊まるの?」

「言わなかった?ビールも用意したし。クルマは、いつものように近所のコンビニの駐車場に停めるって。それより、勉強ははかどった?『桜南』に受かりそう?」

「まあ……頑張ってみる」

「そう。志望校を変更する時は、来月末に書類を提出するんだっけ?」

「うん……あと一時間ぐらい、復習してるね」

 

 和室の仏壇に頭を下げ、和樹は部屋に戻った。

 ベッド横のスペースに、一人分の布団と枕と浴衣が置いてある。

 セーターの胸ポケットから、醤油さしを出し、話し掛けて見た。

「どうしよう、父さん。今夜は『悪霊退治』をしなきゃならないよ。おじさんは、一緒に風呂に入ろうって言ってるみたいだし……」

〖おじさんを、味方に付けるしか無さそうだな〗

 父の声が、耳の底に響く。

「だよね……」

 和樹は同意し、机の上の写真立てを見た。結婚して間もない頃の、父の写真が入っている。

「仕方ない、今夜も頑張って闘うよ…」




 そして午後六時半に、母の伯父に当たる岸松喜春きしまつきよはるおじさんがやって来た。

 黒のコートにグレーのスーツ姿で、茹でたタラバガニの足と、干した大根二本をレジ袋に入れてぶら下げている。

 おじさんの住まいは郊外の町で、農業を営む弟夫妻と同居しているのだ。


「お盆以来だな。沙々子も和樹も元気でやってるか?」

 おじさんは70歳で独身。長身で、いまだ背筋がピンと伸びている。

 髪は白髪交じりだが、薄くはなっていない。

 右耳に、補聴器を装着しているのが見える。


 母も紺色の和服に着替えており、にこやかにおじさんを迎える。

「ようこそ、伯父さま。おせちを用意してますから、みんなでいただきましょう。でも、どうしました?大晦日に、急にいらっしゃるなんて」

「いや、亡くなった裕樹の夢を見て、ちょっと気になってな。まずは、お参りをさせて貰おうか」

「ありがとうございます、伯父さま」


 そして三人で、仏壇の前に座り、父と御先祖様に手を合わせる。

「親子ふたりの生活は寂しくないかね?ここで言うのは何だが、再婚は考えとらんのか?」

「いやだわ、伯父さまったら」

 沙々子は蝋燭ろうそくの火を消しつつ、笑い飛ばす。

「今さら、面倒だもの。何より、和樹が居てくれるから、寂しいなんて思ったことないです。今のままで、充分幸せです」

 

 母は、仏壇の上に掲げられた父の遺影を眺める。

 母とおじさんの会話を、和樹は複雑な思いで聞いていた。

 母が再婚する、などと考えたことは一度も無い。

 けれど、母はまだ30代だ。再婚話が出て、当たり前の年齢だ。

 そして……ポケットには、醤油さしを入れたままであることに気付く。

 今の会話は、父にも届いたかも知れず、それが気になった。


 その後は、歌番組を見ながら、三人でおせちを食べた。

 おじさんのお土産のタラバガニの足に切れ目を入れ、箸と竹串で身を取り出して食べる。

 干した大根は、漬けて沢庵たくあんにすると、母は言った。

「一本分は、お隣にあげましょうね」とも。



 そして年越しそばを食べ、深夜が近付く頃に、和樹とおじさんは脱衣所に居た。

 母は先に入浴し、今はアイドルのカウントダウン中継を観るために、ソファーでスタンバイ中である。


「お前と風呂に入るのは、何年前だったかな。定山渓じょうざんけい温泉に行った時以来か」

「狭いですけど……僕は後で良いから、おじさんがお先に」

 和樹が服を脱がずに躊躇ちゅうちょしていると、おじさんは浴室のドアを開けて、中を覗き込む。

 広くは無い浴室に、風呂イスが二つ、縦に並んでいる。

 母が用意したのだろう。

「和樹。一緒に入るぞ。お前の身に起きたことを確かめたいからな」

 おじさんは、ジーッと睨みつけて来る。

 和樹は内心で「ああ…」と呟き、覚悟を決めた。

 もはや、ごまかすのは不可能である。

 全裸になって、おじさんを先に浴室に入れ、和樹も渋々と続く。


 ふたりは向き合って座り、シャワーで体を流し、狭い空間でチマチマと腕を動かして、体と髪を洗った。

「さて、和樹よ。何が起きたか、話してくれるかな」

「あ~……その、あ~……僕のクラスに転校生が来て……」


 おじさんの鋭い視線に気圧けおされ、のらりくらりと話し始めると……おじさんの目の色が変わった。

 浴槽を睨み、湯気に手をかざす。

「何だ、これは……」

 おじさんの低い声がとどろく。

「お前、この湯の中に入れるのか!?」

「はい、その、父さんが……」


「……そのようだな。裕樹くん、ここに居るのかね?」

 おじさんは呼びかける。

「裕樹くん。私には君の姿は見えないし、声を聞くことも出来ない。だが、君が居ることは分かる。和樹、湯に入ってくれ」

 和樹は、おじさんの顔を伺いながら浴槽に入る。

 すると、バツの悪そうな顔をした父親が向かいにいるのが視えた。

「父さん……あの、おじさんが」


「この、たわけが!」

 おじさんは、掠れ声で父の裕樹を叱り付ける。

「私は言った筈だぞ。あの前日に、登山に行くな、危険だ、止めろとな。なのに、お前は『これを最後に登山サークルを辞めるから』とか言いよって、滑落して死によった!」


「すみません、すみません、と父は言ってます…」

 和樹は肩をすぼめ、おじさんの耳元に口を当てて代弁する。

「岸松さんが『霊能者』だと、信じてませんでした。沙々子と和樹を置いて逝ってしまい、情けないです。本当にすみません、すみません、と父は謝ってます」

「そのあげくに、このていたらくかね?和樹に何をさせてるんだ、君は?」

「和樹の『運命の恋人』の蓬莱天音ほうらいあまねと言う少女が『悪霊』どもに付け狙われているので……お偉い方々の命令で、和樹に『悪霊退治』をさせています、と父が言ってます」


 それを聞いたおじさんは絶句し、額を抱える。

「何だね、それは……」

「岸松さんの忠告を無視して、自分が死んだことは弁解の余地がありません。でも自分が生きていたとしても、別の親類の霊が、和樹に警告をしたでしょう。そして和樹に『悪霊退治』を指示していたでしょう、と父は言ってます」


 おじさんは厳しい眼差まなざしで、和樹の向かいの空いているスペースを凝視しつつ、唸る。

「まさか、今ここで『悪霊退治』をするのかね?」

「この湯に『三途の川』から水を引き込んでるらしくて、僕が『幽体離脱』をして『魔窟』とやらに行って、蓬莱さんに取り憑いてる『悪霊』を倒すんです。今日で二回目なんですが……彼女の頭の後ろに、天狗の顔が引っ付いてて、それを倒しに行って来ます。あ、これは父の代弁じゃないですよ」


「……やってみせてくれるか?」

 おじさんは、浴槽の湯に手を差し入れ、顔をゆがめた。

「驚いた。これはキツイな。引き込まれて行く感じがする。まあ、良い。和樹、やって見せてくれ」


「はい!」

 おじさんに励まされたことは心強い。

 和樹は目を閉じ、精神を集中する。

 一回目の『悪霊退治』以来、入浴の度に父と会い、『幽体離脱』の練習をした。

 コツは掴めた。

 集中を続けると、体内の糸が張り詰めていく感覚が強まる。

 それが頂点に達すると、指で弾いたようにピーンと震える。

 その瞬間に、『跳び出す』のだ。

 

 神無代和樹の体を離れた『神名月かみなづきの中将』は、『魔窟』に向けて一直線に潜行していく。

 愛刀『白鳥しろとりの太刀』は、腰の太刀紐に、しっかりくくられている。

 恐れは無い。 

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