第36話 不穏の影

 


 今年の冬は緩やかに訪れた。

 残暑がしぶとく続いたためか、過ごしやすい秋の日も長く、空から雪がちらつき始めたのはだいぶ後になってからだった。


「今年は暖冬みたいね」

「外出しやすくて助かるわ。雪もまだしばらくは積もらなそうね」


 パチパチと爆ぜる暖炉の炎が室内を暖めるなか、高くなったように感じる空を窓越しに見上げる。

 暖冬とはいえ、朝晩の空気はキン……と冷えるし、最近は乾燥もひどくなってきた。

 そのおかげか、ハーバル・ガーデンでは薔薇のドライハーブの売れ行きが爆上がりしているらしいけど。


「ぴぃぃ〜〜……」

「ピヒヨちゃんも最近すっかりおとなしいわね」

「寒いのが苦手みたい。部屋の中でも暖炉の前でじっとしてるもの」


 私の頭の上でちょこんとうずくまる桃色の小鳥は、最近はもっぱら暖かい場所でじっと暖を取っている。

 冬毛に代わっていつもよりもふもふしている羽毛のおかげで、私も暖かい。


 ピ―――――……


「あ、お湯が沸いたわね」


 沸騰したことを知らせる合図を受けて、ドライハーブを投入したまま待機していたティーポットの中に熱々のお湯をそそぐ。


「う〜ん、やっぱいいわね! 熱々のお湯が手軽に沸かせるって!」

「確かに便利よね……電気ケ、ソーラーケトル……」


 テーブルの上でしゅんしゅんと湯気を立てるやたら見覚えのある卓上サイズの湯沸かし器。

 エネルギーとして使っているのが電気ではないので電気ケトルではなくソーラーケトル。


 言うまでもなくレグによって作られたものだ……言うまでもないが。


 ファンタジー要素溢れる異世界の地に太陽光を利用した充電式の動力源、ソーラーパネルを生み出したレグは、レンジを皮切りに、それを使った新しい機具を作り出すことに精を出している。


 のはいいんだけど……。


 何かを作るたびにうちの屋敷に持ってくるのだけは、正直どうにかならないものかと思う。


 やつは毎度新しいものを作り出すたびに「こんなんできたよー!」とやたら輝かしいキラキラした笑顔で持ち込んでくるのだが、そのおかげで現在ヴィコット邸では、いまだ広く普及したわけでもないアースガルドの最先端を行くであろう技術の結晶たちがごろごろしている。


 太陽光をエネルギー源に動いているそれらは全て当然の如くコードレス。しかも太陽光を充電さえすれば、いつでもどこでも使えてどこへでも持ち運びが可という優れもの。


 …………むしろアイディアの元となった本家アイテムより有能だよね。ヤバくない……? これ本当に生み出して大丈夫……? とりあえず戸締まりだけはいつも以上に気をつけてます。


「ヘタにヤバいものを作ったりしないようにって、とうとうお兄様が見張りに立たされたみたいよ」


 そっちに飛び火してたか……。

 さすがは不憫の星の宿命を持つお方。でも彼が見張っていてくれるなら間違ってもその『ヤバいもの』は生み出されたりしないだろう。


「ウェルジオ様も大変ね……、元気にしていらっしゃるの?」


 彼とはしばらく、正確には温室にラベンダーを届けに来てくれたあの日以来、顔を合わせていない。

 元々セシルのように頻繁に顔を合わせるほうではなかったけど、調子が悪そうだという話は大丈夫だったのかしら。


「元気よー、正式な騎士になってからは訓練の時間を増やして頑張ってるもの。私も負けてらんないわねっ!」

「ハハハ……」


 むん、と力こぶを握るセシルに乾いた笑いしか浮かばない。

 残念なことにバードルディ公爵とウェルジオによる必死の制止はいまだ功を成す気配はないようだ。


(頑張ってるのね……、ウェルジオ様)


 頑固すぎるくらいに真面目な彼のことだ。

 きっと今こうしている間も、手を抜くこともせずに真面目に取り組んでいるに違いない。


(……あれ? そういえば、レグが剣を持ってるところは見たことないわね)


 ふと思い出すのは、ウェルジオと同じように第二王子の学友を務めているという彼。

 思い返してみれば、剣術大会でも彼が活躍した覚えはない。

 彼は騎士ではない、ということなのか……。


(確かに、騎士というよりは参謀とかそっち系のほうが似合いそうだけど……)


 思わず掌の上でコロコロと人を操るレグの姿を思い浮かべ、慌てて頭を振った。

 似合いすぎてシャレにならない……。


「来年はいよいよ社交デビューね、アヴィは春だからすぐでしょう?」

「おかげで最近お母様が張り切ってるわ、一生に一度の祝いごとだから仕方ないけど……」


 貴族令嬢にとって、成人を意味する十三歳の誕生日は特別。

 もちろんそのときに着るドレス(いわゆる振袖的な?)は一生ものだ。

 昔は母や祖母が着たものを代々受け継いでいく……なんていう風習もあったみたいだけど、最近ではもっぱらどれだけ自分を美しく見せるか、に重点が寄っている。時代ですね。


 そのせいで母始めメイドたちまでもが変な火がついたように燃え上がり、何度も何度も仕立て屋を呼んで、ああでもないこうでもないとドレスのデザインをあれこれ議論して、試着用のドレスを次から次に着直して。それが終わったら今度は髪型はどうする、アクセサリーはどうするなどの話が始まる。


(日本の成人式でもここまでやらなかったわよ……)


 思い出してちょっとうんざり。しかもまだ本決まりしていないので、これからもしばらく続くと思われる。はぁ……。


「成人かぁ……。正直な話、制限とか面倒ごとが増えそうだからイヤなのよねぇ〜〜」

「あらあら」


 重いため息を吐きながらテーブルにぐでり……と力なく突っ伏するセシル。

 公爵令嬢という立場にいる彼女は、色々面倒事も多いのだろう。

 なんとも贅沢で平和なため息だ。


 思わずくすりと笑みがこぼれた。



 この世界での生活は本当に穏やかだと思う。

 戦争もないし、ファンタジーにありがちの魔物なんてのもいない。


 平和な世界に転生出来たことは何よりの幸運だった。おかげでこんなふうに、親友とお茶を飲みながらのんびりした時間を過ごすことができるのだから。


(魔王がはびこる剣と魔法の世界にでも転生させられてたら、正直生き残れる気がしないわ……)


 むしろ真っ先に逝きます。自分、インドア派なんで。






 私はすっかり失念していた。


 人の平穏を脅かすのは、争いごとだけではないと言うことを――――――……。




 ***




 その知らせが届いたのは、王都にも雪が積もり始め、寒さが本格的に厳しくなりだした頃。




『アースガルド東方、国境付近の森にて襲撃事件発生。

 重傷者多数。

 被害にあったのは、いずれも付近の森に住む森の民である模様――――――……』


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