第9話 なんか、別の女の匂いがするの

 × × ×


「……おはよう、雪常」

「おはようなの」


 部屋に戻ったのは、治療を終えて昨日が今日になった頃。どっと来た疲れで思わずベッドに倒れ込んでしまったのだが、制服のままで眠ってしまったみたいだ。


「何でここにいる」

「なんでって、会いたかったからなの」

「どうやって入ったんだ」

「入口を通って、廊下を歩いてきたの」

「……へぇ」


 すげえや。


 まぁ、女子寮の男子禁制があってないようなモノなら、当然のように男子寮の女子禁制もあってないようなものなワケで。そもそも、雪常を止められる人間が学校に何人いるか?って話になるなるワケで。つまりこの状況は、普通なら既に予想できていた展開であると言えるワケ。まぁ、俺は出来てなかったけど。


 雪常はうなされて跳ね起きた俺の顔を、障子を破いたネコみたいな顔で馬乗りになって見つめている。鍵、閉めてなかったっけか。


「なんか、別の女の匂いがするの」

「そうか?」

「小戌、昨日の夜どこに?」

「バイト」

「絶対に嘘なの。昨日の夜はどこにいたの?」


 体を離してベッドから出て、大きく伸びをしてからバスタオルと下着をタンスから取り出した。


「とにかく、外に出てくれ」

「イヤ」

「じゃあそこに座ってお茶でも飲んでてくれ」

「分かったの。でも、昨日のコト教えて」


 耳を塞いで、俺は浴場で服を脱ぎ冷たい水のシャワーで嫌な汗を流した。……正直なところ、あの夢を見た後で雪常が居てくれたのは少しだけありがたかった。ここが現実だって実感して、心臓を落ち着ける事が出来たから。


 濡れた床の上で体を拭き、下着を身に付けて外へ出る。当たり前のように洗濯機を覗いていた雪常をどかしてシャツを取り返し、放り込んで蓋を閉めて洗剤を注ぐ。時間は40分。干す時間を合わせれば、登校時間にちょうどいい。


「勘違いしないで。服の匂いは、洗剤が混ざってるから好きじゃないの。欲しくないから盗んだりしないの」

「いや、ジャージの前科があるじゃん」

「あれは……、小戌が悪い」


 どうやら、そう言う事らしい。普通に意味が分からなかったが、そっちに気を取られて夜の件は忘れてくれたみたいだ。性欲に素直で良かった。


「おにぎりと味噌汁、食べるか?」


 というか俺はおにぎりしか作れないし、味噌汁は即席のヤツだけど。


「あんなしょっぱいモノを食べてたら、頭がおかしくなるの。だから、くるりが持って来てあげたあ弁当を食べるの」

「マジかよ」


 既にテーブルの上にそれは並んでいた。小さなカニグラタンに、かに玉と、カニフライ。あと、カニの身とほうれん草を和えたヤツ。めちゃくちゃ美味そうだけど、いくら何でもカニが好きすぎだろ。


「上海ガニなの」

「どっちでもいいよ。これ、雪常が作ったのか」

「うん」

「へぇ、すげえな」

「当然なの。おままごとには、料理が付き物だから」


 そう言いつつ、彼女は年相応の幼い照れたような笑顔を浮かべた。これまでがこれまでだけに、逆に不気味だ。


 しかし、なるほど。性欲と匂いに執着する事と手段を一切選ばない事を除けば、雪常は中々に家庭的でいい女の子であるらしい。

 そんな事を考えてから制服を着て床に座り、「いただきます」と呟いてからカニフライに箸を伸ばした。


「……ンマーい」

「じゃあエロいことする?」

「しません」


 こんなにおいしいご飯を食べたのは随分と久しぶりの事だ。いつだったっけな。前に、歌舞伎町の公園で爺さんと一緒に食ったお好み焼きと同じくらいンマい。あれが世界で一番だと思ってたけど。


「いや、マジでンマかった。雪常、ありがとうな」

「何か見返りが欲しいの。エロいこ……」

「しない」


 弁当箱を洗って洗濯物を干してから、俺たちはフツーに部屋を出てフツーに廊下を歩いて出ていった。確実に誰かに声を掛けられるんじゃないかと思って警戒していたが、よく見ると廊下には何人も女子がいるではないか。今までは教科書を見ながら歩いていて全く気が付かなかったけど、この場所はこんな事になってたのか。


「ね?くるり、別におかしくないの」

「まぁ、そうみたいだな」


 そもそもこの状況が異常だ。……とは言いにくい。学内の無秩序の理由は、生徒の大半を凌ぐ戦闘教員が一様に強さ至上主義である為、嫌なら辞めろを地で行く教育を施しているトコロにある。だからイジメられるヤツが悪いし、盗まれるヤツが悪いし、負けたヤツが悪いと教えられるのだ。


 100年くらい前は、日本では「みんなが一等賞」だなんて教育をしてたらしいけど、きっとこの人たちはその反動で真逆に突き抜けてしまったんだと思う。それとも、普通の学校は今でもそのままなんだろうか。

 弱い奴は、FSUに入ることなんて出来ない。そんな事では、悪を裁く事など出来ない。それを聞けないなら、普通の生活を、普通の人たちと過ごせばいい。そんな考え方が、誰に言われなくとも学校全体からヒシヒシと伝わってくる。


 仕方がないとはいえ、俺はこの考え方が心の底から嫌いだ。


「……どうしたの?」

「いいや、なんでもない。それより、今日は現代文の小テストがあるんだってよ。ちょっと楽しみだな」

「まったく興味なんてないの。勉強のテストが楽しみな生徒なんて、全世界のファティマズ・アカデミーを探しても小戌だけなの」


 雪常は、持っているカバンをブラブラさせながら言った。


「だってさ、今日まで頑張ってきた勉強の成果が分かるんだぞ。俺、3割くらいは解けると嬉しいな〜」

「メンタルの割に、志が低すぎるの。テストは50点満点で、25点以下は赤点なの」

「赤点ってなに?」

「補習を受けるライン。いわゆる劣等ラインなの」

「へぇ、ミスったらもっと勉強させてくれんのか。最高じゃん」

「……小戌って、ちょっと頭がおかしいの」


 何か幻聴が聞こえたが、俺はマジでやる気だ。頑張って取り組むことにしよう。


 ……まぁ、頑張った結果、18点だったんですけどね。

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