読書ノート

大倉

読書ノート

 読書ノートをつけてから、六ヶ月という、短いようで果てしなく長い時間が経っていた。


 もっとも、読書ノートといっても読んだ本の感想などを書くのではなく、なんとなく読んだ本の、なんとなく気になった文章を書き写すだけだ。


 それがいったい何という本の何ページに書いてあったのかということは書かないから、私にはもはや何が何だかわからなくなっている。


 自分が思いついた文章もメモしていたので、厳密には読書ノートでもないのだが、もちろん純粋には私の言葉など存在せず、すべては模倣、反復にすぎないのだから、AとBとCという本を読んで、そしてたまたま直近に起こった出来事、それはたとえば母との他愛のない口喧嘩でもいいのだが、つまりそういったものが組み合わさって私の言葉という錯覚が生まれ、私の読んだ古典の文章と混じってノートの上にインクの染みとして浮かび上がるにすぎない。


 ただ、びっしりと書かれた一冊のノートをぱらぱらとめくっても、どれがその自分の模倣、反復された偽物の言葉なのか判別がつかずに、私はそのことに安心して今日も夜になると目を閉じて、深くて小さな物音一つで目が覚めてしまう夢の中へと入って行く。




「では小島さん、この英文を和訳してみてください」


 五時間目、担当は絶対に怒ることがないとされていた柴崎先生だったので、誰もが油断してきっと自らのくだらない青臭い悩みなんかを考えたりしている、そんな午後だった。


 小島と呼ばれる女生徒もそんな一人だったのか、滅多に指名などされないからひどく慌てた様子で、どこの箇所を言われているのかも分かっていないようだった。


 柴崎先生はきっとそんなことになると分かっていたのだろう、相変わらずどういった感情なのか、簡単に言えば快なのか不快なのか読み取りづらい表情で、もちろん普通に考えれば自分の授業を聞かれていないというのは不快なはずだが、しかしそんな単純な図式をこの人に当てはめることは私には躊躇われて、ただ優しく教科書の四十八ページ五行目から七行目にかけての英文ですと言うその目は、やはり特別に惹きつけられるものがあり、私は今日もこの人の元に件の読書ノートを持っていくことになるだろうと、義務のような感情が生まれ、それから十四才には似つかないような幸福感が襲ってきた。


 


 今は七月で、つまり読書ノートを書き始めたのは一月ということになる。私が気付いたのは、夏と冬では読む本の種類が、少なくとも書き写す文章の種類が変わっていて、はじめのページにはセンテンスがとても長い、それこそ悪文と呼ばれても仕方がないような、ヌーヴォーロマン的とさえ思える文章を好んでいたのだが、夏はやはり瞬発力が必要なのだろう、短いものでは六文字、長くても五十文字といった、軽薄な名言カレンダーと何ら変わらないものになっていた。


「田中さんは一日にどのくらいの文章を読んでいるのですか?」


 放課後、柴崎先生は私の読書ノートを読みながら、低くて温かみのある声で言った。やけに茶色の目は私の文章を読めているのか不安になるほどであり、しかし何かを思考していることはありありと伝わってきた。


 先生に読書ノートを見せるようになったのは、四月からで、二学年に上がったばかりのころだ。私はどうして先生が今更になってそんな疑問を持ったのかと少し訝しんだ。


「それは体温によって決まります」


 私は言った。


「その日の体温が三十六度以上で、かつ三十七度二分以下の時は百ページから五百ページ読みます。ただ、三十六度以下、あるいは三十七度二分以上の時は一ページも読めません」


「田中さんは毎日のように体温を測るのですか?」


 先生は特に驚きもせず言った。きっと今、先生は私が服の中に体温計を入れて脇に挟むところを想像している。そう考えた途端に私はたまらなく嬉しくなる。


「まさか。


 ――ただ、私にとって本を読むということは、それほどまでに体のコンディショニングに左右されるということが言いたかっただけですよ」


 苦笑、あるいは憫笑と言われても仕方がない顔をして、私は先生の顔をまじまじと見る。先生はまったく表情を変えずに、ただ私の書いた文章を淡々と、まるでこれも課せられた仕事のように読んでいく。


「読書家には二種類いると、私は最近になってですがそう考えるようになりました」


 先生はノートから目を話して、私の方を向いた。でも、私の目はおそらく意図的に見ないようにしていた。


「まず一つ目は、読んだ本の内容をすぐに他人に話したくてしょうがない人です。ある有名な作家が何かの本でこう書いていました。良い小説とはすぐに友人に電話したくなるようなものだと。つまり、一般的にはこの読書家は良いとされます。


 しかしその一方で、絶対に何を読んだのか知られたくない読書家もいます。誰だって自分の部屋の本棚を見られるのは恥ずかしいでしょうが、そういう感情がとても強い人たちです。


 私はあなたがどちらの読書家なのか、未だに判断がつかずにいます」


「そんなの、分かりきっているじゃないですか」


 私は先生にそう言われて自分でも気づかないうちにイラついていたのか、大きな声を出した。周りには誰もいなかったから特に問題はなかった。


「私はどう考えても前者の、先生が嫌いな凡庸な読書家です」


 一般的に良いとされている前者の読書家を先生が好きなはずがなかった。それは決して先生がひねくれているとか、そういった矮小なことではない。ただ今だって私は先生に半ば嫌がらせとして読書ノートを見せているのだ。


「……カフカでもペソアでも、誰だっていいのですが」


 先生は言った。カフカはもちろん知っていたが、凡庸な読書家である私にはペソアが誰なのか分からなかった。


「小説や詩を書くというのは、どうしても一種の恥じらいというのがあります。もちろん彼らが生きた時代と現代の私たちの感覚を安直に同じにしてはいけません。でも、結局のところ彼らも、私たちも、ただ黙っていられないだけなのかもしれません」


 おそらくペソアという人は詩人なのだろう。先生は小説よりも詩が好きだと前に言っていたし、カフカと同等に並べるくらいの小説家ならばさすがの私も知っているはずだった。


「先生。私はあくまで読書ノートを書いているのであって、小説も詩も書いてませんよ」


 私はまるで年下をなだめるかのように言った。そんな失礼さも受け入れてくれるのが先生だった。


「それは間違っていますよ」


 先生はいつもの優しい口調ではなく、やや早口で大きく、低い声はいつも通りなのだが、しかしどこか責めるように言った。


「あなたほどの読書家が気付かないわけがないでしょうが、これはもうあなたが書いた小説、または詩です。ジャンルなどどうでもよいのですが、とにかく無数の本から文章を取捨選択してそれを一冊のノートにまとめる。これは近代小説の祖とも呼ばれるドン・キホーテを書いたセルバンデスにしてもそうですが、誰もが他人の言葉を切って貼ってして新しく自分の作品を作っていったのです。確かにあなたの書いたノートは今は小説の形にも詩の形にもなっていないかもしれませんが、そのスタイル、姿勢は間違いなくそれと同じです。あとはあなたがそれに自覚的であるかどうかなのです」


 先生はそう言って、ノートを閉じて私にそっと返した。私は先生の言っていることの意図が分からなかった。意味は痛いほどわかったが、しかしそれを私に力説することは分からなかった。


「……先生もこういうこと、したことあるんじゃないんですか? だから、昔の自分を見ているようで嫌になったんでしょう」


 私の精一杯の反撃だった。でもそれを先生は一蹴した。


「私は物書きでもなければ読書家でもありません」


 先生は心底軽蔑しているような目で私を見た。


「もちろん、昔そうだったわけでもなく、本当に本とは無縁の人生を送ってきました。唯一読めるのが詩です。それ以外の、小説と呼ばれるものはほとんど読むことができないのです。


 ――だから私はあなたが本当に羨ましい」


 先生は苦しそうに言った。


 でも、と私は言いかけてすぐにやめた。これ以上先生にそんな目で見られるのは耐えられそうになかったからだ。


 コンコン。


 とドアを叩く音がした。


「はい」


 先生はいつも通りの優しい声で答えた。


「今日の宿題のプリントを持ってきました」


 女生徒は小さな声でおどおどして言った。まだ一年生だろうか。もう七月なのに、まだ小学生が背伸びして中学生のフリをしているような、そんな印象を与える幼さがあった。先生にプリントを渡すと、女生徒はすぐに消えて行った。


 ここは英語準備室という、先生と私以外は滅多に人が入らない場所だった。でも、私がこの部屋に来るのはもしかしたら今日が最後かもしれないなと思った。


「先生」


 私は女生徒がさっき閉めたばかりのドアに手をかけながら言った。


「どうした?」


「私のノート、いや、私の小説は面白かったですか?


 ……というか、本当に読めていましたか?」


 私は声が震えそうになったのをなんとか抑え込んだ。もはや先生の顔など見ることができなかった。先生はしばらく黙ったあと、


「面白かったよ。


 ただ、読めていたかどうかは分からない」


 と言った。


 私はそのまま先生の方を見ないまま何も言わずに部屋から出て行った。


 


 七月の空は、六時ではまだぜんぜん明るかった。教室に戻るとそこには誰もいなくて、グラウンド場の方から野球部の練習する声だけが聞こえてきた。私は読書ノートをぱらぱらとめくって、それから、それをゴミ箱に放り投げた。泣きたい気持ちだったが、しかし泣く理由はなく、ただセンチメンタルな気分に浸ることしかできなかった。凡庸な読書家であることを私は生まれてはじめて恥じた。私が先生にしていた行為はきっと何の生産性もない、悪戯な自傷行為にすぎなかったのだろう。


 先生はこの四ヶ月の間ずっと何を思っていたのだろうか。もう耐えられなくなって私にあんなことを言ったのか。そもそもどうして私は先生を選んだのだろう? 私は何も分からなくなって、汗をかいて爽やかに運動に励む男の子たちを上から見下ろしながら、家に帰ってから何の本を読もうかと考えていた。

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