第42話 想いは雪のように音もなく

 


 十分に身体を休め、空がうっすらと藍色に変わる頃、討伐隊は森の奥へと足を踏み入れた。


「うわ、降ってきたね」

「くぅ……、これから熊退治だってのに……!」

「さみぃ……っ」

「ふふーん。そんなときにおすすめなのはコレ!『ホッカイロ』! いつでもどこでもお手軽に暖が取れる優れもの!」

「さすがですレグ様!」

「あざーす!」

「初回お試し期間中につき、次回からは実費でお買い求め願います」

「……ちゃっかりしてますねぇ」

「客の心をいかにして掴むかが商売の秘訣さっ」


(すっかり兵士たちと打ち解けたな……)


 兵士たちに囲まれて、レグは楽しそうに笑っている。


 彼のこういうところが、ウェルジオは素直にすごいと思う。

 初対面の相手ともいつのまにか打ち解け、輪を広げている。

 レグは人の心にある壁をぶち壊す天才だ。人間が知らずに作ってしまう、外面という壁を知らずに壊していく。そして、それを決して相手に不快とは思わせない。


 おちゃらけているように見えて、意外に周りのことに目を向けている彼は、周りが見落としてしまいがちな些細な物事をいつのまにか拾っていることも多い。

 そんなレグの在り方はどこまでも自然で、いつのまにか惹きつけられ、人が集まる。

 気づけばいつのまにか輪の中心にいる。

 彼の周りには、いつも楽しげな声が溢れている。


 己を綺麗に飾る外側の仮面を外し、自然とありのままの姿にさせてしまう。

 それがレグの得意技。


(彼女も、そうだったんだろうな……)


 そうやって、レグに“令嬢”としての壁をぶち壊された。

 セシルといるときに浮かべる、友人としての顔もまた、素に近い表情だとは思うが、セシルが全力で懐いているためか、どこか妹を見る姉のような空気を醸し出すことも多い。


 だが、レグといるときのアヴィリアはどこまでも自然だ。


 ときには友人のように、ときには姉のように、親のように。くるくると色々な空気を纏う。

 その態度、口調、表情、全てが。

 間違いなく、アヴィリア・ヴィコットのありのままの姿だ。


 二人が己を知ったのは、ほんの数ヶ月前。

 同じ時間を過ごすようになって、まだほんのわずかしかない。

 その、わずかばかりの刻の中で、アヴィリアの壁は影も形もなく崩れ去っていた。


 レグよりも前に、一年以上も前から関わっていたはずの自分には、いまだ壁は存在しているのに。


 ウェルジオの前で、アヴィリアは決して伯爵令嬢としての仮面を外さない。

 己より身分が上の“公爵家”の人間に対する態度を、決して崩さない。


 セシルに関してはその限りではないが、二人は仮にも友人同士。公の場ではわきまえているのだから、プライベートくらいはまあいいだろう。


 けれどウェルジオに対しては違う。

 ウェルジオの前に立つアヴィリアはいつまでたっても伯爵令嬢のままだ。

 それが、ウェルジオの中に確かな疎外感を生む。


 けれど、それを当然だと思えてしまうのは。

 そうなるようにしたのが、ほかでもない自分自身だとウェルジオには分かっているからだ。


 アヴィリアの前で、最初に公爵家の人間として振る舞ったのはウェルジオで、その後もずっと、その場所に立ち続けてきたのもウェルジオだ。

 アヴィリアはそれに対し、正しい態度を返したに過ぎない。


 それなのに何故、いまさらになって。それだけでは『足りない』などと思うのか。


“俺とアヴィは運命共同体だからね”


 いつだったか、レグが言った言葉。

 あのときからずっと、ウェルジオの頭の片隅にこびりついて、残っている言葉。


『親友』と呼ばれるセシル。

『友人』と呼ばれるレグ。


 二人の持つ肩書を耳にするたびにウェルジオは思う、では自分は何なのだろう、と。


 親友の兄。

 友人の友人。

 公爵家のおぼっちゃま。

 父の友人の息子。

 または便利な運び屋。(いやこれは父上の手によるものだしな……)


 そのどれもが正解のようで、どれもが明確な答えにはならないのだ。

 その事実が、ウェルジオの心にさらなる闇を落とす。


 しばらく前から存在していた。胸の奥のずっとずっと深い部分に、重くのしかかる『何か』。

 その重さにのみ込まれてしまわないように、ウェルジオは胸元を強く握りしめた。




「ジオー? 何暗くなってんの、大丈夫?」

「ぅおぁっ!?」


 思考の底に潜っていたウェルジオは、自分を覗き込むように現れた親友の顔に思わず声をあげた。


(――――――っは!? いかんいかんっ、何を考えてるんだ僕は! 今はそんなことどうでもいいだろうが!?)


「もしかして緊張してる? 責任者だもんね」

「ああ……、まあな」


 よもや全く違うことを考えて心ここにあらずでしたなどとはたとえ口が裂けても、とくにこいつにだけは絶対に言えないので、適当に話を合わせておく。

 幸いにも、レグはそれを不審に思うことはなかったようだ。いつもと変わらぬ様子で、兵士たちに配っていたホッカイロなるものを差し出してくる。


「はいこれ、ジオのぶん! 無茶はしないでくれよ、リーダー!」

「……ふ。ああ、わかってるさ」


 渡したかと思えば、また兵士たちの所に駆けていく。ついで聞こえる楽しげな話し声。

 レグの屈託のない明るい笑顔は、王都を出発してからずっと、兵士たちの緊張を拭い去ってくれている。

 ウェルジオには、到底できない芸当だ。


(本当に、敵わないな……)


 その光景に、自分の口元にかすかな笑が浮かぶのを感じる。

 レグと一緒にいると、いつのまにか自分まで同じように笑っていることに気づく。

 そうやって、笑顔の輪を広めていく。


 まったく情けない。本来は自分こそが、彼を気にかけ、護らなければならないというのに。

 逆に気を使われてどうする。


(しゃんとしろ。余計なことを考えるな。村人の命がかかっているんだ)


 気合いを入れ直すように、パシン、と両手で頬をたたけば、脳まで突き抜けた痛みが冷静さを取り戻す。

 大きく息を吸えば、キンと冷えた冬の空気が一気に肺の奥まで入り込んで全身の熱を一気に冷ましてしまうような感覚を覚えるが、ウェルジオはかまわずに大きく声を張り上げた。


「作戦開始だ。全員配置につけ!」


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