トップシークレット
「陛下!お久しぶりでございます!!」
ノックの音もなく、荒々しい足音を立てて部屋に乱入してきた大男を、メリオットは険しい顔つきで迎えた。
「ダノン。入室する時には必ずノックをするようにとあれほど言ったでしょう」
「ああ、すまんすまん」
申し訳なさそうにボリボリと頭をかくダノンだったが、ソファに座るメリルの姿を見つけると、早足で近付き力任せに抱きしめた。
メリルがうっ、と苦しげな息を漏らす。
「陛下、お元気そうで何よりです!このダナン率いる軍勢が、国境周辺を脅かす蛮族共を成敗してまいりました!!」
「き、厳しい任務ご苦労であった……」
今は陛下があなたに殺されそうですけどね。と言うメリオットの呟き通り、絞め殺さんばかりの勢いで自分を腕に閉じ込めているダナンの背中を、メリルは慌てて叩いた。
解放されてホッと息を吐く暇もなく、今度は肩をわし掴みにされて激しく揺さぶられる。
「相変わらずこんな細っこくて、ちゃんと飯食ってますか?!もっと筋肉つけて鍛えないと、一人前の男にはなれませんよ!!」
「あはは…そうだな……」
相変わらず無礼講のダナンの言葉に内心ヒヤッとしながらも、メリルは苦笑いで答える。助け舟を求めるようにメリオットに視線を送れば、彼もその意を汲んだようにダナンに退出を促した。
「話が終わったら、ささっと出てって下さい。ここは陛下の私室です」
「そうだ!久しぶりに稽古しませんか?!」
「しない」
真顔で即答するメリルの退路を断つように目の前に立ちはだかったダナンは、豪快に言い放った。
「では、外に行きましょう!!」
***
「陛下、釣れましたか?」
「……いや、逃げられた」
空になった釣り針を前に、メリルは手にしていた釣竿を今すぐ放り投げたくなった。何が楽しくて釣りなんかしているのか。別に釣りをしたいわけじゃない。
ただ、今朝方突然自室に乗り込んできたダナンが、久しぶりに稽古をするなんて言い出すものだから、慌てて代替案として釣りを提案しただけなのだ。
「久しぶりに陛下と剣を打ち合うのもいいかなって思ってたんですが、釣りもなかなかオツなものですね」
「そうだろう。お前も、たまには剣を竿に持ち変えて、戦いの場から距離を置くのも心身のためだぞ」
最もらしい事を言って誤魔化す。
ちなみに、メリオットは「日焼けするから嫌です」などと宣ってそそくさと姿をくらましてしまった。
「時に陛下、お見合いなさるとは本当ですか?」
「ああ。そんでもって今日、明日と、そのお見合い日程の真っ最中だ」
「なんと。では、私のつまらぬ遊びにお誘いしたのはご迷惑でしたな」
「いや……顔合わせは昨日の内に済ませて、今日の予定は晩餐会だけだったので問題ない」
急に殊勝な態度を取られると気が狂うので、思わずフォローするようにとり成すと、あからさまにホッとした様子でその口髭たっぷりの大きな口を綻ばせた。
「良い人が見つかるといいですね」
「ああ……」
“共犯者”と言う名のーー、と言う言葉はもちろん口には出さず、とりあえず目の前の厄介後事を片付けようと身を乗り出した。
白い蓋がついたアルミ缶に入っているのは、釣り餌。うにょうにょとうごめく、ミミズに似た細長く気持ち悪い生き物だ。
込み上がる嫌悪感に渋面顔で釣り針に餌を通そうとするが、あまり直視できない上に、出来るだけ触れたくないので、一向に餌がつかない。
あまりモタモタしていると、虫が苦手なのがダノンにバレてしまいそうなので、強引に釣り餌の中に針を突っ込み引き上げた。そうすれば、1匹くらいはまぐれでつくと思ったのだ。
だが、勢いがつきすぎたのか。自分の背中を釣ってしまい、余計格好がつかなくなった。恥を忍んでダノンに外してもらい、それから2.3時間釣りを楽しんだ後、やっと解放された。
*
「いてて、全くメリオットのやつ……」
長時間、川辺に座ってすっかり凝り固まってしまった腰を叩きながら、主人を見捨てて一人トンズラこいた裏切り者宰相を見つけんが為に城内をさまよっていたメリルだが、何だか背中がムズムズする事に気付いた。
「……?」
もしや、ダニか蚊にでも刺されてしまったのだろうか。気になる箇所に触れようと手を伸ばすが、ちょうど背中の真ん中あたりで、どこから手を伸ばしても届かない。
歯がゆさに苛立ち始めた頃、そのむず痒さが違う場所へと移動し、そこで初めて“それ”が生き物だと悟った。
途端、全身から血の気が引いていく。
「まさか……」
思い当たることが一つだけあった。
それは、釣り餌をつけられなくて誤って自分の背中を釣ってしまった時ーー実はあの時、釣り針の先にはちゃんと餌がかかっていて、その餌が竿を引き上げた拍子にどこかへ行方知れずになっているとしたら……
想像のあまりの恐ろしさにメリルは震え、居ても立っても居られなくなり、無我夢中で近くの部屋に飛び込んだ。
誰もいない事を確認して、慌てて上着を脱ぎ捨てた……はずだった。
ガタン、と大きな物音がして、音のした方向へ顔を向けると、明るい栗色の髪とアーモンドアイが特徴的な娘がいた。
「へい、か……?」
目を見開いて体を硬直させる娘に、メリルは取り繕うことも忘れてとりすがった。
「背中!背中に何か付いてないか?!」
「背中……?」
彼女の剣幕に気圧されて、恐れ多くも国王陛下のその白く美しい背中に目を凝らす。すると、確かに小指の爪先ほどの小さな何かが背中を這っていた。
取ってくれと懇願されるまま、指の先で軽く弾くとぴょーんと弧を描いて床に着地したそれは、すぐに絨毯の色と同化して見えなくなった。
「……取れました」
「すまない。助かった」
心の底から安堵したように胸を撫で下ろし、メリルは恩人である娘を振り返った。胸元には、男装をするために胸を押し潰したサラシが巻いてある。
「情けないところを見せて、お恥ずかしい限りだ。君は確か……」
「シ、シャノンです」
「シャノンか。礼を言う、ありがとう」
「いえ、とんでもない」
いまだ動揺する心を落ち着かせつつ、シャノンは惜しげも無くその上半身の裸体を晒すメリルに目のやり場に困って、視線を泳がせていたところ、サラシを押し上げる胸の小さな膨らみに気付き固まった。
(…え……?)
急に動きを止めたシャノンの視線を追い、メリルもそう言えば自分が上半身裸だったことを思い出した。
咄嗟の事とは言え、機転がきかなかった。こうなったら、もう観念するしかない。
「見ての通り、私は女だ」
「…………」
突然の告白に目を白黒させながらも、シャノンはその胸の膨らみから目が離せない。全ての機能を奪われたように瞬き一つしないシャノンを痛ましく思いながらも、メリルは勝手に暴露を始めた。
「実は、理由(わけ)あってこんな格好をしている。国民を騙す形になっているのは心苦しいが、これもどうか国のためだと思って理解してほしい」
「………」
「この事実を知っているのは、私と宰相の二人だけ。そして、君だ。言うまでもないが、この件は国のトップシークレットなので、誰にも口外しないで欲しい」
「………」
言葉一つ発せないでいるシャノンに、メリルそれもそうかと思った。偶発的な出来事とは言え、突然国の極秘事項を知ってしまったら、きっと平静ではいられない。現に、彼女の顔は茹でられた蛸のように真っ赤だ。可哀想に。きっとあまりの出来事に頭がパニックになっているに違いない。
そう結論づけると、少女を安心させるようにその手を握り、自分の胸元に寄せた。
「心配しなくても大丈夫だ。君をどうこうする気はない。ただ、この秘密を共有する“共犯者”になって欲しい。ひいては、私の嫁になってくれないか」
「…………」
その言葉が余計シャノンの混乱に拍車をかけているとは知らずに、メリルは真摯な瞳で訴えた。
「君を絶対に不幸にはしない。信じて、私について来てほしい。より詳しい事は、あとで宰相も含めて説明しよう」
「…………」
今度こそ、本当に全ての思考を停止させてしまったシャノンの前で、手早く服を着なおしたメリルが、改めて向き直る。
「では、今夜の晩餐会を楽しみにしている」
早口でそう言い切ると、逃げるように部屋を出て行った。一人残されたシャノンは、ただただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
ーーまずい、まずいまずいまずい…っ。
部屋を飛び出したメリルは、発狂したくなるのを堪えながら頭を抱えて廊下を歩いていた。
「…やばい……これは、マジでやばい。メリオットに殺されるやつだ…」
そもそも、奴が私を一人にしたから起きた問題じゃないのか?
思わず責任転嫁してみるも、結果こうなってしまったのは自分の責任に他ならない。気合を入れ直すように頬を叩くと、メリルは自室への道のりを急いだ。
しかし、あの少女には悪い事をしてしまった。突然目の前に上半身裸の国王陛下が現れ、女だと暴露され、あまつさえ嫁に来いと求婚された日には、きっと混乱の極みだろうに。
そもそも自分が飛び込んだあの部屋は、少女にあてがわれた私室だったんだろうか?
そんな事もわからずに、度を失い、なんの罪もない一人の少女を国家顛末に関わる出来事に巻き込んでしまった自分の情けなさに、ほぞを噛む。
とにもかくにも、一刻も早くこの事をメリオットに知らせなければーー
メリルは、すれ違った使用人たちが驚いて飛び退るほどのスピードで、猛然と城内を駆け抜けた。
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