第43話 たとえ望んだものではなくとも

 


「はっ‼ フラグがはためく気配がする……!」


 夏の日差しが照りつける中、アースガルドの王城の自室で執務机に腰掛けていたレグは、突如その身を駆け抜けた気配に勢いよく立ち上がった。


「いけない、今すぐこの正体を確かめに行かなければ……!」

「はいはい。こちらが本日提出の書類、こちらが明日提出予定の書類。さらに隣が三日後までのもの。さらにさらに隣が今週末締め切りの書類になりますので、全てに目を通し、署名と捺印をお願いいたしますね、リオン殿下」

「ぬぉああぁぁあぁぁ〜〜〜〜っ‼⁈」


 直後、流れるような勢いで机の上にどん! どん! どーん‼ と置かれた行く手を遮るかのような書類の山に悲鳴を上げて泣き崩れた。

 その姿が見えていないのかはたまた慣れているだけか、書類の山を押し付けるだけ押し付けたレグも幼い頃から大変お世話になっている初老の王佐は特に気にするでもなく「それでは失礼いたします」と一声おいてクールに部屋を去った。多分後者である。


「ほっほっほっ、頑張れ頑張れ」


 そんな孫の姿に久方ぶりに王城に顔を出しに来ていた先代国王現ヴィコット家の庭師であるルーじぃが、王室御用達の高級茶葉を使って入れられた紅茶と季節のフルーツがたっぷり盛られた美味しそうなタルトを味わいながら暖かい声援を送る。


「うぅ……、そんな言うなら手伝ってよじいちゃぁん……」

「すでに隠居したじじいを頼るでないわ。そもそも、その書類はお前が見なければ意味なかろう」


 タルトをもきゅもきゅさせながら言う祖父にわずかな殺意が湧かないでもないが、彼の言っていることは尤もであった。

 レグの机の上に積み重ねられた書類の山。その中には同じような単語がいくつも並んでいる。


 “ソーラーパネル”、“ライト”、“デンシレンジ”、そして“トランシーバー”。


「評判が届いたのだな。他国から次々に注文が入っとると聞いたぞ?」

「うん。おかげでアースガルドは一躍、世界の発展国だ。国同士の繋がりが増えて父上も喜んでるよ。国の行き来も今まで以上にしやすくなるだろうって」


 そのおかげで現在その父も色々と忙しいのだが。


「アースガルドの次期国王は発明王……、なんて噂も流れとるらしいのぅ」

「俺はアイディア出しただけであって、作ったわけじゃないんだけどねぇ」

「それも立派なお主の功績じゃ。よかったではないか、世界的に広めることが目標だったのじゃろ?」


 ほっほっほっと笑うルーじぃは、孫が認められることがよほど嬉しいようだ。


「……うん、……でも、はもういいんだ……。今は、便利な技術で人の暮らしが少しでも楽になれば、それでいいかなぁって……」


 そんな祖父を横目に力なくつぶやいたレグは、切なげに目を細め、次第にうつむいていった。

 その意味を瞬時に悟り、ルーじぃの瞳にも切なさが滲む。


「……なんじゃ。目的は達成できたのか?」

「うん……。アヴィがね、会った、って……」

「そうか。元気にしとるのかのぅ……?」

「うん。楽しく暮らしてるみたい。…………でも、帰ってくるつもりは、ないみたい……」

「…………そうか……。それは、寂しいのぅ……」


 かたん、と音がして、ルーじぃの立ち上がる気配がする。

 彼はそのまま、ゆっくりした足取りでレグに近づくと、うつむいたままの頭にそっと手を伸ばし、さらりとした黒髪を優しく撫でた。

 その感触に、レグの目頭がじわりと熱くなる。


「……だが、幸せでいるんじゃろう?」

「……うん」

「なら、よかったではないか」

「…………っ、うん」


 ぽんぽん、ぽんぽん……。

 豆の潰れたゴツゴツした手のひらが、レグの頭を何度も撫でる。

 視界がだんだんと滲んで、熱い雫が目尻に浮かんだ。


 ここ一年あまりの期間で、アースガルドの技術力は格段に上がった。

 そうなるように、レグが先導したからだ。


 それもすべては、ひとつの目的のため。


 世界のトップを行くような技術力を持てば、当然、他国からも注目を集める。

 多くの目がこの国に向けられ、多くの国がその技術の譲渡を求めてくるようになるだろう。

 自ずと、他国との繋がりも深くなる。

 繋がりが深まれば、今以上に外の情報も手に入れやすくなる。外に向けて、手が伸ばしやすくなる。

 そうすれば、探すことができるかもしれない。

 見つけることができるかもしれない、と。そう思って…………。


 でも、もういい。


 レグは聞いたのだ、アヴィリアから。

 ウェルジオと離れて一人になった時、助けてくれた人のこと。

 とても不思議な人。精霊を連れた男の子。

 一緒にいると何故だかとても安心できた、その人は。


『……なんとなくだけどね、レグに似てたわ』


 だから無意識に安心しちゃってたのかしらね、と笑っていた彼女は、きっと知りもしない。

 その言葉に、どんな意味があるのかなんて。


「……っ」


 ポタリと、レグの瞳から雫が落ちる。



 ずっと……。

 ずっと願っていた。いつか会えること、帰ってきてくれることを。

 無事でいると分かってはいても、どうしているのか、どこにいるのか……、ずっとずっと気になっていた。


 今でも思い出す。数年ぶりに向こうの夢を見て目覚めたあの日を。

 あの日もこんな風に、流れる涙が止まらなかった。


 レグは今まで、夢の世界で体験することを、常に“誰かの視点”として見ていた。

 夢の中の“誰か”と体を共有しているような状態だったレグは、その人物の顔を一度も見たことがなかった。

 でもあの日。

 数年ぶりに夢を見た、あの日。

 夢の中で鏡を覗き込んだその人物の顔を、レグは初めて見たのだ。


 かつて母から聞かされた。自分に付けられたミドルネームの意味。

 それを知った時に思った。そうだったらいいな。そうだったら嬉しいなって。

 それはあくまでただの願望で。根拠も何もない、幼い子供の希望でしかないものだった。


 でも。


(本当に……、あなただったんですね……っ)


 あの日、鏡越しに目があったその人。

 まるで自分がいることが分かっているかのように、鏡越しに優しく微笑んだ、その人の顔は。


 自分の面差しと、とてもよく似ていて。

 アースガルドの王族であることを示す、“紫色の瞳”をしていた――――…………。


「……っ、ふ、……ぅ」


 涙が落ちる。

 止まる術など知らないとでも言うように。

 溢れる想いが、次々と雫となってこぼれていく。


 守ってくれと願った。

 その願いを、拾ってくれた。


 会うことはできない。帰ってきてはくれない。

 あの人はもう、他に居場所を見つけてしまったのだ。

 それでも、そうであったとしても。たとえそばにいなかったとしても――――……。

 

 届く声はある。想いは繋がる。




 ずっと。

 ずっと――――――。



(…………会いたかったよ、…………兄さんっ)











『……うん。俺もだよ』



 どこか遠い遠い彼の地で。

 優しい声が、そっと囁いてくれた気がした。


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