第46話 崩壊の音

 


 ガラガラガラッ


 馬車が勢いよく地面を駆ける音が耳に響く。

 一刻も早くと伝えたおかげで、中に乗車しているこちら側を気にせずに出せるだけのスピードで駆ける。

 そのせいでいつも以上に揺れは酷いし、衝撃のせいで腰掛けたお尻も痛くてしかたない。


 …………そんなこと、いまはどうでもよかった。


 馬車に乗車しているのは、私とお父様の二人。けれど私たちの間に一切の会話はない。正確には会話を楽しむ余裕がない、だが。


 馬車に乗り込んでからずっと、いや、正確にはその前から言葉を発することもできずにただ震えている私の肩を、お父様はずっと支えてくれていた。この腕がなければ、私は今にも崩れ落ちていただろう。



 “――――アヴィリア、落ち着いて聞きなさい……。”



 頭の中でぐるぐると、同じ言葉がずっと回り続けている。

 父から聞かされた、信じられない言葉が。


(うそ、うそ……)



 “――――森へ向かった討伐隊から、緊急の知らせが届いたんだ。”



(うそよ……っ!!)



 “――――……ウェルジオ殿が……。”




 ***




 ――――アースガルド東部、バードルディ領。


 初めて足を踏み入れるバードルディ領の邸は王都に建つ邸とは比べ物にならないくらいの豪邸だった。普段ならおごそかな雰囲気を纏っているだろうそこは、今は華やかさのかけらもなく、慌てふためく人の声で溢れかえっていた。


 私たちを出迎えてくれた執事さんによって、ウェルジオが運び込まれたという部屋まで案内される。部屋の前には難しい顔をした公爵様と、その隣でお互いを支えるように座り込んでいるセシルとレグの姿があった。


「セシル!」

「……っ、アヴィっ」


 声をかければ、すがるように抱きついてくる。その肩をしっかりと受け止めた。彼女の瞳からは大粒の涙が止めどなく溢れていて、これが夢ではなく現実なのだと改めて突きつけられる。


「アヴィっ、おに、お兄様……、お兄様が」

「セシル……、落ちついて……っ」


 泣きながら言葉にもならない言葉を必死に繰り返すセシルの姿はとても痛々しくて、なんとか落ち着けようと言葉をかけてもそれにどれだけの力があったのかはわからない。

 そういう自分の声のほうが、震えているのは分かっていたから。


(……なんでっ、どうして……)


 どうして、こんなことになってしまったの……。



「ジオ……、俺をかばったんだ……」


 そのとき、膝を抱えたまま廊下に座り込んでいたレグが、今にも消えそうな声で呟いた。

 いつも飄々として猫のように気ままに振る舞う彼からは想像もつかないくらい、覇気のない暗い表情。



 討伐自体は、上手く進んだのだと言う。

 罠を仕掛け動きを制限し、その間に叩く。上手くいっていた、――――――そこまでは。


 まさか、熊がもう一体潜んでいたなんて、誰も思ってもみなかったのだ。

 報告を聞いた森の民も大層驚いていた。本当に、完全に予想外の出来事だった。


 血の匂いに誘われてやってきたそれに牙を向けられたのはレグで、それに真っ先に気づいたウェルジオは間一髪でレグを助けることには成功したものの、彼自身が鋭い爪の攻撃をその身に受けることになってしまった。


 喰い付こうと大口を開けた熊に向けて、レグがとっさに放った麻酔針が上手く口内に命中したことで動きが鈍り、そのまま兵士たちの手でとどめを刺すことは出来たが……。


 ウェルジオは重傷を負い、今もまだ目を覚まさない――――――。



「…………変よ」


 ポツリ、消え入りそうな声でセシルが呟く。


「変よ……、おかしいわ、こんなはずじゃない。だって、みんな無事に帰ってくるはずなのよ……。お兄様だって、ちゃんと無事に帰ってくるはずなのに……。なんでよ、どうして……」

「セシル……? セシル、しっかりして!」


 カタカタ震えながら、うわ言のように繰り返すセシルの様子は明らかにおかしかった。今にも崩れてしまいそうな彼女の瞳からは止まることのない涙が次から次へと溢れでる。

 どんなときも笑顔を絶やさない彼女の、こんな姿を見るのは初めてだった。


(ウェルジオ様……)


 セシルの背中に回した腕に力を込める。そんなことをしても、涙を止めることができないのは分かっていた。今、セシルが求めているのは、この腕ではない。


(何をしてるんですか。セシルが泣いてるじゃありませんか。何かしたら許さないとか偉そうなこと言っておいて……、あなたが泣かせてどうするんですか……っ)


 人が慌ただしく動く音。そこかしこに飛び交う焦ったような声。離れていてもわかる、血の匂い。

 まるで底の見えない深い沼に突き落とされてしまったような、目の前の全てが真っ黒に塗りつぶされてしまうような感覚。


 人はこれを、絶望と呼ぶのだろうか。


 そこに流れる、ほんの一分一秒が永遠のようにも感じる中。私はただ、泣いているセシルを抱きしめていることしかできなかった。




 だけど、本当は。


 そうでもしないと崩れてしまいそうだったのは……、私のほうだったのかもしれない。




 ***




 どれくらいの間、そうしていただろう。

 忙しなかった周囲の音が少しずつ静かになって、ウェルジオが運び込まれた部屋の中から治療に当たっていた医師が姿を現した。


「マーテル! どうなんだ、息子の容態は……」


 その姿に真っ先に飛びついた公爵様が口早に問いかける。その口調にいつもの落ち着いた様子は微塵もなく、彼の隠しきれない焦りを表していた。

 マーテルと呼ばれたバードルディ家お抱えの女医師はこわばった表情のまま、固い声を紡ぐ。


「処置は全て終えましたが……、傷が深く、これ以上は……」


 それはまるで、絶望の鐘のように頭に響く。


「せめて、ウェルジオ様のおそばにいてあげてくださいませ」




 祈るように深く頭を下げるその姿に。


 どこかで何かが、崩れるような音がした――――――。


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