第6話

 魔王と聖女は出会いからまもなく一年を迎えようとしていた。それは人族と魔族が休戦協定を結んで一年ということだ。

 聖女はアルムテイル神聖国から届いた招待状に目を通し、正面のソファで寛ぐ魔王に視線を投げ掛けた。


「一周年の式典に我とそなたを招きたいようだ。休戦締結書を聖女に押し付けてきた以来の手紙を読んでみたが……我まで招いて誰が喜ぶと言うのか」



 魔王はティーカップを傾け、聖女は再び視線を手元に落とす。魔王に嫁いだあと、人族の国からは聖女の様子を伺う手紙は一通も来なかった。暗殺が失敗していることは魔王が健在であることから明らかで、教会にはすでに見捨てられていると思っていた。死人扱いも覚悟していたところに、突然二人セットでの招待だ。


 式典はアルムテイル神聖国の大聖堂広場前で行われ、他の魔族の出席は認められていない。魔獣を使って神聖国に入国することも禁止され、護衛も付けずにこちらに来いという文面には目を何度も疑った。敵対しているとはいえ、一国の王への態度ではない。



「私の故郷の者たちのご無礼をお詫び申し上げます。式典を行うのは既に決まっていたはずなのに、一か月の猶予もなく呼びつけのような招待、大変申し訳ありません。魔王様はこの度の出欠は如何なさるおつもりでしょうか?」

「何も知らぬ聖女が謝ることではないし、行く他あるまい。今から二人で準備しよう」

「宜しいのですか?人族の傲慢さが見える態度だというのに、あなた様が従ったと見なされ、見くびられることになりませんか?ここは私ひとりで」

「聖女はどちらの味方だ?」



 呆れ顔の魔王に聖女はぐっと言葉を詰まらせる。この一年ですっかり魔族へのイメージがひっくり返されていた。見た目は大きく違うが感情を持ち合わせ、ある者は所帯を持ち、普段は穏やかな生活を営んでいる。人族と変わらぬ命の営みがあるのだ。特に魔王は角さえなければ、人族と違いはない。



――何故マキナ神は人族だけを慈しむの?魔族だって神が命をお与えになった慈しむべき対象なのでは?



 神への疑問が生まれるほどに情が生まれてしまっていた。思わず顔を伏せてしまった聖女の頬に、体温の低い手が滑っていく。



「すまない、意地悪な問いをしてしまったな。聖女は人族の味方でいれば良い。そうあるべきだ。我らが人族を殺してきた事実は変わらない」



 魔王と聖女は男女の仲はおろか、キスすらしたことはない清すぎる関係だ。魔王が優しく肌を触れ優しい態度に対し、突き放されるような言葉の矛盾が聖女を苦しめる。心を見透かされ、まるで「苦しみから逃れたければ殺せば良い」と言っているように聞こえていた。

 「私には本音を見せて」と言いたくても、理由を問われてしまえば魔王を己以上に苦しめる結果となり、消失を早めそうで踏み込めない。


「そうですね。お気遣いありがとうございます」


 できるだけ長く傍にいられるよう、秘め事を胸の奥へとしまう。そして魔王が望む微笑みを浮かべるだけだ。魔王はそれに応えるように安堵の笑みを浮かべ、頬から手を離す。



「無事に式典が終われば、休戦協定は継続されるだろう。お互いに戦わない道があるのであれば、それを選ぶだけだ」

「はい。魔王様と聖女の私が寄り添う姿を見れば民は安心するでしょう。アルムテイル神聖国の支持も上がりますし、お互いにメリットがあるはずです」

「まぁ休戦の継続は建前で……聖女を我に贈り、手放したことを人族に後悔させてやろうじゃないか」

「――はい?」


 魔王が不気味なほどニヤリと口角を上げ、聖女の頭から足の先まで何度も視線を上下させる。値踏みするような、探るような、熱く、鋭い視線に聖女は囚われたように動けない。


「フレミー、間に合うか?」

「魔王様、万事整っております。お任せくださいませ。魔王様のお力を人族に見せつけてやりましょう」


 影に控えていたフレミーが恭しく翼を胸に当て、ギラリとした眼差しを聖女に向ける。すると突然ノックもなしに部屋の扉が開かれ、女性の魔族五名が入ってきた。四天王のひとり蜘蛛のアラクネをはじめ、追随するように他の眷属もギラギラと瞳を輝かせている。


「お前たち、人族と我らの力の差を見せてやれ」


魔王が煽れば眷属たちは腰を折り、頭を垂らす。


「仰せのままに魔王様。機会をお与えくださり感謝いたします。さぁお前たち――」

「えぇ、聖女様には私たちの生け贄となっていただきましょう。いえ、協力者でしたわね」

「人族を屈服させるのです。これは負けられない戦いなのです。聖女様もこの度の人族の振る舞いにはお怒りでしょう?」

「ふふふ、腕がなりますね。魔族を本気にさせたことを人族は恥じるが良いわ」

「時間とのギリギリの戦い……燃えますわね。頑張りましょう?聖女様」



 そう言いながら、後退ろうとする聖女を取り囲む。聖女は事情を問う視線を魔王に投げ掛けるが、魔王は部屋から出て行くところだった。いや、何をしたいか分かっているが随分と仰々しい。



「魔王様、何もこんなに……ドレスなら今あるもので」

「楽しみにしているよ、美しい我が妻よ。自慢させておくれ。そうだな、頑張ってくれるのなら……喧嘩は一時お休みにしよう」

「――!」


 魔王はひらりと後ろに手を振った。


 いつも死を渇望していた魔王が一時的だとしても、自ら暗殺依頼を止めると言った。そんな意味を持つ言葉が甘く耳に響く。僅かに見えた一縷の希望の糸に、聖女は若葉色の瞳を輝かせた。

 そして「美しい妻」と言われた事が嬉しくないはずがない。六百歳の年齢差からか、娘扱いが多かった関係からの妻扱い。迫り来る魔の手の存在を忘れて、ぽーっと顔を熱くさせ魔王の背を見送った。




 聖女の部屋をあとにして魔王は執務室に足を向けた。彼もまた準備も進めなければならない。


「フレミー、例の計画の準備もしよう」

「我が主の仰せのままに」


 魔王の感情の抜け落ちた表情を前に、フレミーは深く腰を折った。

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