第23話 誕生・統一朝鮮民主主義共和国

 ━━2035年11月4日午後6時15分(アメリカ合衆国・東部標準時)

 ━━2035年11月5日午前8時15分(平壌・統一朝鮮標準時)


(奴らの動揺は笑えるほどだった)


 統一朝鮮政府首相・崔建龍チェ・ゴンリョンは昨日のことのように思い出す。


 第2次朝鮮戦争最終局面で韓国へ4発の水爆が打ち込まれた翌日、それまで無条件降伏を迫っていたはずの大韓民国政府は態度を180度変えて、全面停戦を申し入れてきた。

 半年前に就任したばかりの新大統領は国民へ向けて、そして全世界へ向けて放送を行った。


 ━━『北朝鮮は最後の悪あがきとして、悪魔の兵器である核を発射した……我々の迎撃態勢と迅速な救助によって、損害は軽微である』

 ━━『しかし、我が政府は大いなる慈愛と民族協調の精神にのっとり、交渉における提案内容を変更することにした』


 変更された提案内容。

 それは占領地からの韓国軍即時撤退と北朝鮮の体制保証、そして巨額の経済援助の確約というものだった。


 まさに180度の方針転換である。核の打撃と300万人の死傷者にはそれほどの威力があった。


(叔父はよく言っていたものだ……)


 人民軍の次帥である崔建龍チェ・ゴンリョンの叔父は、その申し入れが平壌へ届いた時、政府・軍首脳と会議中だったという。

 韓国の全面敗北。そう判断してよい内容だった。

 核というジョーカーによって、すべての戦局をひっくり返した。首脳の中には快哉を叫ぶ者も多かったという。


 だが、偉大なる民族の首領・金正恩だけは違っていた。

 その表情に満ちていたものは。


(首領様が『南』の方針転換を聞いたときの顔は……心底からの侮蔑……もっとも汚らしいものを見る時のようだった……叔父はそう言っていた……)


 そして金正恩はひどく淡々とした表情で、朝ロ国境のミサイル部隊に対して残存するミサイルの発射を命じたという。

 そこまでしなくてもいいのではないかと止める者もいたというが、金正恩は無言で首を振ったという。


(この時、奴ら『南』の歴史は終わった)


 追加指令が国境地帯の弾道ミサイル部隊に飛び、空中で威圧行動をとるロシア空軍にも構うことなく、残存したすべての核ミサイルが発射された。

 それは水爆弾頭が迎撃された時のために準備されていた、旧タイプの強化型原爆弾頭である。


 目標はソウル集中。発射数は8発。

 核出力は一発あたりせいぜい40キロトンほどである。だが、まるで多弾頭搭載MIRVミサイルが円心状に弾頭をばらまくように、ソウル首都圏を八方から包み込んだ原子爆弾の炸裂は、大統領官邸をはじめとして首都圏の600万人を焼き尽くした。


 ━━『敵に甘える愚か者どもめ』

 ━━『戦うならば何百万殺されようとも戦い抜いてみせろ』


 金正恩の声は震えていたという。その表情は岩のように硬かったという。

 だが、その頬には白頭山の飛竜瀑布よりも激しく涙が流れていたという。


 かくして4年にも及んだ第2次朝鮮戦争の最終局面、首都・平壌ピョンヤン近郊まで迫られ無条件降伏を突きつけられた北朝鮮は、ついに最終兵器を発動した。


 原水爆あわせて総計12発の核弾頭が大韓民国領内に降りそそぎ、大統領をはじめとした900万人近い人々が国力から消え去った事実は━━同時に第2次世界大戦以降、最後まで残存した民族分断が消滅した瞬間でもあった。


(そうとも。分断は遂に消えた。

 日帝強占期最後の遺産がなくなった。冷戦構造の残滓が消失した。

 この朝鮮半島におけるあらゆる『歪み』の象徴として存在し続けた『南』は……我々『北』が忍耐と努力を重ねて開発した『民族の核』によって崩壊したのだ)


 崔建龍チェ・ゴンリョンはその瞬間を悲劇ではなく、栄光の時として今も色鮮やかに記憶している。


 北朝鮮人民は驚喜した。だが、それ以上に全世界は戦慄とした。

 大韓民国軍の『ミサイル狩り』を逃れた核が残存していると警告する者は確かにいたが、これほどの物量で、そして徹底的な報復を加えると予想した者は誰もいなかったのである。


 ━━北朝鮮が持つ最後の核は平壌に保管されており、いざという時はそれで自爆するつもりだ。

 ━━韓国領内に密かに運び込まれた核があり、取引材料として交渉を続けているのだ。


 そんな珍説が説得力をもって広まっていたほどだったのだ。


(現実はそんな妄言を一蹴した。

 諦めの悪い反逆者のむなしい蠢動しゅんどうもすぐに潰えた)


 しばらくすると、わずかに残存した韓国政府の高官たちが後継政府を僭称する動きが出た。

 国際会議の場でおこがましくも『大韓民国・後継大統領』を名乗った者が、米国に対して支援と軍事介入を呼びかけたこともあった。


 だが、よりによって同胞に対して核兵器を撃ち込んだ専制王朝へ手出ししようと考える国はいなかった。

 米国、欧州諸国、そして日本や中国ロシアですらも金正恩の恐るべき決断に震え上がり、わずか1週間後には「朝鮮半島唯一の国家」としての『北』を承認したのである。


 そこからの日々は『南』の民衆にとって地獄であった。

 多くの大都市は核に焼き尽くされており、医療体制は崩壊していた。


 進駐してくる北朝鮮軍から逃れるために脱出しようにも、季節は冬。

 海は荒れ、日本を中心とした隣国の警戒態勢はきわめて厳しく、第1次朝鮮戦争のようにどさくさに紛れた外国への流入は不可能だった。


 唯一、無傷であった南方のリゾート地・済州島へ亡命政権を樹立を移転する動きがあったものの、中国・ロシア海軍の艦隊が包囲し分離主義者へ強圧を加えた。


 対馬には健気にもレジャーボートで脱出した釜山市民が何百何千人と到達したが、日本は一切の慈悲を加えず強制送還した。

 それは軍事衝突を経験するほどに悪化していた日韓関係の『ツケ』そのものであった。


 国際的な航空物流の拠点であった仁川は『外国人避難聖域』とされたこともあり核攻撃を免れていたが、民間機に乗り込んで侵入した人民解放軍部隊に空港一帯が占拠される始末であった。

 もっとも占拠状態は中国人民と貨物の保護が一段落した後、平和裏に解消されている。


 ともあれ、大韓民国は『北』による核攻撃をもって消滅した。

 残されたのは放射能汚染を伴った大地と、核のトラウマを植え付けられた数千万の民衆である。


 さらには━━


(核の打撃を受けてもなお……)


『北』から見れば、巨大極まりないといえる『南』の経済産業構造が残っていた。

 無数の工場。整備された物流インフラ。膨大な民生技術。

 そして、高度な教育を受けた大量の人材。


 それらを一夜にして手に入れた『北』は『統一朝鮮民主主義共和国』を名乗り、国際社会20位圏内の強国として生まれ変わることになる。


(念願の民族統一。

 悲願の核強国。

 宿願の強盛大国だった)


 だが、彼ら朝鮮民族のうち、誰が知っていたであろう。

 その栄光は恐るべき転落と屈辱の始まりにすぎなかったことを。

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