死にたがり魔王に滅びの口付けを

長月おと

第1話


この世界は二つに大きく割れている。


数千年の間、人族と魔族は交わることなく対立し続けている。今日も魔族領の付近の森では大地が燃えていた。



「逃げろぉぉぉ!」

「あぁあぁあぁあぁ」

「助けて! 誰かぁ、誰か――」



 この世の終わりを迎えたように人々は絶望の色を表情に浮かべ、手足を振り回すように逃げ惑う。数分前まで安寧の居住だった家屋は瓦礫の山となっているのはマシなほうで、ほとんどが業火によって既に灰と化していた。

 野生の狼や熊などが可愛く見えてしまうほど無数の黒い獣たち“魔獣”が周囲で牙を向き、人族を追いたてる。


 抵抗する術のない人族は一方的に蹂躙されていた。


 その光景を紅蓮のドラゴンの上から無表情に見下ろし眺める者がいた。闇よりも黒い艶髪を風に靡かせ、鮮血のように真っ赤な珠玉の瞳には僅かに憂いが帯び、中性的な容姿は彼を三十路ほどの青年に見せている。頭からは黒曜石のような二本の角が空を向き、人族ではないことを示していた。


 彼はこの世界で『魔王』と呼ばれる存在だ。


「どれくらい死んだ?」

「村の半分ほど…………百五十名ほどかと思われます。対してこちらは十体ほどです、魔王様」


 魔王が一声掛ければ、白い翼の腕を持つ人型の魔族フレミーが隣に降り立つ。その白き姿は遠目から見れば天からの遣いのように見えるが、忠実な魔王の眷属だ。興奮と本能のままに暴れる魔獣とは違い、フレミーは魔族の上位として冷静さを持っていた。常に微笑みを浮かべている様子は、魔王の側近としての貫禄を備えていた。


「そうか…………あと五十ほど消したら魔獣たちを引き上げよ。もう良い…………我らも城に帰還だ」

「仰せのままに」


 魔王が鮮血の赤い瞳を隠すように重く瞼を閉じれば、ドラコンは旋回し黒い雲に覆われた空へと風を漕いだ。


◇ ◇ ◇


 魔王は城へ帰るとひとりで謁見室『魔王の間』へと入り、王座に深く腰掛けた。明かりは出入口付近で灯る蝋燭だけ。暗い場所と冷たい玉座は、揺らぐ己の使命を繋ぎ止める。魔王は己がこの世界の平和を導くための生け贄として生まれてきたことを知っていた。


 この世界の創造神マキナの愛し子が地上へと降り立ち、生まれたのが人族と動物たちだ。繁殖のためにエネルギーを捧げたため、魔力は低く体も弱い。マキナ神にとっては庇護欲の対象である生命体で、人族の全てが等しい子孫のような存在。

 しかし増えすぎた子孫たちは生きるために同胞同士で争うようになった。限られた食糧や土地を譲り分け合うことなく、独占するために『奪う』選択をした。人族は群れを形成し、敵を仕立て上げ殺し合い、何度も戦争を繰り返した。


 愛しい子孫の喧嘩にマキナ神は心を痛め、『必要悪』を創造し地上へと落とした。それが魔獣や魔族だった。

それでも同族の争いを止めなかった人族についに神は『絶対悪』を生み出した。絶対悪である魔王の誕生により人族は同胞同士の争いをやめ、魔王討伐へと手を取り合いひとつとなり平和が築かれてきた。


 しかしその平和は一時的な仮初であり、永遠とは続かない。魔王が滅びれば再び人族は争いを始めた。その度に魔王はマキナ神によって魔族から選び出され、強大な力と寿命を与えた。今代の六代目魔王は過去最長の六百年を超えて君臨している過去最強の悪だ。歴代と異なり魔族から選出されるのではなく、マキナ神が自ら創造した存在に敵うものは世界にはいない。

 そんな魔王は己を悪の象徴とするべく人族を必要最低限に痛め付け、その為に大切な同族をも巻き込み犠牲にしてきた。彼は六百年かけて徐々に心を擦り減らしていた。



――死にたい



 そう願っていても内包する膨大な魔力と強靭な肉体が死を許さない。高いところから飛び降り、業火に身を投げ、腐海の海に沈んでようやく肉体に傷を作っても、勝手に身体は底無しの魔力を消費して修復していく。

 死に方を調べると、物語では魔王は勇者に倒されるのが定石だと知った。歴史上、過去の魔王三体は勇者によって屠られていた。残りの二体は約二百年で寿命を迎えていた。しかし己が寿命を迎えることがなさそうだと悟った魔王は勇者を待ち望むしか手段は残されていなかった。彼はもう数百年の間、勇者が己を滅ぼしてくれることを夢見ている。


 ◇ ◇ ◇



「人族は正気なのか?」



 とある日、魔王は一通の親書に目を疑った。魔族領に接する人族を代表する国『アルムテイル神聖国』より休戦の申し出が届いたのだ。世界における人族始まりの国と呼ばれ、創造神マキナを奉る宗教国家。

 この対魔王戦の指揮も執る中心的存在が争いを避け、お互いの損害を減らすことに動き出したことは感慨深い。


 しかし魔王が最も驚いたのはそこではない。申し出が叶った場合、休戦の平和の象徴として魔王に『嫁』を贈るというのだ。人族の国では政略的に行われることは知っている。互いの血を受け継いだ者が王位を授かることは、侵略の抑止力になる。

 だとしても魔王と人族で子は成し得ない。魔王は眉間に皺を寄せ、信頼する側近に疑問を投げ掛けた。


「フレミー、我に嫁を授けるなど人族は何を考えておるのか……」

「密偵によりますと嫁候補は『聖女』と呼ばれる教会に所属する聖なる力を保有する高位の女性とのことです。また一部の人族は時に褒美や見返りとして、女性を贈り物にすることがあるようです。扱いは受け取った者の自由――――そういう事かと」

「…………生け贄か」



 魔王は眉間を指でもみほぐし、深く溜め息をついた。暫く天を仰ぎ、熟考を重ね、口を開いた。


「条件を受け入れよう。返事を書く用意を」

「我が王の仰せのままに」


 フレミーは右翼を胸に当て、深く腰を折って姿を消した。魔王は聖女を嫁にすることで起こりうる問題に頭を痛めつつも、休戦に大きな収穫があると踏んで決定を下した。

 そして返事を出せば、あっという間に嫁候補である聖女が送りつけられてきた。正確に言えば休戦条約の締結書を使者ではなく聖女が単身で持ってきたのだ。



「初めまして。アルムテイル神聖国より参りましたレティシアと申します。この度は魔王様の寛大な判断に感謝致します」



 魔王は挨拶を受けて、頬杖を付きながら瞳を瞬いた。絹糸のように艶のある蜂蜜色の長い髪に、瑞々しい若葉のような柔らかい色の瞳、色白ではあるが太陽の恵みを受けた健康的な肌、洗練された礼は異種族から見ても美しい。

 聖女のみが着られるドレスは純白の生地に清廉を表す青いラインが入り彼女によく似合っていた。そして『聖女』の名に相応しく、彼女を包む聖なる魔力の大きさを感じとった。



「歓迎しよう。まずは部屋で休むが良い」

「ありがとうございます、魔王様」



 胸の高鳴りを悟られないよう、威厳ある魔王らしく無表情を顔に張り付け玉座から離れた。私室へ向かう足取りは速く、廊下で頭を垂れる眷属にいつものように労いの言葉をかける余裕はない。勢いよく部屋に入り、即座に防音を付与した結界を張った。



「本物の聖女キタァァァァァア!」



 魔王は両膝を床につき、両手を突き上げ歓喜した。数百年もの間待ちわびた存在が、向こうから現れたのだ。今まで聖騎士の聖魔法を故意に受けたことがあるが、魔王の深い闇を屠るには力及ばず致命傷にならなかった。しかし聖女は対峙しただけで別格だとわかる。



――ようやく死ねるチャンスが来た!いや、やっと母なる神が我の声を聞き届け聖女を与えてくれたのだ! あぁ、神よ、感謝致します。どうか聖女レティシアにより強き聖なる加護を。



 突き上げていた拳を降ろして胸元で合わせ、マキナ神に祈りを捧げた。マキナ神の敵を演じつつ、実は魔王は誰よりも敬虔な信徒であった。嬉しさのあまり顔は緩んだまま神への祈りは続く。


――死ねますように。死ねますように。死ねますように。本当に今回こそお願いします! 神様、先祖様、聖女様!



 ひとしきり祈ると魔王はソファに体を沈ませ、聖女の姿を脳裏に浮かべた。穢れを知らなそうな無垢な容姿と、流れるような所作は人族の貴族令嬢のようだった。殺しなどできなさそうな雰囲気に魔王は指で顎を擦り、唸った。

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