第23話 少年は見守る

 


(やれやれ……。まったく女というのは何だってこうもめんどくさい生き物なんだ……)


 軽やかに歩を進め、風になびく美しい薔薇色に眩しげに目を細めながら、僕は彼女に気づかれないように小さく嘆息した。


(これで少しはセシルの気も晴れるといいんだが……)


 女のいざこざは実にめんどくさい。

 男は不用意に足を踏み入れるものじゃないといつだったか父上にも言われたことがある。巻き込まれると実に面倒だぞと言っていた父は絶対に経験者だろう。

 自分とて、敢えて面倒ごとに首を突っ込む趣味はない。


 それでも、最近のセシルの様子は誰の目から見ても明らかに不自然だった。


 あのアヴィリア筆頭主義の妹が。「世界の中心? アヴィでしょ。それこそ世界の常識でしょうがなに言ってんのよ頭だいじょーぶ?」なんてことを迷いなく言ってのけるような妹が、最近になってアヴィリアと不自然に距離を取り始めたのだ。

 気づいた時は我が目を疑ったし、二度見どころが五度見くらいしてすわ病院か精密検査かと内心酷く慌てたものだ。

 もっとも落ち着いた後はむしろそんなことに慌てた自分に対して酷く打ちのめされたが。

 完全に妹の思考に染まりきっていると知ったある日の出来事。その日も胃は痛かった。


 しかしそれはそれとして、どうやらセシルと彼女の間になにかしらがあったのは間違いないようだ。

 そしておそらく、原因がセシルのほうにあるのだろうことも分かっていた。


 喧嘩をした、というわけではないらしい。というのも、アヴィリアのほうは何も知らないようで、むしろ最近のセシルの様子を普通に心配している。

 それに、会うことはしていないものの連絡は取っているようだった。

 僕の思い違いか、と。その時はそう思いもした。


 だがそうじゃなかった。そう思った矢先に、僕は決定的なものを見てしまった。


 つい先日、城での務めを終え、屋敷に戻った時のことだ。

 ちょうど彼女との会話をやり終えたばかりだろうセシルに遭遇したのは。


 その時のセシルの様子は、あまりにもおかしかった。


 普段ならば、いつもの妹ならば。

 彼女との会話の後は、楽しく遊び回った後の子供のように、思わず見ているこちらのほうまで笑顔にしてしまうような、そんな幸せそうな顔で周りに花を飛ばしているのに。


 酷く切なそうに、何かを必死にこらえるように。

 今にも泣きそうになるのを、きつく唇を噛んで耐えながら、無音となった端末を胸に抱きしめて、ただその場に立ち尽くしていた。


 そんな姿を見てしまっては、もう黙って見守ることなどできるはずもなかった。

 二人の問題だからと、女同士のあれこれに口を挟むべきではないと、理由をつけて傍観していたのを、僕は心底悔いた。

 セシルはこんなにも、何かを思い詰めていたというのに。だが何をだ。何をそんなにも思い詰める必要がある。彼女との間に一体何があったんだ。


 すぐにでも問い詰めてやりたかった。その肩を掴んで原因を聞いてやりたかった。


 だが、それをしたところできっとセシルは何も言わないのだろうことも分かっていた。

 妹の頑固さは自分もよく知っている。


 僕ではダメだ。

 どれだけ言葉を尽くそうが、今のセシルには僕の言葉ではきっと届かない。――――けれど。


 彼女なら。


 彼女の言葉なら、きっとセシルには届く。


 二人の間に何があったのかは分からない。それでも、変わらずセシルは彼女を求め続けている。セシルの一番は今も変わらずアヴィリアのままだ。

 きっと彼女の声なら、どんな時でもセシルの元には届くのだろう。

 兄としては少しばかり複雑ではあるが。


「はぁ……」


 思わずため息がもれた。

 まさかこの僕があの二人の間を取り持つような日が来るとは。


 そもそもこの状況下で非があるのはアヴィリアのほうだという思いがわいてこないのだから、自分でも自分の変化に驚く。

 数年前の自分なら、真っ先にアヴィリアを疑っただろうし、これ幸いと二人の仲を引き離しにかかっただろう。そう思うと僕もずいぶんと変わったものだ。


 アヴィリア・ヴィコットの存在にずいぶん振り回されている。

 けれどもそれを嫌だと感じることはない。

 どこかむず痒い、はがゆい気持ちがわいてくるだけだ。


(厄介な感情だな……)


 ふっと小さく苦笑しながら、僕は前を歩く愛しい薔薇色を見つめた。



 正直、荒療治すぎる気がしないでもないが、この状態がこのままずるずる続くと、今度はアヴィリアのセシルに対する戸惑いも大きくなっていく。

 この手の状況は長引けば長引くほど厄介になる。溝は浅いうちに埋めるに限る。


 僕はまるで一仕事終えた後のような気分だった。




 きっと大丈夫だろう。


 動くに動けずにいた彼女は、迷いをふっきり、強い瞳で前を向いた。




 ――――――彼女ならきっと。セシルの手を掴んでくれる。


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