第11話
太陽が昇り、魔王の間に光が差し込む。黒い外壁とは違い、白亜の空間には神聖な空気が漂っていた。魔王の力によって城は結界に包み込まれ何者も立ち入れぬようになっている。風の音すらしない静寂の間で魔王が耳を澄ましていると、カツンと靴の音が反響した。
「お待たせしました」
声の方へ視線をずらせば、出会った時に纏っていた白い法衣ドレス姿の聖女が微笑んでいた。聖なる力を高めるためのドレスは彼女を輝かせており、それを魔王は目を細めて見た。
「綺麗だな……一年前が懐かしい」
「そうですね。これは一年前のやり直しです」
魔王が差し出した手のひらに、聖女の手が乗る。二人は頷き合い、ゆっくりと歩調を合わせて赤い絨毯の上を進んでいく。玉座の前にたどり着けば、顔を合わせ、額を重ねた。
「汝、いかなる時も夫となる我に全てを捧げよ。であれば我はそなたを妻としてむかえ、そなただけを愛そう。誓えるか」
「はい。私は魔王様を唯一の相手とし、この力を愛する夫に捧げましょう」
互いに包み込むように抱き締め合い、声を重ねた。
「「神の前に愛の誓約を」」
一年遅れの結婚式だった。場所は教会でなかれば、司祭の立ち会いもない。作法は人族でも魔族のものでもない、ふたりだけの簡単なやり方だ。この時初めて本当の夫婦になれた気持ちはふたりの心を満たし、覚悟を後押しした。
今は静かな城内だが、外では魔王討伐隊が結界を破ろうと魔法をぶつけていた。魔王との直接対決のため聖騎士の力は温存しているようだが、これ以上長引けば聖なる力が結界を破るだろう。もう時間は残されていなかった。
たった数分の幸せを噛みしめ聖女は指先で魔王の輪郭をなぞり、角を撫で、最後の温もりを感じようと手で顔を包み込んだ。魔王は目を瞑り、その時を待つ。
「聖女レティシアの名のもとに魔王様に救済を与えましょう。宜しいですね?」
「あぁ、どうか我に救いを」
高められた聖なる魔力によって聖女の姿から光が溢れた。そして聖女は瞳を閉じて、魔王の顔を引き寄せ唇を重ねた。
「――っ」
口から聖女の力が流れ込み、痛みを覚悟して魔王は体を強張らせた。しかし過去に経験した焼けるような熱さはない。優しく柔らかい温もりが内から全身に広がっていった。
――あぁ、これが救いか。
確実に体の感覚がなくなっていくのを感じながら 、最後の後悔が生まれる。
――この温もりを……もっと聖女の温もりを感じていたい。惜しい……聖女が我の手に感じられなくなるのが!
魔王は僅かに残った感覚をかき集めて聖女を強く抱き締めた。消えゆく意識を集中させ、小さく強い己の希望の光を死後も忘れるよう想いを込めて抱き締めた。
聖女はありったけの力を魔王に注いだ。できるだけ痛みがないよう短時間で済むように。今までの苦悩や罪から解き放たれるように。魔王が救われるために愛を込めた。
魔王に強く抱き締めつけられ苦しかった体が少しずつ楽になっている。それに反して、心の痛みは増していく。だけど魔王に全てを捧げ救済すると決めた聖女の情緒が、彼女を突き動かす。
――ありがとう魔王様。安らかにお休みください。これからはあなた様のために、あなた様の存在があらんことを……
聖女は唇の温もりが消えるまで、愛を捧げ続けた。
**
しびれを切らした聖騎士が結界を破ろうとした刹那、突如として行く手を阻んでいた結界が割れた。術者が自ら消したのではなく、強制的に破られたような光景に魔王討伐軍は呆然とした。
「しっかりしろ!先にいけば原因がわかる。魔王を探すのだ」
聖騎士の団長の一喝で討伐軍は動揺しながらも先へと進む。中は魔族がひとりもおらず、魔獣など生き物の気配すら皆無。下の階から一部屋ずつ潰していくが、魔王の間もどこも確認するがもぬけの殻。最後は塔の最上階のみ。以上な静けさに警戒しながら上を目指した。
聖騎士団長を先頭に階段を慎重に進んでいく。階段の終わりを知らせるように上から外の光が差し込み、視界が徐々に明るくなっていく。そしてひとりの人影を見て息を飲んだ。
――天使?
目を疑い一度強く瞑り、再び開ける。そこには天使ではなく純白の衣を纏い、蜂蜜色の髪を風になびかせ空を眺めている見覚えのある女性の背中姿だった。季節外れの白鳥でも飛んでいたのか……白い羽が聖女の周囲を舞っていた。
聖騎士たちの気配に気付いた聖女は振り向いた。背に太陽の輝きを受けた聖女の姿は神々しく、聖騎士たちは言葉を求めるように自然とその場で膝をつき頭を垂れた。それを見て聖女は誰もが見惚れるような美しい微笑みを浮かべた。
「魔王はこの手で葬り去りました。ここまで大変だったでしょう。皆様、お迎えご苦労様です」
「聖女様が魔王を?」
「これを見ても疑いますか?」
聖女が両手を広げて拳ほどの大きさの石を見せた。魔王の瞳と同じ鮮血色の石に聖騎士たちは込み上げる感情に体を震わした。
魔族の心臓と呼ばれる『魔石』は魔力が強ければ強いほど濃い色示す。過去に魔王幹部から取り出した魔石を聖堂の保管庫で見たことがあったが、聖女の手にある魔石は群を抜いて濃い色を示していた。
間違いなく『魔王の心臓』であることに、聖騎士たちは人族の勝利を確信し静かに歓喜したのだ。
瞳を輝かせる聖騎士たちの反応に聖女は冷静な眼差しを向け、宣言した。
「私はアルムテイル神聖国には帰りません。魔王を殺した聖女に復讐しようと、いつ魔族が戻ってくるか分かりません。民を巻き込まないためにも、私は魔王の心臓を囮に、ここ旧魔王城にてひとりで生涯を終えます」
不安の色を全く見せない微笑みを聖女は浮かべていた。恐怖など一切なく、運命を受け入れ、ひとりで業を背負う姿に聖騎士たちは再び頭を垂れた。
「聖女様の意のままに――」
聖女は魔王と打ち合わせをした通りに聖騎士団長たちに経緯を説明をした。
魔王は式典での怒りを眷属にぶつけはじめ、魔族は魔王城から逃げ散った。最後は魔王が執着していた聖女と側近のフレミーだけが残り、魔王がひとりになった隙を狙い聖なる力で魔王を滅ぼした。それに気づいたフレミーが魔王の遺灰をかき集め塔から逃亡。聖女はフレミーを追いかけ魔石は奪還できたものの、取り逃がしたと説明した。
その説明をしている間に周囲を警戒していた騎士から「森の奥から強い瘴気が生まれている」と報告が入った。聖女はそれにも極めて冷静に判断を下し、瘴気が広がらないよう魔王城を拠点に聖なる力で祓うと申し出た。その説明はアルムテイル神聖国に持ち帰られ、聖女は世界の英雄となった。
世界は魔王討伐に歓喜し、国関係なく祝いのグラスを掲げ、飲み交わした。大規模な祭りは人を酔わせ、理想郷を作り上げた。
ここにようやく悪に怯えることなく誰もが笑い、争いのない平和な時間が生まれた。
世界が喜びに沸いている中、聖女はひとり魔王城で祈りを捧げ続けた。
時折風で流れてくる瘴気を払い、魔王城を訪ねる怪我人を癒し続け、欲を見せることなく、ただ穏やかな時間が長く続くよう心を砕いた。
だがそれは5年も保てなかった。魔族が復讐しに来たのではなく、人族によって崩されたのだった。
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