第45話 少年は対峙する 2

 


 ――――――ズゥゥ……ンッ


 重々しい音を立てて、巨体が雪原に倒れる。


 それでも決して警戒は解かず、強く握った剣もそのままに、その姿を睨みつけた。


 誰もが固唾をのんで見守る中、しばらく経っても、雪に埋もれたままピクリとも動かずにいることを確認すると、兵士たちは次々に強張っていた力を抜き歓声をあげた。


「よっしゃああぁぁ――――――っ!」

「やったぞおお――――――!」

「やりましたね隊長!」


 喜々とした声を上げる兵士に僕はふんと鼻を鳴らす。


「当然だ。我々の腕ならもともと問題のないレベルの討伐だった」

「もー、ジオってば! 何でそんな言い方しかできないかなっ、たまには素直に“よくやった”って正直に褒めてあげればいいんだよ」

「んなっ……」

「遠回しな褒め言葉より素直な褒め言葉のほうがいいときだってあるんだよ!」


 ほら、と言いながら肘でツンツンと小突いてくるレグの表情は楽しげながらも真面目だ。

 無視してやってもいいが、視線をちらりと兵士たちのほうに向けてみれば、そこにはどこか期待の色を宿して僕を見つめる沢山の瞳。


(う……っ)


 これを無視して背中を向ける……? 無理だ。


「…………あー……、全員、今回はよくやった。作戦通りに進んだのも、早急にかたをつけることができたのも、すべてお前たちの手があったからこそだ。指揮官として、礼を言わせてほしい」

「ウェルジオ様……」


 じいぃぃ――ん……。

 そんな言葉が兵士たちの顔に浮かんでいるようだった。なんだこれ思ったより恥ずかしいぞ。くそ、顔が熱い。


「うんうん。普段素直に褒めてくれない奴がたま〜に褒めてくれるとそうなっちゃうよねぇ、何て言うかグッとくるものがあるよねぇ」

「お前面白がってるだろう!?」

「まさかそんなあははははっ、いやいや思いもかけずいいもの聞けちゃったからさ〜。こんなことならボイスレコーダーも作っておけばよかったなぁ残念残念。あはははははははっ!」

「笑いながら言うな!」


 ボイスなんちゃらが何かは知らないが、とにかく良くない物であるのは察した。


 ちなみにその感は当たっている。もしも仮にこの場にボイスレコーダーが存在していたら、先ほどの恥ずかしいセリフをしっかりと録音され、今後事あるごとに再生されて、その度に羞恥にうち震えてレグにからかわれる未来が待っていたし、ちゃっかりダビングされて兵士たちの手に渡される未来も待っていたりしたのだろうから。

 閑話休題。


「さーて。この熊解体して村まで運ばないとね!」

「村の人たちにいい土産ができましたね」

「熊騒ぎのせいで疲労しきってますからね……。しっかり食べてもらいましょう」

「むふふ……熊鍋、焼肉、煮物、角煮……ふふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ」

「レグ様怖い……」

「あの目を見ろ、まるで飢えたハンターのような……」

「見るな、ほうっておけ」


 僕は目の前の光景を遠慮なくシャットアウトした。

 こうなってしまったこいつはただひたすら面倒くさい。まともに相手をすればこちらがダメージを受けるだけだ。主に胃に。


「王都まで持って帰れないのが残念だなぁ〜」

「……ちょっと待て。お前まさかヴィコット邸に持って行こうとか思ってるんじゃないだろうな?」

「お土産に持って帰るよーって言ったらいらないって即答されちゃった」

「当たり前だ!」


 令嬢への土産に動物の生肉って。ただの嫌がらせだぞ。いや、彼女なら案外喜ぶかもしれない。聞いたところによれば彼女は平気で鶏肉さえ捌くらしいし。

 ……まったく、土いじり以上に普通の令嬢ならまずやらんぞ。本当に変な女だ。


「……ジオ。今アヴィのこと考えてたでしょ?」

「ぶふっ!! ばっ、な……はっ!?」

「言葉になってないよ。ジオって本当顔に出るよねぇ、鏡見てみなよ。自覚ないの?」

「なにが……っ」


 思わず聞き返してしまってから、しまったと思った。この返しは悪手だ。

 目の前で青い瞳が三日月のようにニヤリと弧を描く。


「アヴィのこと考えてるとき、自分がどんな顔してるか、さ」


 それはまるで、己の心の奥の奥まで、全てを見透かされているようで。

 自分でもわかるほど一気に身体が熱をおびた。


「〜〜……知るかっ! バカなこと言ってないでさっさと始末するぞ! モタモタしてたら完全に日が暮れる!」


 あからさまな逃げだということは分かっていた。

 その証拠に見ろ、あいつの顔を。愉快で愉快で仕方ないというふうに腹を抱えて笑っているじゃないか。


「っくそ……」


 まったく、いつもこうだ。

 彼女の話題を引きずり出されると、何故か冷静に対応することができなくなってしまう。

 いつもなら簡単に、平然と流してしまえるのに。


 顔が熱い。

 それが凍てつく冬の空気によるものではないと、自分でわかってしまうことが余計に熱を高めてしまう。

 こんな顔を見られでもしたら、それこそ何と言ってからかわれるかわかったもんじゃない。




 だから僕は、レグから離れた。




 離れなければ、おそらくもっと早く、気づくことも出来たかもしれないのに。



 血の匂いは、新たな獣を惹き付ける。

『それ』に気付いたときにはすでに、獰猛な牙がレグに向かって振り下ろされる寸前だった。







 大地を蹴る力強い足音と、荒い息遣い。


 とっさの出来事に動くことができずに、反射的に身を硬くしたレグ。

 けれど、彼が次に感じたのは予想していたような衝撃ではなかった。


 自分がよく知っている、誰よりも信頼できる、力強い腕の暖かさが、自分の身体を強く押し飛ばす。




「――――――――――ジオ……ッ!!」











 視界が染まる。

 世界を埋め尽くすほどの純白に?






 否。



 まるで、あの薔薇色の髪のように鮮やかな。


 真紅に。


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