二枚舌の噂

 アタシはこの日、初めて絶望を知りました。


「なんで……なんで、こんなことに――」


 これまでは順調だったはずなんです。


 思い返せば、アイツと出会ってから全てが狂ってしまったんじゃないですか?

 きっとそうに違いない。


 アイツ……あの魔術師を騙る役立たず。

 エイザーク。



◇◇◇



 魔術師は子供の頃からずっと憧れでした。

 そしてアタシには才能もあった。


 パパにお願いして入れてもらった魔術学校も飛び級で卒業。

 成績も首席から落ちたことなんて、ただの一度もなかったです。


 魔術の威力を試したくて、さっそく冒険者ギルドに登録したことを昨日のように覚えてます。


 あの頃は毎日が楽しかった!


 アタシの行使した魔術が魔物を燃やす。

 心臓を穿つ。

 四肢を斬り裂く。


 そうするとみーんなチヤホヤしてくれるんです。

 魔術師はアタシの天職だと確信。


 でもすぐに周りのレベルの低さに嫌気がさして、自分だけのパーティーを作ろうと決心したんです。



 剣士のディンは、たまたま訪れた小さな町のギルドで、ちょっと声をかけたら二つ返事でついてきちゃいました。


 田舎の力自慢といった感じで、知性のヒラメキなんて期待できない愚者。

 けど直情的ですごく扱いやすい。


 童貞特有のねちっこい、舐め回すような視線は気持ち悪くって仕方ないですが、なんでも言うことを聞いてくれるところだけは好き。


 彼には、有り金の全てを使わせた大剣に“風”の術式を付与してやりました。

 脳筋もちょっとはマシになるでしょ?



 ユディール帝国の弓兵だったソル。

 名家の生まれな彼は、人にはとても言えない恥ずかしい趣味を持っちゃってました。


 うえーって吐き気するほど気持ち悪いそのネタで脅したら、簡単に言うことを聞いてくれましたね。


 でもあまり押さえつけて逆上されても困るので、アタシは彼の趣味にそったこんな恥ずかしい格好をしてあげてるんです。


 彼はもう、アタシなしだと生きていけないんじゃないですかね。

 唯一褒められるのは、アタシのために家宝の弓まで持ち出しちゃう頭の悪さ。



 元僧侶のハイマンは人格者。


 は? ないない。

 三人の中で一番欲望だだ漏れで、隙があればすぐアタシと二人きりになろうとしてきます。


“アナタとの子供がほしい♡”なんて言ったのはホント間違いでした。

 おかげでアタシは日々貞操を守るのに必死。

 元僧侶を名乗ることが神への冒涜にも等しいコイツには、マジで良いところひとつもありません。


 ちなみに彼の手甲には、最初から“土”の術式が付与されてたんですが何者なんでしょうか?

 一ミリも興味ないですけど。



 アタシのために作ったこのパーティーは、瞬く間に一級冒険者の証「金鷲」の称号を獲得しました。


 報酬で魔術書を買い漁り、ますます魔術にのめり込んでいったアタシは、ついに無詠唱魔術まで会得しちゃったんです。

 天才のサガってやつですかね。


【雷光】なんて二つ名を貰って、ノリにノっていたアタシは“火竜の魔術”なんてものを耳にします。


 火竜が眠るというガンボル火山、ふもとの町。

 そこであの男に出会うんです。


 エイザーク。


 彼は品の良いローブを着こなし、アタシより長い黒髪を後頭部で結っていました。

 清潔感は合格。

 顔は、まー……んー……まあまあ。


 アタシは彼に興味が湧きます。


 男なんて、少し肌を見せて甘い言葉をささやけば簡単に言うことを聞いてくれます。

 他とはちょっとだけ違う雰囲気を感じましたが、エイザークも大差ありません。


 だっておっぱいをアイツの胸に押しつけたとき、どくどくっ♡ て鼓動が速まってましたから。

 ホントちょっろい。


 魔術学校のビッチは“女は胸の大きさだ”なんて力説してましたが、アタシはぜんぜんそう思わない。

 お尻でも太ももでも、男が好きな女の部位なんていっぱいあるんです。


 他でもないアタシが証明してきましたからね。


 あのビッチがろくに魔術も扱えなかったのは胸に栄養取られ過ぎたからに決まってる。

 雑魚ですマジ雑魚。

 そもそも小さい胸が好きな男だっていますし、大きいのより感度だって――


 ……ともかく、エイザークにただならぬ風格を見出だしたアタシは彼をパーティーに引き入れました。


 でも、これが失敗だった。


 エイザークは魔術師の風上にも置けないクソ雑魚でした。

 無詠唱は使えない。

 最低限の体力すらない。

 なんの詠唱だか知りませんが、戦闘中はぶつぶつ呟くだけという体たらく。


 死んでください。


 存分に尊厳を踏みにじって、早々に捨ててやりましたが気分は晴れません。

 だって、パーティーメンバーのアタシに対する目に不信の色が浮かんでました。


 こんなことなら、エイザークに色目なんか使わなければよかった。

 アイツはお荷物以下です。


 ホント死ね。


 というか現状を考えればアレはまさに、死神みたいな男だったんじゃないかと思わされます。

 きっと、アタシの幸運を全部アイツが吸い取っていったんだ。


 だってどうすればいいんですか? これ――



◇◇◇



 火口の溶岩をボトボト落としながら、“火竜”は空へ飛び上がりました。


 巨大な体躯が太陽をすっぽり隠し、アタシ達に濃い影を落とします。


「なんだよ……あれ」


 ディンを始めパーティーメンバーが空をぼんやり見上げています。

 命の危機すら察知できないんでしょうか?


「“水弾ウォル”ッ!」


 アタシはすぐに水魔術を無詠唱で放ちました。

“火竜”であるならば、と知的に推察して火と反対の属性をぶつけたんです。


 なのに水弾は火竜へと届く前に、空しく蒸発してしまいます。

 火竜は炎の領域に包まれているようです。


“レジスト”ってやつです多分。

 そんなの伝説級の魔神や神聖獣が持つって噂を、小耳に挟んだことくらいしかありません。


 火竜は凶悪な大口を覗かせて咆哮します。

 すると、見たこともない術式が火竜の眼前に出現しました。


 まさか、あれが火竜の魔術――


「シエラ伏せてっ!」


 ソルに勢いよく組み敷かれてしまいます。


 空から無数に降ってくる隕石みたいな火炎弾。

 あれに比べたら、アタシの水弾なんておもちゃみたいなもんです。


「離してくださいッ!!」


 地面に伏せて、あれをどう防げと言うんですか?

 あとどさくさで変なトコ触るなっ。


 アタシはソルの顎を蹴っ飛ばします。


「うおお疾風斬りぃぃぃッッ!!」


「くそっ! 墜ちろっ! 墜ちろッ!!」


 火竜が滑空してきたときに叩き込む、ディンの渾身の一撃も鱗すら剥げません。

 ソルの矢はアタシの魔術と同様に、火竜へ届く以前に燃え溶けてしまいます。


 ハイマンに至っては、


「シエラ殿! 拙僧と共に逃げ、子を成そう!!」


 なんて言い出す始末。


 バカなんですか?

 性欲しかないんですか?

 火炎弾が間断なく降り注いでるんですよ?


 せめてアタシの盾になれクズ僧侶っ!



 もう……ダメだ。


 アタシは両手を下ろしました。

 生まれて初めての絶望です。

 死を覚悟していたかもしれません。


 それもこれも、ぜーんぶエイザークのせいです。

 アイツさえいなければ、きっと、絶対こんなことにはならなかったんです。


 アタシはミスをしてない。

 だから誰がなんと言おうと悪いのはエイザーク。


 威風堂々と空を駆ける火竜を、空虚な心で眺めていたその時でした。


 カッと激しい閃光が走ったかと思えば、火竜の真上にものすごい大きさの炎の球体が現れたんです。

 一瞬だけ術式が展開されるのを見た気がします。


 でもこんな、極大の魔術なんてあり得ない。

 あるとすれば高位を超えた、超高位魔術――


 太陽よりも強い輝きを持った大火球は、レジストすら打ち消して火竜を押し潰していきます。

 耳をつんざく断末魔の咆哮。


 真っ赤に燃えた火竜が、空中でバラバラと散っていく様は、とても綺麗に映りました。


 火竜が消滅したあとも、アタシはずっと子供みたいに空を見てた。


 いつまでもずっと。



◇◇◇



 アタシ達は満身創痍で下山しました。

 魔力も尽き、足もガクガクで、そんな状態でもアタシを抱きかかえようとしてくるハイマンだけは拒絶し続けます。


「……シエラ、鼻水出てるよ?」


「うるさいっ!」


 気付けば涙がぽろぽろ流れて止まらない。


 怖かった。

 死んだと思った。

 自慢の魔術も、コイツらも、なんの役にも立たなかった。


 様々な感情が涙になって溢れたんです。

 鼻水は決して出てません。


 やがて、アタシ達はガンボル火山のふもとの町まで戻ってきました。

 ようやく生の喜びを実感します。


 形はどうあれ生き残った。

 あの大火球がなんなのかはわかりませんが、火竜がアタシ達の目の前で消滅したのは事実です。


 だからギルドに向かい、こう報告します。


“伝説の火竜をアタシ達が倒しました”って。


 ギルドの女は、眼鏡を持ち上げると怪訝な表情でこっちを見てきます。


「……おかしいですね、火竜の件は酒場のご主人からうかがっています。“名もわからない一人の魔術師”が倒したと、彼はおっしゃっていましたが」


「魔術師……」


 ということは、やっぱり火竜を撃ち倒したあの大火球は魔術だった?

 いったいどんな魔術師が。


 できれば師事したい。

 そのためなら、大事に守ってきたアタシの貞操をその魔術師に捧げてもかまわない。


 まだ見ぬ大魔術師に思いを馳せます。


 ただ、それはそれとして。


「おいおい、冒険者が他人の手柄を横取りか? ご法度だろ! 恥を知れ!」


 そうです、ついうっかり越えてはならないラインを踏んじゃってました。

 その場にいた冒険者達に囃し立てられ、熱くなった顔を俯かせるしかありません。


「おいシエラ、も、もう出ようぜ?」


 ディンに促されて踵を返しましたが、ふと気になることがあったんで恥を忍んで尋ねます。


「エイザークという魔術師を知りませんか?」


 下山のときに彼の姿は見なかった。

 サラマンダーに喰われたんだったら嬉しい。


「あん? エイザークつったら【二枚舌】のことじゃろ?」


 答えたのは隅っこで酒を飲んでいたジジイ。

 彼も魔術師みたいです。


「二枚舌?」


「お嬢ちゃん魔術師のくせに【二枚舌】を知らんのか? 奴の通り名じゃよ。奴ならさっきギルドに来て“ひどい冒険者パーティーがいた、金鷲の称号を剥奪しろ”って喚いとったぞ」


 ひどい冒険者パーティー。

 誰のことでしょうか? わかりませんが、アイツをぶっ殺してやりたくなりました。


 ソルも憤りを隠せません。


「なんだよ【二枚舌】って! ようするに言うことがコロコロ変わる嘘つき野郎ってことだろ? そんな奴を信じるなよみんな!」


「奴が言ったひどい冒険者パーティーというのが、人の功績を盗もうとしたお前さんらのことだとすれば……ふむ、あながち間違ってないんじゃないか? ホッホ」


 ジジイの言葉にまたギルド内が沸き立ちました。

 薄汚い木っ端な冒険者達は手を振り上げ、“帰れ”“帰れ”と連呼してきます。


 ……なるほど。

 いかにもな“出来る魔術師”を装って人を騙し、パーティーに取り入る【二枚舌】のエイザーク。


 下衆を泥水にぶち込んだような男ですね。


「……そのエイザークは、どこに?」


 屈辱に耐えつつなんとか言葉を絞り出すと、ジジイは目を細めて気味の悪い笑みを浮かべました。


「さぁなぁ……じゃが奴の棲み家はアラキナ王国の王都じゃ。帰ったんじゃないかの」


 それだけ聞き出すと、アタシ達は急いでギルドを後にします。

 待たせていた馬車に無言で乗り込めば、ディン達もそそくさ乗ってきます。


 ねえ、エイザーク。

 アナタに言われた言葉を忘れてませんよ?


 アナタはアタシに魔術の美学を説こうとした。

 それはつまりアタシの魔術が美しくないと、稚拙だとバカにしたんですよね?


 胸の奥に、ふつふつ込み上がってくる熱いものを感じます。


「……行ってください」


「ど、どちらへ?」


「“アラキナの王都”へ」


 そう御者に告げました。


 自慢の【二枚舌】を引っこ抜いてあげますね。

 今から楽しみにしちゃいます、アタシ。

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