第3話 俺は、好きな相手以外に絶対童貞を捧げないって決めてんだよ
「いい匂いなの。すんすん」
背筋にゾクリと悪寒が走る。この状況を理解出来なくて、というか理解したくなくて。だから整合性を考える前に雪常の小さな体を掴むと、引き剥がして後ずさった。
「い、いや。お前、何やってんだよ。匂いって、俺の事言ってたのか?」
「そうなの。小戌、いいって言ったの」
呼び捨てかよ。
いや、普通そうは思わないだろ。……と言いたいところだけど、それがまかり通っても不思議ではないのがこの学園の恐ろしいところ。
金持ちの家の変異人類は、『パラノイア』、所謂
つまり、妄想的で、独善的で、変態的で。そんなイカれた人格を持っていたとしても、変異人類的には何もおかしくないというワケ。
「帰れ。俺は、自分の体が他人の性欲を発する為に使われるなんてまっぴら御免だ」
「でも、いいって言ったの」
「撤回だバカヤロー。一人で慰めてスヤスヤ寝とけよ」
しかし、雪常はもう止まらなかった。ゾンビのようにゆらゆらと歩み寄ってくると、抱きつこうと手を伸ばして変に目を輝かせている。
「もう、我慢できないの。くるりは一週間も我慢したの。それに、誰も見てないの。小戌は助けてもらえないの」
……その点については、禿げ上がるくらいに同感だ。この世界で生きる上で、誰かに救いを求めること程バカげている事もない。ましてや、自分から変異人類の集まる場所へやって来て「襲われました、助けてください」だなんてまかり通るワケがない。
分かってる。この世はどこまで行っても弱肉強食だ。だからこそ、FSUがいる。だからこそ、この学校がある。
学校敷地内では、『強』の付く犯罪と殺し以外は社会科見学。悪を裁くには悪を知らなければならないから。校長が、確かそんな事を入学式で言っていたハズだ。マジで狂ってる。
だが、俺は勉強する覚悟を持ってここに来た。未来を探しにここに来た。これが静かに幸せに生きる為の試練だと言うのなら、絶対に乗り越えてみせる。
やってやろうじやねえか。
「とっ捕まえたら、どうするんだよ」
訊くと、雪常は頬を赤らめてから自分の胸を鷲掴みにして、上目遣いで俺を見た。
「喋らない小戌の首を髪の毛で絞めて、幸せの匂いを嗅ぐの」
「……そうかよ」
「トーストと目玉焼きは、夜に食べるの。一人エッチは、朝にするの。羊の夢を、お昼に見るの。だから、ベッドのお人形さんの中に小戌が欲しいの。大好きな匂いがするから」
気持ち悪い。聞かなきゃよかった。
「マトモじゃねえなぁ。どんな生き方をしてきたんだ、お前は」
「戦いごっこと、お勉強。でも、一番好きなのはおままごとなの」
「涙が出る」
それは、自分のこの境遇に対してか、彼女の人生に対してか。口にしながら考えたが、答えは見つからなかった。
「まぁ、細かい事はいいや。来なよ、やっつけてやる」
クイと、気取って手の平を曲げて悪魔を誘う。すると、彼女は心の底から嬉しそうに笑って、どこかから血の付いた包帯を巻いた
「武器使うのかよ」
「この形が、パラノイアに一番しっくりくるの。それに、戦いに綺麗ごとはいらない。能力に頼りすぎるとダメだって、パパが言ってたの」
流石、学年最強候補筆頭だと噂されるだけの事はある。抑えきれないパラノイア、変態的な性癖、手段を択ばない戦闘。どれを取っても、彼女が強いと言われる理由が分かる。
迫る最後の一歩で、雪常は踏み込んだ脚で地面を抉りカチあげるように鋏を
「……あれ、いつの間に」
白い顔のままで、振り返って俺を見る。
「【チャイルド・プレイ】は、相手を絶対に逃がさないの」
瞬間、彼女は得も言われぬ圧倒的な恐怖を纏った。なるほど、彼女の変異技能チャイルド・プレイは、相手の思考を自分のパラノイアに取り込んで、世界ごと飲み込んでしまうとんでもないモノのようだ。完全催眠より、更に厄介だ。
「早く、小戌も変異技能を使った方がいいの。くるりは、欲しい物の為なら丸腰の相手でも容赦はしないの」
「分かってるよ」
「分かってないの。……まぁ、いいや」
言って、雪常はチャイルド・プレイを発動させる。視界は揺らぎ、地面が崩壊していく。俺のパラノイアが見る見るうちに喰われていくのが、直感で解った。
「それじゃあ、貰うの」
「……【ヒート】」
息を止める。雪常が走る。背後には、いつの間にか深い闇。その底を、覗く事は叶わない。何かの手が、俺の肩を掴んで離さない。引きずり込もうと押さえつけ、目の前からは鋏が迫ってくる。これが、英才教育による最強の力ってワケか。
でも。
「だから、何だってんだ」
「……ッ!?」
俺は、肩を掴む手を引き剝がすと、雪常の鋏を蹴り落として腹に拳を叩き込んだ。
「か……はっ……」
めり込んだ拳を引き抜くと、彼女は俺のシャツの襟を掴んでから気絶して、もたれ掛かった。
「まぁ、そう言う事だ。悪いな」
聞こえていないだろうが、一応謝っておくのが筋ってモンだ。そんな事を考えてから売店の戸締りを済ませると、俺は彼女を担いで病室棟へと向かったのだった。
……病室に着いてから数時間、彼女はようやく目を覚ました。
「よぉ、気分はどうだ」
「……最悪なの。あんなの、聞いてないの」
「だって、言ってねえもん。まぁ、相手が悪かったな」
「自分で言わないで欲しいの」
病室棟は、24時間開放されている聖域だ。おまけに、どんな傷でも治すことが出来る神様みたいな医者が常駐しているため、生きている間にここに連れてくればオールオッケー。戦闘が合法とされているのは、ここの存在が大きいんだと思う。
「今、何時?」
「二時過ぎ。真夜中だな」
「待っててくれたの?」
「一応な。女ブチのめして放置だなんて、寝覚めが悪いし」
「考え方が100年は古いの」
「分かってるよ。でも、それが俺のやり方なんだよ」
「……変なの」
彼女は、未だに自分が負けた事を認められないようだった。
「どうやって、チャイルド・プレイから抜け出したの?」
「抜け出してねえよ。ただ、正面からぶん殴っただけ」
「めちゃくちゃなの。それだけでどうにかなるほど、くるりは弱くないの」
「仕方ねえだろ、どうにかなっちまったんだから」
言うと、雪常は俺をジトっと睨んでから、どさくさに紛れて抱き着いて首の匂いを嗅いだ。
「食べたい」
「直球過ぎるだろ。それにダメだ。俺は、好きな相手以外に絶対童貞を捧げないって決めてんだよ」
「前時代的過ぎるの。今時、小学生でもエッチくらいしてるの」
「知るか。他人と比べて自分を見失う事ほど、しょうもねえ事もねえよ」
つーか、こいつそんなに経験豊富なのか。
「ううん。くるりも処女なの」
「意味の分からんカミングアウトをやめろよ。びっくりするだろ」
「小戌だって、いきなりカミングアウトしたの。それに、くるりは他人に流されてなんかない。小戌の匂いが好きだから、欲しいって思ったの」
唇を首筋に這わせたのを感じて、俺は悪寒を抑えながら彼女の体から離れた。
「まぁ、問題ないなら帰るぜ。夜が明けたら、技能テストだ」
「本当は、どうやって抜け出したの?小戌は、どんな変異技能を持ってるの?」
「マジでぶん殴っただけだ。正体は、明日には分かるさ」
「ズルい」
「……じゃあな」
言って、パタリと扉を閉める。最後にもう一度だけズルいと聞こえたが、その言葉だけは誉め言葉として受け取っておく事にした。
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