生意気女の憂鬱な一日

 殺す。殺す。殺す。


 絶対にぶっ殺します。


 アタシは呪詛の念を心で呟きながら、リビングのテーブルにナシンゴの実を並べました。


 ナシンゴは強い甘味と微かな酸味が人気の果実。

 安価で一般に広く流通してます。


 キッチンに置いてあったので持ってきました。


 これで朝食の準備は終わりです。

 あの腐れ外道なド変態を起こさないといけません。


 ホントに忌々しい……!


 下腹に刻まれた紋様を睨みつけます。


 アタシの美しい肌に、よくもこんな品性の欠片も無いもの刻んでくれましたね。


 なんですかこのハートマーク。

 まるでアタシがエイザークの所有物みたいです。


「くっ……」


 腹立たしくて仕方ないですが、このハート。まさしく呪いの紋様でした。

 恐ろしくてたまらない。


 たとえば。


 死ねエイザーク。

 三流魔術師のド変態。いつか殺してやる。


 こんな風に心で思う分には問題ありません。


 でもこれを、ひとたび口にしようものなら。


「死ねエイザ――あっ!? はぐぅ――~~ッ!?」


 ハートの紋様が光り、ものすごい熱を持ってジンジンと疼きます。

 体験したことのない感覚で例えるのも難しい。


 下腹の内部をぐちゃぐちゃに混ぜられるような、そんな刺激に延々と襲われて。


「ハァー……ハァー……」


 息苦しくて、汗が吹き出して、涙が出て……足もガクガク震えて立っていることさえままならない。


 ソファにぐったりと伏せます。


 こんなおぞましい刺激。

 痛いとか、そういう系統の方がよっぽどマシ。


 きっとアタシの悶える姿を見て、いかがわしい妄想に耽っているんでしょ? エイザーク。

 アイツはケダモノです。


「変態エイザ――んああ!? ――~~~~ッ!!?」


 ダメ、声出ちゃいます!

 ちょっと試しにもう一度やっただけなんですが、やっぱりこれ危険な――あっ失禁しちゃぅ――


「さっきから何をやってるんだおまえは」


「はひぃッ!?」


 ソファから慌てて顔を上げました。

 知らずに垂れていた唾液をごしごし拭きます。


「起こせと言ったのに、もうとっくに朝だろうが。朝食の準備はできているのか?」


「ハァ……ハァ……ちょ、朝食ならテーブルに」


 しかめ面のエイザークがテーブルに向かいます。

 アタシが用意したナシンゴの実を見て、深く息なんか吐いちゃってます。


「これが料理だと。実をそのまま出しただけにしか見えんぞ」


「だ、だって、材料が」


「次からあらかじめ食材を買っておけ。請求書をよこせば金は出してやる」


「……わかり、ました」


「はぁ。もういい、早くテーブルにつけ」


「はい……師匠」


 魔術の腕は三流のくせして文句だけは一人前。

 くそですね。


 アタシはエイザークと同じテーブルについて、ナシンゴの実をシャクシャク食べました。


 甘い。けど生ぬるい。

 自分で用意したとはいえ、ぜんぜん物足りない。


 対面のエイザークは実をすべて平らげると、席を立ちます。


「ごちそうさま。今日は寝室で読書をする。おまえも昼は好きにしろ」


「え……はい!」


 我ながら声が弾みました。




 嬉しい。嬉しい。


 だってやっと鬼畜魔術師と離れられるんです。

 自然と笑みもこぼれます。


 いつもの格好で外に飛び出したアタシですが、ふとローブの中を覗き込みました。


 よくよく考えれば、もうソルみたいなド変態の好む格好をしなくていいんです。


 新しい服が欲しい。

 心底から思います。


 ただパーティーで貯め込んだお金は、ディンとソルに持ち逃げされてしまいました。

 手持ちは心もとない。


 というわけで冒険者ギルドに向かいます。

 無いなら稼げばいいんです。


 なんたってアタシは元“金鷲”の冒険者。

 人呼んで【雷光】シエラ。




「あっ!? てめぇこないだの美人局女だろ!?」


「なんのことですか知りません」


 絡んでくる酔っぱらいオヤジをあしらいつつ、中央に貼り出された依頼書へ目を通します。


 エイザークの命令で夕方には戻らないと。

 あまり遠出はできません。


「おい女! おまえ噂じゃエイザークの家に転がりこんでんだってな!? 奴とグルだったのか!? エイザークの女かおまえ!」


「は? 誰があんな――」


 いや、ダメダメダメ。

 こんな場所で紋様が発動しちゃったら、シャレになりません。


 アイツを悪く言うわけにはいかない。


「エイ……し、師匠とは、そんな関係じゃないですよ~あは。アタシはその、ただの、弟子で」


「師匠と弟子? 完全にグルじゃねえかよ! 腹に下品なタトゥー入れやがって、エイザークの女ですってマーキングかそりゃ?」


「ぐ……ぐぬ……ッ」


 この上ない屈辱。

 だけどエイザークを悪く言えない。


 このときのアタシは、相反する感情に頭がどうにかなりそうでした。

 だからつい、溜まった不満がおかしな方向に爆発してしまいます。


「はあ? いい加減にしてくれますかあんな男♡ アイツはただのクズです♡ めちゃくちゃ大キライなんですアタシ♡ こんなハート勝手に刻まれて、殺したいくらい憎んでるんです♡」


 言ってしまった――と、身構えます。


 でも、紋様は発動しませんでした。


 なぜでしょう。

 憎しみと、媚びなきゃという思いが混じり合ってしまったんですが……


 もしかしてこんな風な言い方をすれば、悪口とは認識されない?


 これは新たな発見です。


「……気持ち悪い猫なで声出してなんだそりゃ? 嬢ちゃんが奴の女だってのはもうわかったよ。……アホらし」


 酔っぱらいオヤジの勘違いは解消できませんでしたが、これ以上話しても墓穴を掘るだけ。


 アタシは依頼書をカウンターに提出します。


「はい確認します。あの、お客様はソロですか?」


「そうですが。元“金鷲”の冒険者ですから、問題はありません」


“金鷲”を強調して、胸のバッジを指さしながら受付の真面目ぶった女に伝えました。


「わ、わかりました。ええと、それでは場所と内容の確認から――」


 称号はパーティー単位で与えられるもの。


 なのでアタシは“金鷲”ではなくなりましたが、バッジを剥奪されたりはしないので証明は容易い。


 思い返せばアイツらは足手まといでしかなかったんで、むしろ清々してます。


 今日から【雷光】シエラの新たな伝説です。



◇◇◇



「ハァー……ハァー……ハァー……」


「お、お疲れ様でした。こちら報酬になります」


 アタシは銀貨一枚を握りしめて、ギルドを後にします。


 依頼は海岸に繁殖した害獣の駆除でした。


“マガヤドガニ”という硬い甲殻を持つ、アタシの腰くらいまで背丈のあるカニが、砂浜にうじゃうじゃいました。


 魚を食べてしまうこいつらは、増えすぎると漁師に深刻なダメージを与えるそうです。


 慣れない砂浜に足を取られるし、害獣の数が多いしでとにかく最悪でした。

 潮風で髪も軋んじゃってます。


 疲労困憊ですが、もう日は落ちかけてます。

 急いで買い物をして家に走りました。




「ハア、ハア、ハア」


 やっと家に戻ったときには汗まみれです。

 今すぐお風呂に入りたい。


 でも腐れ魔術師の言いつけは、なんとしても守らなければいけません。


 ローブを脱ぎ捨てキッチンに立ったアタシは、肉と野菜をぶつ切りにして鍋に放りました。

 味付けはそこらにあった調味料を適当に。


 料理ってこんな感じですよね、きっと。


 思いのほか早く完成したものを皿に盛りつけて、エイザークを呼びます。


「そうか、ご苦労」


 偉そうにそんな言葉をよこして、仏頂面はテーブルにつきました。


「どうした? おまえも座れ」


「は、はい」


 アタシが初めて作った、スープみたいなものに口をつけるエイザーク。

 ちょっぴり緊張しちゃうのはなぜですかね。


「……おい。ひどい味だぞ、食ってみろ」


 開口一番ヒドい台詞です。


 ですがスープはホントにヒドい味でした。


 まあ、仕方ないですよね。

 料理なんて生まれてこの方したことないんです。


 アタシが作ったってだけで、男にとっては価値あるもののはず。

 それをコイツは。


「せっかく作ったのに文句ばかりですね♡ 味覚、死んじゃってるんじゃないですか♡」


 紋様の抜け穴を駆使して、お返しとばかり堂々と媚び媚びの声で非難してやりました。


 エイザークは少し驚いたように目を開きますが、すぐにやれやれと首を振ります。


「はぁ……ごちそうさま。オレは風呂に入ったら寝る。おまえも食器を片付けたら、風呂なり入って休んでいいぞ」


 席を立ってリビングを出ていくエイザーク。


 アタシのお皿にはほぼ手つかずのスープが残ってますが、アイツのお皿は空になってます。


 なんか胸がモヤモヤします。


 食器を片付け、お風呂が空くまでとソファへ横になりました。


 久々に魔術を使って少し疲れましたかね。

 明日は服を買いに行きましょうか。


 一日を振り返ったり、明日の予定を考えたりしていると、うとうと目が閉じてきました。


 ……料理か。


 眠ってしまう寸前、ふと思い出します。


「あ……明日の……」


 そういえば朝食の食材、買うの忘れてました。

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